内閣総理大臣、ゾンビ君……。
〇重大事故発生
一週間前、M県F市に立地する工場で重大な事故が起きた。日本国および国民生活に重大な影響を及ぼしかねない事故である。国とU社が共同出資して出来たその工場は、特殊な医療器具を日々製造していた。
ナノマシン。細菌や細胞などよりもさらに小さい極小機械群。主にガン細胞の駆除や遺伝子治療の目的で人体に注入される。ガン細胞を分解し、人体に無害な物質に変える。欠損した遺伝子を修復、場合によって正しい配列に組み変える。従来型の治療法よりもはるかに高い効果を上げ、医療常識を変えつつあった。そしてそれは、かつての自動車や電化製品に代わる国の基幹企業に成長しつつあった。
その矢先に事件が起きた。
施設外へのナノマシンの流出。そして暴走。
〇被害は甚大
原因は未だ持って不明だが、とにかくそれは起きた。
それはあらゆるものを喰い始めた。
ガン細胞を駆逐する代わりに周囲の建物を、異常な遺伝子を組み変えるように、原子の配列を変え、現代アートのようなオブジェを産み出した。それらは一様に灰色の塊で、大きさは路傍の石程度のものから3階建てのビルディング位の巨大なものまで様々だ。
制御不能となったナノマシンは、自ら有する再生機能や自己複製、果ては分子組み変え機能をフルに活用した。材料は周りにいくらでもある。ただ自らの能力を愚直に証明し続け、用途不明な灰色の塊を作り続けた。
被害は甚大だった。工場周辺の市町村は、壊滅状態。
〇安全宣言は出たものの……
このような時に備え、暴走したナノマシンを駆逐するワクチンのような役割を持つナノマシンが用意されている。散布されたそれによって効果はすぐに現れた。現在ナノマシンの暴走は止まり、もう無意味な塊を産み出す事は無くなった。慎重な調査結果を受け、政府はつい先日安全宣言を発したばかりである。事故の方はもう問題ない。収束に向かっている。
ではあるが……。政府は、いや総理大臣はこの事故を大いに利用しようと画策した。
国民のために必死に汗をかく内閣総理大臣。その姿を見せる事によって、自身の好感度を上げ、ひいては党の支持率を回復させようと目論んだのだった。御丁寧にヘリで現地に乗り込み、ご用達のマスコミ連中に報道させる念の入れようである。しかもそれは総理独断で行われたのだ。言うまでも無く、現場は大混乱である。『ここにあなたが来てもする事はないですよ。あなたのすべき事は他にあるでしょう』。事故処理にあたる担当者の諫言を、怒鳴り散らして我を通す。『バカにするな。俺を誰だと思っている。ナノマシンの知識ぐらいあるわ。私の指示に従え。これは国民の声である』。要は『危険を顧みず国民のために身体を張る。市民目線の俺を見ろ』と言いたいのである。
そして、再三の忠告を無視してわざわざ事故現場に降り立った総理は、ワクチンナノマシンの副作用に当てられた、というわけだ。本来ならば、一連の作業はアンドロイドを中心に無人で行われ、作業員に害を及ぼすはずは無かったのだ。
結果——。与党国民生活党党首、内閣総理大臣菅沼健二はゾンビになってしまった。
〇次の選挙はどう戦う?
