序文_書くことについて
入籍日の夜。妻とこんな話をした。
書くことについて。
「自分の心が動いたときに、その質感を覚えておくためにスケッチするように書きたい。だから感覚的な表現や擬音語や擬態語が増え、結果、文章がポエム調になる」と彼女は半ば自嘲気味に言った。
なんら自嘲する必要もないくらい、素晴らしくまっすぐな文章への向き合い方だと思う。
彼女が、森に射す陽光や樹上の風を忘れないようにスケッチするとすれば、ぼくは土の下の根を掘り出していくような感覚で文章を書くかもしれない。何がどんな形で埋まっているかも判らないところから、樹木の根元にねらいを定め、いったん掘り進める。やがて芋掘りのように実が現れるかもしれないし、地下層の鉱脈を掘り当てるかもしれない。
この文章もきっとそんなふうに書いていくと思う。
あらかじめ結論が見えているわけではなく、書きながら考え、どこかに行き着いたところでその日の話は終わる。後日また思い出したように続きを掘り始めるかもしれない。できれば細かな土の感触まで書き留めておきたい。文章で大事なのは内容よりも先に文体(スタイル)なので、なにがしかの文体にたどり着きたいと思う。なるべく自由で、融通無碍な。