見出し画像

【ピアノ】なかなか上達しなくて、悩んでいる人へ。上達は、コントロールできない。


「治るまで、治らないのです」


これは、本屋さんに立ち寄ったときに、ひろさちやさんという方の「仏教入門」という本が何氣に氣になって、パラパラと見ていた時に、書いてあった言葉。

同じところに、「貧乏人は貧乏人のまま、病氣の人は病氣のまま、幸せになるしかないのです」というのも印象に残ったが、
この「治るまで、治らないのです」という一言が、強烈に印象に残った。


この、有無を言わせぬ、どストレートな答えに、そりゃそうだよね・・・と、同意せざるを得なかった。

そして、この至極シンプルで真実な答えの中に、安心感を覚えたのを覚えている。


・・で、結局、これをピアノに置き換えてみると、
「弾けるまで、弾けないのです」となる。
考えるまでもなく当たり前すぎて拍子抜けしてしまうほどの真実なのだということが、改めてわかる。


ここで、ピアノの上達法についてのYoutubeが目に入ってくることが多いのですが、「上達方法」を言われているのですから、そのほとんどが、ハウツーでしょう。

でもその、ハウツーの土台となるところの視点、考え、在り方・・・ということを、この記事では主張したいのであります。

ハウツーを漁るのが、悪いことと言っているのではありません。
むしろ私のほうが、素直にハウツー動画をやらなくてはいけない立場ですから・・・。

だけど、「こうすればよくなる」というのも、それ自体は真実ですが、それが身になっていく、それによって上達するタイミングは、コントロールできない、というところからハウツーと向き合わなくてはいけない・・・というのを感じます。そこを付け加えたいと思います。

自身の経験から

私は自分自身の体調のこと、ピアノの上達の自覚、そのタイミング等を含め、もっと言うと人生全体が、自分でコントロールができない、ということを感じる重要性を、最近、感じつつあります。

今までそういう発信をされている動画を見てきて、時に反発しながらも・・・。

だって、今まで、この二つだけでも、確かにコントロールできなかったから。

でも、どこかでコントロール「している、できている」と錯覚しながら生きていたから。
または、そう思わないとやっていけない感覚が、あったからかもしれません。こちらの方が言い方としては正しいかも。

・・・だからわたしが言いたいのは、結局、
「人生は、何もかも、本当に、何もかもが、コントロールできないものだということを、強く自覚する必要がある。」

というところで、それはピアノの上達という小さなフェーズであっても、それは同じで。

結局、「上達するまで、上達しない」というところで、それを待ちながら、地道に練習していくしかないという結論なのですが。

(時に反発しながらも・・・・)

それでは答えになってない!!というのも、分かるけれども、
逆に、ここにしか、やっぱり、答えは、ないんだなあとも、感じます。

(でも人間は、明確な答えが提示されてないと不安になるし、いついつにこうなります、はっきりと未来が分かったほうが、安心しますよね。だからこそ、3カ月でここまでできるようになります!みたいなハウツー教本が人気があるのだと思う。)

・・でも逆にこの「コントロールできない」というところは、ひっくり返してみると、そこに何の自分の責任はない、ということにもなります。

教えている先生の責任でもない。

「なるようになった」というだけ・・という。

そして、すべてが、すべてが、そうなのだ・・・という洞察、学び、少なくとも思考の上ではそれを自覚しなくてはならないという、ある意味「諦観」を感じるのであります。

(逆に、すべてコントロールできるのなら、すべての責任は、自分にあり、先生にあり、ということになって、こちらの方が、怖いことなのかも・・・)

ここ数年、非二元とか、悟り系、この世の真理的なチャンネル等々を、見出すようになってから、実は自分というのは幻想的な存在で、何かをコントロールできる「私」というのは、存在しない、ということを見聞きしているうちに、そして今少しずつ読んでいる奇跡講座を読んでいるうちに、なにか誤解して生きている自分が、いるのではないか・・ということ、そしてそれは「自分は何でもコントロールできる」という誤解をした、自我(エゴ)なのだけれど、そこについて、正しい認識をもつことの重要性を、感じているところで。

(たしかに、思考一つ、コントロールできないですもんね)

そういう観点から、今私が関わっていること、ここではピアノーーと紐付かせることで、何か自分なりに氣付いたことを発信できないかなと思ったのです。

だから、結論は、最初に紹介した言葉がすべてで、あの在り方がすべてで、上達しなくて悩んでる人に対してはホッと安心してほしいということのなのですが、

そしてしかるべきタイミングというのも、必ずある、ということなのですが、

でもそこはコントロールできませんから諦めましょう、ということなのですが、何のなぐさめにもならないような結論が、かえって、親切というか。
だから、上達しなくてモヤモヤ、イライラもするんだけど、そこもどうしようもなくて・・ということも付け加えたいと思う。

どうしようもないんだから、どうしようもないですよね・・・っていう。
でもそこに安心感を見出せたらいいよね・・・っていう。

そして余談だが、最近は、アガリ症についても、もうどうしようもない、というところに落ち着いていくしかないのかもしれないとも感じている。
ハウツーは、色々、ありますけれども。

「あってはならないもの」という意識が、逆に、しんどいのかも。
だから、上達も、これくらいは出来なくてはという「頭の中の予定」に、ならなくても、なっても、その時その時の結果があるだけで、氣にすることはないということなのですが・・・

(私自身の最近の出来事で言えば、初対面の人の前で、とても心を込めて弾くことができたという反面、何氣に弾いたストピにものすごく緊張してしまったり・・・)

(どこまで行っても「なるようにしか、ならない」ということなのですが。)

そしてこのように考えるに至った背景を説明すると、少し回りくどい記事になってしまいました。


「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、それと似たような感覚でもあります。

結局、「できることしか、できない」(潜在意識専門家・石井裕之氏の言葉)
ただ、自分なりにベストを尽くすだけなのだと思います。

最後に・・・・

本当に、いい言葉を使って発信される人は、ホントに多くて、その語彙力の才能に、乗っかかるしか能がないのですが、逆に言うと、語彙力のないわたしができることといえば、こういう珠玉の言葉を「紹介する」立場にしか、なれないのかも知れないし、人のふんどしをどんどんお借りする以外に、ないかもしれません・・・(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?