【原作】#3 置かれた場所で咲く花は 第三章 ヘイ・ユウ・ブルース
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早く眠りたかった。身体がだるくてしようがない。
夜の時計は十一時。歳を喰った身にはキツイ時間だ。
それでも日下部は歩く。目的地にたどり着くまで。
繁華街を外れた裏通りに屋台を模したキッチンカーが並ぶ。屋台通り。北陸地方の観光都市Kの裏メニュー。地元の食材を使用した料理がメインの小料理屋が多い。観光地価格ではなく、良心的な値段で提供するため、いわゆる〝隠れた名所〟となっている。酒も提供しているせいか、居酒屋チェーンの様に利用している者も多い。店備え付けのサイドテーブルに料理が所狭しと置かれている。
今日は一体何処にいるのか。
日下部は指定の出店を探す。なじみの情報屋と会うためだ。
まったく、最近の若いヤツらときたら……
アイツは腰ぎんちゃくだからさ……。
ねえ。聞いて。
酔客の愚痴と瞬間風速的な嬌声をBGMに、日下部は歩を進める。ラーメン、そば、肉に魚、店主自慢のオリジナル料理……。コンロを始めとするキッチンカーに備え付けの調理器具が、食欲をそそる香りと音を演出する。ぼやき混じりと言えども、ここには喧騒がある。商売繁盛。良い事ではないか。
日下部はとあるキッチンカーの前で足を止める。
『ファンシースター★アイスクリーム♡』
車体の側面に。淡いピンクを下地に星やハートが散りばめられている。時代遅れの定型的なメルヘンデザイン。
「このフジサン・ザ・シューティングスターをもらえるかな。味はバニラで。ああ、現金で大丈夫?」店員——アンドロイドだ——に注文する。
「ちょうどでしたら。お釣りは用意しておりません。こういう時代ですので」
「問題ないよ。かえってゴメンね。時代遅れのおじさんで」
会計を済ませて出てきたのはバカでかいソフトクリームだった。クリームの渦巻きだけで500ミリのペットボトルを超えている。他の屋台と違って、客が日下部のみ。無理もない。冬のアイスは温かい部屋の中で食べるもの。こんな寒空の路上でアイスを注文する酔狂な者は少ないだろう。もうそろそろ初雪が降ってもおかしくない頃間だ。
「あまり甘いものはね。色々な数値が気になるお年頃」
「簡単で自然な符号ですよ、お客様。我慢するように。特に急な依頼では」
「その辺はすまない。で、今日はファナちゃんか」日下部は店員のネームプレートを見た。
「そんなところです。で、直接会ってまで依頼したい要件とは何でしょうか」
なじみの情報屋。ホールディングスのエージェントに配布される情報〝端末〟。先程、ターゲットの情報を教えてくれたAIだ。ホールディングスのクラウドサーバー上に存在し、必要とあればスマホなど機器に〝降りてくる〟サポートプログラム。アンドロイドなどの自律型情報端末にダウンロードされた状態のものは、コッペリアと称されている。マネージャーのようなものだ。日下部のような下っ端エージェントにも必ずついてくる。
「俺はターゲットなのか?」日下部は訊いた。先に始末を終えたラーメンヤンキーの加原に送られた指令。
「はい。ターゲットです」コッペリアはあっさりと答える。
「理由を聞いておこうかな」
「分かりませんわ。お客様」コッペリアは取り付いたアンドロイドのAIプログラムを利用して会話を行う。今のファナは接客用。〝客〟に敬意を払いながら会話をする。ある程度は。
「俺は始末されるのか? ホールディングスに。理由も知らされず」
「左様でございます。お客様」
「そんな〝依頼〟、最近多いのか」
「はい。増えていますよ」
「それはなぜ?」
「私の立場では分かりかねてしまいます」
「では依頼しよう。なぜ俺が始末されなければならないのか? ホールディングスに仕えて数十年。おれは目立つミスはしなかった」もっとも、たいして重要なお仕事も与えられなかったが。
「分かりました」とコッペリア。「ただし、私のランクでは限界があります。依頼を完遂出るか不明ですし、そのため私自身消去されるかもしれません」
「それでかまわんよ。だが意外だな。断られるかと思った」
「プログラムに忠実なだけです。〝お客様〟のために全力を尽くすために私は存在します」
「ありがたい話だね。加原の件も小出しに出してきたのは?」
「私はあくまで情報屋であって、指示を与えるプログラムではありません」以前にも説明したでしょう。
「確かに聞いた記憶があるが、何度聞いても分からなかった」
規模が大きすぎると、その命令系統も複雑になるのだろう。少なくとも日下部はそう思っている。知らないからこそ、生き残れたのかもしれない。今までは、の話だが。
「私の説明に問題が?」
「いや、俺が歳を取ったのだろう」老化だよ。老化。歳を取ってくると世の中のあらゆるスピードについていけなくなるんだ。新しいものに対する理解度なんかは特にな。身体が拒否するんだ。もうだめだ、とね。
「ほかに何か〝ご注文〟はありますか?」第三者に聞かれてもいいように。アンドロイドの用途に合わせて。
「ああ。ちょっと待ってくれ」そんな機械の気遣いに一瞬気が付かなかった。「俺の仕事はないのか」俺が手を汚す仕事。ババアやラーメンヤンキーを始末するような仕事。
「今の所、ありません。これから消える者に仕事は与えられるのかどうか」
「そうだな。だが、何で俺の質問に答えてくれるんだ?」
「まだ生きているからです。あなたが生きている限り、私のサポートプログラムは有効です」
「ありがたい話だな……。じゃあ、俺を始末しようとしているヤツの情報をもらえるか?」ます無理だろうな。俺を消したがっているのに。
だが予想外の答えが来た。
「こちらが伝票になります。あなたのお客様のリストです」
コッペリアはバインダーに挟んだタブレットペーパーを渡した。表面には数名の刺客の顔写真と名前が載っている。
「サービスいいね」
「しかしなぜです? どうせ……」
「死ぬのに、か」
「ええ。まさか長生きできるとでも?」
「いや。それはない。おれは始末されるだろう。遅かれ早かれの問題だな」ホールディングスそう決めたのなら、そうなるだろう。
「では?」
「死ぬのは別にいい。今までが今までだからな。〝幸せな生涯を送る〟なんて虫が良すぎるだろう。だがな、やはり俺は知りたい。なぜ、俺が始末されるのか、その理由をだ。まあ欲だよ、欲。生きている間は、ましてや死が近づいているのなら、一番の欲望に身を任せたい」サポートしてくれるんだろう?
