卒業おめでとう
お下がりに「すまん」と思う 桃ジャージ着て 犬と散歩の好々爺
おさがりに「すまん」とおもう ももジャージきて いぬとさんぽのこうこうや
亜希
祖父母とすごした時間がみじかかったので、おじいちゃん、おばあちゃんのいる風景に憧れる。
ことにおじいちゃんが孫の中学や、高校のお下がりジャージを着ている姿に
ゾクゾクとして、次の瞬間、平和な愛おしさに恍惚としてしまう。
ジャージには、白い四角い布に太マジックで「3-A 〇〇」と手書きで書かれている。
洗濯機でガシガシ洗われ、薄墨色になっているのも、おじいちゃんに馴染んでいい。考えようによっては、ヴィンテージモノだろうか。
それで畑や犬の散歩にいく様子は、ほほえましい。
車からそういうおじいちゃんを見かけた日は、よつ葉のクローバーを見つけたしあわせに似て元気をもらい、一日気分よく過ごせる。
そういえば、むかし話の桃太郎は、お爺さんお婆さんに育てられるのだけれど、(ほんとうはちがうが、大人の事情でそうなっている)
現代で実在していたら、たいそうおじいちゃんおばあちゃん子に育ったにちがいない。
きっと、ジャージも穴があくことがないように大事に着用したのではないかと思う。
それで卒業式でもらってきた紅白饅頭を仏壇にお供えしたのち、
「じっちゃん、ばっちゃんふたりでたべな」って言うような気がする。
卒業式の日には、お婆さんは、お赤飯を一升炊いて、ご近所さんに配る分も用意して、お爺さんは、ケンタとホールのケーキを買いにいき、家族みんなもちろん外イヌの柴の小太郎も今日だけは座敷にあげてもらってお祝いをするのだろうかと思う。
私にも祖父母との時間があった。
おぼろげな記憶をたどると祖母は、張り切っていろんなものをこしらえた。
年中行事のご馳走といえば、運動会には海苔巻きか、お稲荷さん。
誕生日には桜でんぶの蛍光ピンクのちらし寿司。
七五三、入学や卒業は、お赤飯だった。
昔は、レンジがあまり普及していなかったので、温めなくとも、美味しくいただけるものが多かったこともあって、
お赤飯は、冷たいほうが好き。
けれども、卒業は嬉しいことばかりではなく、私は、大きな環境の変化はとても苦手だった。
式典が終わって、校庭に出てみんなで写真を撮って、笑いあって平気なふりを装っていた。
大して、いい思い出がなくても、この時間が終わってしまうこと、卒業後の未来が、光の中であっても強い眩しさに白飛びして翳もないことに、かえって不安のほうが強かった。
家に着いてお重に入ったお赤飯を見ると安堵した。
冷えたお赤飯にごま塩をかけて口に運ぶ。
ごま塩のしょっぱさなのか、鼻をすすりすぎたしょっぱさなのかわからないけれど、とても美味しかった。
不安定な春の記憶は消せないから、この時期、コンビニのお赤飯おにぎりを手に取ることが多い。
ほんのすこしのおまじないの言葉を伝えるね。
「ひらけーゴマ」
何にきくかはわからないんだけれどね。