人生は“Connecting The Dots”である。
こんばんは!
キャリア選択インタビュー第12弾として、様々な分野で行動している学生や社会人の方にキャリアをどのように選んだのか、をインタビューしました!
「PORTAL」ー “キャリア選択に私らしさを”
今日の発信者は、現役教師Aさんです。
Aさんは現在教員をしていて、今回はご本人の意向もあり名前は伏せさしていただくことになりました。
これから教育を志す方や、教育に興味がある方、進路に悩んでいる方などにお勧めできる記事となっていますので、本日も最後までよろしくお願いします!!
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初めて成長を実感した瞬間。
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──今日はよろしくお願いします!まず初めに、Aさんが先生を目指したきっかけを教えてください!
Aさん:はい。私は中学校1年生から卓球部に所属していたのですが、その卓球部で顧問をしていた先生との出会いが私の人生にとって大きなきっかけになりました。
私は中学2年生の秋に出た市大会で一回戦負けをしてしまい、とても悔しい思いをしました。その時に顧問の先生は私の心をよく鍛えてくださって、自分自身で立ち直ることができました。そこからはどうやったら勝てるかを自分で工夫するようになり、中学校3年生の夏には関東大会にまで出場することができました。
私にとってこの経験はとても大きいもので、人生で初めて成長を実感できた瞬間でした。今でも辛いことや考える時があると、卓球ならどう考えるのか?を思い出すのですが、それくらい私の人生において”自信”を持つ大きなきっかけになりました。
そして自分で成長することのきっかけをもらった卓球部の顧問の先生に私もなりたいと思い、将来の夢の欄に卓球部の顧問と書くようになりました。
──なるほど。中学校での経験が大きかったのですね。そこからどのように進学したんですか?
それから本当に夢に向かってステップアップしていきました。高校進学は卓球の推薦で進学校に行くことができ、大学進学では地元の国公立に進学することができました。ずっと夢は学校の先生になって卓球部の顧問になることだったので、進学はあまりぶれませんでしたね。
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全国を駆け回った学生時代。
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──そうですか。大学生活はどうでしたか?
大学生では初めてバンド活動をすることになりました。最初はサークル活動として行っていたのですが、ライブハウスの店長に声をかけてもらったのがきっかけで、地元のライブハウスで月に2、3本公演をするようになりました。
そして大学4年生の時に、「お前ら全国飛び回ってこい!」と店長に言われ、曲を初めて作って全国公演することになりました。
衝撃すぎて今でも覚えているのですが、全国ツアーの初公演はお客さんが3人でした。すごいですよね。そんな衝撃的なライブから始まり、日本全国を飛び回っていました。
先生になるという夢はまだ持っていたので、大学院に進学し、バンド公演は4年間くらい続け、CDは3枚出すことができました。ただ、周りのバンドたちが売れていったり、同世代がドームで歌ってたりしているのを見て、俺たちってなんなんだろうなと当時は思っていましたね。
──どうして大学院に進学したんですか??
シンプルに夢を両立したいと思っていたからです。先生になりたいという思いも持っていましたし、バンドマンも続けたいと思っていました。だからこそ大学院で教育をより深めながら、バンドをして、バイトをしてみたいな生活を送っていたのですが、とてもハードでしたね。大学院をなめていました笑。
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Connecting The Dots.
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──そこから学校の先生になったと思いますが、どのような教員人生でしたか?
始めは臨時として小学校に勤務することになりました。その時に教員としてのやりがいや働きがいを感じ、先生の試験を受けることにしました。
──どんなところにやりがいを感じました??
先輩教員の方の影響が大きいと思います。その方は自分でも工夫して授業や学級経営を行いながら、人に頼るのがとても上手な方で、僕の力を学校のためにとても使ってくれました。
当時の自分は臨時で入った下っ端職員だったので、そんな僕でも学校で役立てることがあるんだと、やりがいを実感できたことが大きかったと思います。
──なるほど。そこから正規として中学校で働いたと思うのですが、教師生活はどうでしたか?