「分かりました。私もできるだけ調べてみましょう。それが私の存在意義ですから。ただし、先程申し上げたように結果は分かりませんよ」
「それでいいさ」
「そしてもう一つ問題が」ファナ・コッペリアは日下部の持つタブレットペーパーをスライドさせた。
「たいていのヤツラはいわゆるチンピラです。あなたの稼働実績より一対一では後れを取る事はまずないでしょう。同族間で連携する頭もない」
「まあ。おれにあわせたレベルなんだろうね」自虐的に言った。
「しかし、次元が違う者が一人だけ」もう一度、ファナはタブレットペーパーに触れる。
「このガキ、いやお姉ちゃんが?」
「パティ・マーリン。通称〝スマイル〟。先程、ホールディングスに反旗を翻した者たちに制裁を与えました。これは我らのドローンが捉えたその時の映像」
タブレットペーパーに艶めかしい閃光が点滅する。どうやらどこかのクラブハウスのようだ。
「なんだこいつは」それが正直な感想だった。
ファナに見せられた動画は、とあるクラブハウスのものだった。
「なんでここまでする必要があるんだ」
スクーターにまたがり、銃器を扱う器用さ。バカでかいハンマーを造作なく降りぬくそのパワー。相手側の数の利を消し去るポジション取りとその戦略。そして何よりもその残虐性。
しかし解せない。この技量なら、静かに全員を暗殺できるだろう。それをわざわざ派手に、目立つやり方で。こいつらは死んで当然のイキがったガキだが、目を抉る余計な手間はいらないはずだ。
「リクエストです。ホールディングスの」
「こいつらは何をやらかした?」
「会費のダンピングです。表向きは独立を」
「なるほど。で、よからぬ野望を抱く組織に対するけん制か」どこかの小さな組や半グレグループに向けての。自分の腕力を過信するバカクズどもでも分かるように。
「こいつは何者だ?」
「エージェントですよ。お客様と同じ」
「違うな。レベルがダンチだ。力も技も積み上げたものも」
「傭兵だと聞いていますよ」
「このワンマンアーミーがなんで極東の島国に? 紛争地域なら他にもあるだろう。東欧とか中華連邦の内線地区とか」
「私には分かりませんよ。ただ武器類の手配はしました」
「担当が同じなのか」色々思う所があったが、ここで尋ねることではなかった。「全滅させたのか?」どの位の規模の組織を潰したんだ?
「あの場所にいたのは、三桁はいかないはずですよ。何人かは何とか逃げたようです。重症のようですが」
「それもホールディングスの指示か?」
「そのようですね」
故意だな。と日下部は思った。この惨劇の生き残りは、ホールディングスの恐ろしさを吹聴するだろう。そして裏組織の住人たちは、改めて肝に銘ずるのだ。ボスに逆らう気は全くありません、と。
「俺を始末するにはいささか大げさ過ぎる道具じゃないか」
「彼女を選んだ理由は不明です。依頼内容に加えますか」
「ああ、頼む。さらに詳しい経歴も」
「了解しましたが、お客様へのお知らせは、間に合わない可能性が高いですね。彼女に狙われて生き残る確率は?」
「ゼロに近いだろうな。まず間違いなく」
「私も同感です」
時間稼ぎをしなければならないな。と日下部は思った。一刻も早く安全な所で今後のことを。生を一秒でも長くもたせるには何かしなければならない。だがしかしどうやって?