首相官邸、執務室。多くの閣僚。その中の一人、官房長官、敷島道雄は頭を抱える。衆議院議員任期満了による解散総選挙。表向きは。今回の事故による特殊災害救済法を通すための、引いては議会運営の正常化に向けての交換条件が野党から突きつけられたのが実情だ。政府はそれを飲み、二日後に開かれる党首討論会で解散を表明する事が決まった。しかも衆参ダブル選挙である。
負け戦。世論調査の結果を聞く前から、戦う前から結果は分かっている。政権交代。我々は下野する事になる。しかし、それでも我々には責任がある。敷島は腹を括った。真実を話そう。
「総理はすでに死亡し、今は生ける屍となった……。信じがたいが事実だ。国民には知る権利がある。例えそれが我々の不利になる情報でもだ。今度の選挙は前総理、菅沼健二の弔い合戦でもある。怒鳴り散らすしか能の無い男だったが、政権奪取の際には我が党のため尽力したのも事実だ。一人でも多く議員として生き残り、彼の無念を晴らそうではないか」
しかし集まった閣僚は誰一人として敷島と目を合わせようとはしなかった。笛吹けど踊らず。当選一二回。政治の世界を生き馬の目を抜いて生き残って来た敷島は、自身の発言力が低下している事に気付いた。
〇政敵、添野利和
幹事長の添野利和が入室してきた。敷島の政敵。政治資金規正法違反の疑惑のある男。何か仕掛けたな。この混乱を利用して、己の復権を賭けにきたと見て間違いない。添野が言う。「長官。彼はまだ総理だよ。〝現総理〟」まだ生きている。「例のあれを説明したいのだが……」添野が連れてきた秘書がモニターをつける。ゾンビになった菅沼が映し出される。白衣の男と警備員が菅沼に近づいて、何やら注射器のようなものを打ちこんだ。突如、菅沼が小刻みに震えだし、「何で俺がこんな所にいるんだ? 説明しろ。俺を誰だと思っている? 首相だぞ。内閣総理大臣だ」紛れもなく、〝生前〟の菅沼の声だった。
〇二種類のナノマシン
ナノマシン〝パターン〟には大きく分けて二種類あります。白衣の男が説明する。白衣の男はU社、技術管理部の高木と名乗った。事故を起こした工場を経営する企業の者。
「一つは身体の生成組織を復元するボディパターン。もう一つはキャラクターパターン」
身体の方は何となく理解できる。DNA等の遺伝子情報を含め、生体組織の情報は医療機関から手に入れるだろう。「議会での発言、マスコミへの対処、SNSや普段の周囲の接し方から……。ビックデータの解析法を応用し、キャラクターパターンを製作しました」
そして〝パターン〟は一時的にだが、対象人物を復活させる……。つまり総理は一時的に一種のアンドロイドのような自律機械と化す。ゾンビとは違って、こちらからコントロールできる機械に。
〇幹事長の策
総理の代役はいない。だから総理に代役を務めてもらう。と添野は言った。添野のシナリオはこうだ。『議会は解散し、総選挙に向かう。総理は選挙戦の応援のため、各地を駆け回り疲労が蓄積する。総理は突如倒れ、そのまま過労死に至る』。党のため、いや日本の未来のため大衆に尽くした男……。安っぽいストーリー。
「今度の選挙は負ける。だが問題はその負け方だ。我々はグッドルーザーにならなければならない」総理が周囲に反対を押し切って、復興作業を遅らせ、挙句の果てにゾンビなった……。そんな党首を担いだ者に貼られたレッテル……。確かに剥がしづらいな。そして……。
「幹事長、あんた党を割る気だな」添野はシンパを引き連れて、野党(次の与党)と連立を組むつもりなのだ。世論調査では〝先方〟は単独で過半数を取る勢いだが、三分の二にまでは至らない。改憲のための数がそろうまでは添野たちを歓迎してくれるだろう。
そしてすでに根回しはすんでいる。ここにいる連中が、だんまりを決めていたのは、すでに添野に服従したと考えていいだろう。だからこそ、現有戦力の温存を出来るだけ図りたい。今までの失態の責任を一個人に押し付けられるのなら好都合だ。しかも、そいつはすでに生きてはいない。無能な足手まといは今度の選挙で縁を切る。
「そう上手くいくかな」ナノマシン〝パターン〟を提供したものはどんな思惑で力を貸したのか……。決まっている。敷島は決意する。
〇私は引退する。
「私は引退する。記者会見で真実を語る」
「できるのか?」
いや、無理だろう。添野の力ではない、彼を利用する存在がそうはさせない。私はおそらく軟禁されるだろう。だが、それも一時的なものだ。
ゾンビ総理では党首討論やこの難局を乗り切ることはできないだろう。〝本物〟でもそれは難しいのに。私は時を待つ。添野を裏で操るヤツ等の正体を見極めなければならない。それもすぐにわかる……。「内閣総理大臣……」討論の際、議長が国会で彼の名を呼んだ時に……
2045年 日本 配給:ユービックファクトリー
〇配給元からのおしらせ
原作版の収録↓
その続編↓
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?