そうですね。最初に勤務した小学校がアットホームな環境だったので、中学校に勤務した当初は少し寂しかったです。私は野球部の顧問に任命されたのですが、今まで野球をやった事がなかったので、本当に1からのスタートでした。ノックもまともに打てなかったので、休日にバッティングセンターに行ったり、たくさん本を買って学んだりしていました。
そして初めの学校を3年間で移動し、次の学校では卓球部の顧問になる事ができました。その時に感じたのは野球部の顧問をしていて培った経験が卓球部の顧問としても生かされているという事です。いわゆる部活経営っていうやつですね。
僕は卓球部経験者なのでどうやったら上手くなるか、上達するかなどのことは教えられるのですが、以前に野球部顧問をしたおかげで、初心者でもどのようにしたらスポーツにのめり込めるのかをうまく伝える事ができました。どんな経験も無駄にならないことを改めて実感しましたね。
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教員を辞めたのは、
更なる挑戦をしたかったから。
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──やりがいを感じていたAさんが教師を辞めるきっかけになった出来事を教えてください。
きっかけはコロナによるものが大きかったです。コロナによって学校が休校になったりして教師たちは何をやればいいかわからない状況でした。こんなことを言ったら不謹慎だと思いますが、正直働かなくていいんだという気持ちはどこかにあったと思います。
その中で、私は去年から何かを学びたいという気持ちが大きくなっていて、本を読んだりYoutubeを使って学んだりしていました。時間があったのでコロナ禍ではさらに学びを増やすこともできました。
当時は3年生の担任をしていたので、このままもし休校が続いたらのことを想像していました。そしたら「まずいぞ」という気持ちがどんどん大きくなって行って。。
紙の課題をただ配るだけの毎日に、子供たちは何を学べるのだろうと考えるようになり、自分なりに行動を起こそうと思い始めたのがYoutubeでした。
4月からYoutubeを始めたのですが、一度生徒たちが学校に来る機会があったので生徒たちにこう伝えました。
「また休校が続くけども、この期間は自分と向き合う時間だから、夢を持って、目標を持って、それぞれ生活していこう。先生、これからYoutuberになるので、一緒にモチベーションを上げていきましょう!」
すると中学生たちは「イエーイ!!」と喜んでくれました。笑
それから動画を更新していくうちに、生徒や保護者の方から要望が増え、「うちの子が昼夜逆転しているんですけど朝起こしてやってください」みたいなことも言われていました。
毎朝、朝の会ライブみたいなものも独自でしていましたね。そういうのを学校として行えたらいいのですが、なかなか意見が通らないんですよ。Aさんだからできるって言われてしまう。先生方がただ校長の意見を仰ぐだけの存在になっているのを見て、ますます「なんだろう学校って?」と思うようになっていきました。
──それは大事な問いですね。
自分の名前の方が子供たちに伝わりやすいと思っていたので、実名でYoutube発信を行っていたのですが、それが教育委員会の人たちには引っかかったようで、やめてくれと言われてしまいました。校長先生が庇ってくれたおかげで最終的には納得していただけましたが、こういう風に思われるんだと改めて認識する事ができました。
──そこからどうして教師を辞める決断に至ったのですか?
そうですね。先ほど話したところともかぶっているのですが、私が考えていることと学校がやろうとしていることに差を感じたというか、段々と学校の中で浮いている自分に気付きだして。
「もっとこうした方がいいですよね、ああした方がいいですよ」と意見をしても、それは無理だよの一言で消されてしまう。すると段々と私が学校にいる意味ってあるのかなと感じ始めました。
また、その頃から学校外の人と繋がる機会が多くなっていって、世界には面白い人がこんなにもいるんだと改めて体感しました。自分の見える世界がどんどん大きくなり、私が学校に存在していることって“もったいないこと”なんじゃないかということに気づき始めたんですよ。
もっと自分にしかできないことってあるんじゃないかという思いが強くなり、今の生徒たちを見送ったら、今度は“先生としてキラキラ働く人を増やす”側になろうと思いました。
例えば私が10人の先生を輝かす事ができれば、その先生たちが担当しているクラス(10クラス分)の生徒たちを輝かす事ができる。
私はその方が圧倒的に自分に向いているし、社会としても自分の力を十分に発揮できるなと考えたんです。だから教員を辞める決意をしました。
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今あなたがやっていることには
何かしらの意味がある。
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──これからのAさんは何をやっていくんですか?
そうですね。これから新しいことを始める人や何か人生の大きな選択を前にしている人を中心に、コーチングやセミナーなどを開き、その人の生き方や人生の悩みを解決できたらと思います。
私自身も新たなチャレンジをするので、そんな私だからこそ伝えられるような言葉があると思っています。これから何かに挑戦したいと思っている方や先生として生きづらさを抱えている人にぜひ頼ってほしいです。
──最後に、キャリア選択に悩んでいる人やこれから教員になろうか迷っているような人のために、Aさんなりのメッセージをいただけたらと思います。
私が言いたいことは、「今やっていることには何かしらの意味がある」ということです。
元々私は先生になりたくて先生になったので、先生になれた時は本当にキラキラして、やりがいを持って働いていました。ですが、4年前に教員として働くことに疲れてしまった時期があって、退職するか休職するか本気で迷ったんですよね。本当に自分に自信がありませんでした。
思い描いた通りに全然ならなくて、他人の目を気にして、他人軸で生きていて、自分がやりたいことなんて全然わからなかったんです。私は家族の支えがあってなんとか頑張ろうという思いで乗り切ったのですが、そういう時期って結構誰にでもあると思うんですよね。
私は今、あの悩んだ時代、翻弄した時代があったからこそ、今こうやって自分に自信を持って行動できていると思っていて、その経験があるからこそ、人の生き方についてもっと携わりたいと思える事ができたんです。
生きていたら必ず大変な事があると思うんですけど、そういう経験自体も自分の内なる資源になると思うので、もし今大変な思いをしているという方がいれば話も聞きますし、今やっていることには何かしらの意味があると思って、一緒に生きていきましょう。
──素敵なメッセージありがとうございました。
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<執筆、森本瑛/AkiMorimoto>
現在大学4回生で来年から小学校の先生になる22歳。教育をより豊かなものにすべく、一般社団法人ハッシャダイソーシャルに関わりながら、noteで発信活動を行なっている。
座右の銘は、「意思があるところに道は開ける」
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