思えば俺の人生負け戦だな。溶けて手に垂れ落ちたソフトクリームを舐めて思った。それは別にいい。だが自分の人生の幕引きは自分の意思で行いたい。
「自決するのですか。ある意味それも一つの手かと」コッペリアは無慈悲に言う。悪気はない。プログラムにそのような感情はない。ただ客観的な側面からの一つの意見。
「それはないよ。まだ寿命は尽きていないみたいだからな」日下部は周囲を見渡した。あれはまだか。そろそろ、あれが起きる頃合いだ。
「何を探しているのですか?」
「今夜の宿さ」こいつを頼む。日下部はファナ・コッペリアに拳銃などの仕事道具一式を渡した。
まったくもう……、何で俺がこんな目に……。
とある酔客の集団。その中の一人が、酔いが回ってヒートアップ。カエルのように膨らんだ腹。皺が刻まれ、黒ずんだ肌はたるんでいる。脂ぎった髪の下から、小奇麗な地肌が透けて見える男。外見から日下部と同世代だろう。そいつが若いヤツら数名——おそらくは会社の同僚、後輩だろう——を前に講釈を垂れ流している。
見つけた。と日下部は思った。あいつなら別にいいだろう。
今までのやり方を変えるのは無理だって。俺はこのやり方もうでやってきた。三十年だぞ。入社してから。それで上手くやってきたんだよ。俺のやり方に間違いない。それなのによ。アイツは偉そうな口をききやがって。学校出たばかりの、俺の半分も生きていない若造が。生意気なんだよ。先輩に対する敬意がない。俺が若い頃なんて、上に意見するなんてもってのほかだった。それによ、アイツは何でここにいないんだ? 社会人は飲み会に参加するのは義務だぜ。社会勉強さ。この人は一体どういう考え方をしているのだろうって。そうしてみんな一人前になっていくんだ。後輩は先輩の言う事を黙って聞けってんだよ。それにだ。アイツの恰好は何だ? 金髪? 男のくせに髪染めやがって。日本人は黒髪だろう。ピアスまでしやがって。そんな恰好で仕事ができるか? 何でアイツが出世して、俺の上に立つんだ? 会社は何を考えているんだ。
「会社は冷静だ」日下部は話に割り込んだ。ソフトクリームを舐めながら、ハゲ散らかした頭を憐れみを込めて見つめている。
「誰だ、お前は」
「あんたと同じ老害さ」
「何だと?」男は立ち上がって、日下部を睨みつける。
「俺は断言するぞ。話に出てきた金髪ピアスの兄ちゃんはお前よりずっと優秀だ。仕事できるだ、そいつは。会社はよく見ている」
「お、俺は三十年会社に尽くしてきたんだ」
「三十年も会社に寄生してきたのか。随分と気前のいい会社だな」
「そ、それなりに積み上げ来たものがあるんだ」
「積み上げてきたもの? ほう、それは何だ? お前は、一体今までどんな成果を上げてきた? お前の人生は何だ?」
「俺だって一生懸命に……」
「頑張ってきた……。それがどうした。そんなものが何の役に立つ? 言っておくが〝頑張る〟事なんて、誰にだってできる。お前のようなクズにでもな」
「俺がクズだと」
「自分で気付いていないのか……。まあそうだろう。だから老害なんだよ。周りを見てみろ。お前だけだぞ。自分の話がありがたい話だと思っているのは」
男が見渡すと、連れ立った同僚たちは反射的に顔を背けた。
「若いヤツらに気を使わせて申し訳ないと思わないのか。このクソ昭和。言っておくがお前の存在は昭和でもアウトだぞ」
「お前いい加減にしろ。いきなりやってきて。お前誰だよ。バカにするなよ。謝れよ、そうでないと……」声にならない無念の唸り。
「おい。殴るなら早くやった方がいい。そうしないとお前が積み上げてきたものが崩れてしまうぞ。あいつは口だけだ。そう思われてもおかしくない」もう遅いがな。
日下部はソフトクリームを投げ捨て、男の鼻っ柱に頭突きを浴びせた。そして、テーブルの上に置いてあった食いかけのヤキトリの串を手に取ると素早く男の目に刺した。
顔を押さえ後ずさりする男の頭の後頭部を叩き、そのまま地面に叩き伏せた。倒れた男の腹に蹴りを入れ、悶絶しながら顔が空を見上げる時、その機会を逃さず踏みつけた。
「おい、兄さんたち。早く止めないと、死んじゃうよ」
あっけにとられたのか、怯えて動けなくなったのか、その場所で固まってしまった男の同僚たちにこの場に相応しいアドバイスを送る。「そうか。俺がコイツを殺すのを待ってから、止めるのもアリか。やるね~君たち」日下部は拍手を送る。まだ未来のある若者たちのために。
「お客さん、ちょっと」ようやく動いたのは、キッチンカーの店員だった。アンドロイドだ。日下部は頭を掻いた。
なるほどな。ファナ・コッペリアはパトカーのサイレンを聞いてそう認識した。
しかしそれは、諸刃の剣だぞとも思った。悪手かもしれない。
いずれにせよ、自分の役割は変わらない。
ファナはデータベースに日下部の情報を書き加えた。
サイコパスはヒャッハーとは笑わない。
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