【Essence】「理解する」を理解する【ランタンnote】
(*ランタンnote毎日更新|6日目)
こんばんは、AKIです。
学習者のレベルアップを助けるサイト「LearnTern」の運営とかとかやってます。
百均にクリアファイルを買いに行って、普通(8枚入り)とエンボス加工(5枚入り)で悩みつづけ、ちょっとリッチにエンボス加工の方を買ってみたら、思いの外満足しました。そもそも8枚も使う予定なかったです。近況おわり。
さて、4日目と5日目は「本の『偵察』」について伝えてきました。
具体的な読書スキルでしたが、誰か試した人いますか?(←授業で先生がたまにやるヤツ。基本みんな手を挙げない)
今日はちょっと方向転換して「理解する」をテーマにしてみました。
「理解する」の本当の意味
まず問題です。
「あなた自身の言葉で『理解する』を説明してください」
8割の人はこの問題に答えずに読み進めてしまうかもですが、ここからは残り2割の人に向けて書きます。
僕らは当たり前のように「理解する/した」と言いますが、いざ理解するってどういうことか説明しろと言われたら難しかったと思います。
「他人に説明できるようになること」と答えた人もいるかもしれません。
僕は別に言葉のプロではないですし、言葉自体は意味を込める器だと思っているので、その答えだってOKです。
今回の問題で言えば、あなた自身の言葉で説明していれば正解なのです。
ただすごく厳密に考えていくと「他人に説明できる」の部分は「理解したかどうかを確認する指標(承認の証拠)」になります。
つまり「”〇〇する”とはどういうことか?」に対して、「”〇〇できた"と言える状態になること」と答えたわけです。
(上の例で言えば、「理解するって何?」ではなく「理解できた状態ってどんな状態?」に答えてしまっている)
同じように、承認の証拠で答えた人は多いかもしれません。
今回のテーマは「理解する」自体についてなので、そこを考えてみてほしいです。
僕らは未知のものを「そのまま」取り込むことはできない
未知のもの、というのは未だ自分の中に存在しないものです。
存在しないものを、そのまま自分の中に取り込むことはできません。
一応、記憶として貼り付けることは可能です。
けれど、ただ貼り付けただけのものは剥がれていきます。
(→貼り付け時の強度を上げるのが記憶術。今度noteでも書くけど、早く知りたい人はこっちおいで)
また、貼り付けただけなので、柔軟にカタチを変えて使いこなすことはできません。
僕らは「認知構造」を持っています。
認知構造は、自分が知っていることで形成されたネットワークみたいなものです。
僕らはこの認知構造フィルターを通して世界を見ています。
同じものを見ていても、異なる認知構造フィルターを持っていれば、別の世界が見えているのです。
同じ歴史の授業を受けていても、人物の背景に共感してしまう人・教科書のイラストに魅了されてしまう人・先生のカツラが気になる人、というように各々別のものを受け取っています。
何が言いたいか。
「理解する」ことで得られるものは人によって異なります。
真・理解のプロセス
では「理解する」とは何なのか。
未知を既知で表現するプロセスです。
究極、僕らは既に知っていることしか扱えません。だから知っていることで知らないことを表現していくのです。そうやって表現できることを増やしていきます。
理解するとは、未知のものを自分の認知構造の中に取り込んでいくプロセスです。
だから元となる認知構造が異なっていれば、その「理解」には差異が出てきます。アタリマエのことです。
人によって理解は違うのに
同じ事実を知ったって理解の結果は異なります。
持っている認知構造は皆違うのですから。
事実は一つでも解釈は無限。
その裏には「理解する」の本当のプロセスがあるのです。
なのに、僕らは他人を否定する。
自分とは異なるものを見ている人間を否定します。
「それは違う」「馬鹿」「ちゃんと考えろよ」
たぶん彼らは「理解する」を理解していないのです。
どうやって伝えるか
では自分の理解したものをどのように伝えればいいのか。
理解の結果だけ渡したってダメです。
その理解に至る論理を示すだけでOKなのは似たような認知構造を持っている(もしくは聞き手が高い推察能力を持っている)場合だけです。
僕らは理解プロセスに含まれる認知構造ごと相手に伝えなければなりません。
「僕はこう理解したよ」(理解の結果)
「なぜなら〇〇だから」(論理)
「僕は★★が大事だと思っていて、■■をしてきた人間だ」(認知構造)
先生など、知識を伝える人間には大事な話です。
優れた生徒が優れた教師になれるわけじゃありません(認知構造の傾向が似ている相手には教えやすい)。
理解するという営みに真摯であろう
僕は物語が好きです。
物語は「人が変わる瞬間」を描きます。
現実でも「人が変わる瞬間」を見ていたい。
そのために、いろいろやっています。
学習のアーティストもその一環です。
僕にとって「理解する」というプロセスは救いです。
自分を変えていく、かけがえのないプロセスです。
理解の違いで人を傷つけるのはナンセンス。
理解するという営みに真摯であろう。
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「できないから、やりたい。持ってないから、欲しい。なっていないから、なりたいんだ」
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