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【ほめ3】手を差し伸べた優しさ

自分の人生を褒めちぎって、恨みも呪いも褒めて浄化するこの企画『根暗のほめ道』第3回でございます。

サラッと前回までのあらすじ。
新潟県中越地震を乗り越え、その年の大雪の中家族の役に立てていないと落ち込んでしまった私。しょぼくれた感じで中学生になるのであった。
ここから黒歴史的な意味ではなくガチの人生の暗黒点を迎えていく…。

中学生になった私は、瞬時に周囲の生徒にこの根暗さを見抜かれた。「なんか暗い子」という印象を持たれた。
小学校ではひょうきんなキャラで通っていたので、自分のことを根暗などと思ったことのない私はかなり面食らった。
しかし、同級生が一気に増えた環境に馴染むこともできず…なんとか小学生時代の友人と一緒にいることで小さな居場所を確保した。

真っ直ぐで、女子コミュニケーション独特の"空気を読む"こともできない性分。どの子と喋るのにもどうしたらいいかわからず、相当苦労した。

そんな中、小学校の同級生で同じ部活の女子が不登校になっていることを知った。私は何を思ったのかその子の家に行き声をかけた。
結果、小学校時代の同級生達と4人グループを作って遊ぶようになった。
この選択も、後から私の学生生活に影を落とす要因になるわけだが…でも不登校の子を心配して手を差し伸べたその優しさは私自身が全肯定したい。
私はずっと自分が冷たい人間だと思って生きているが、こうして振り返ってみると優しいがゆえに空回りしてしまう人生を歩んでいるのではないかと思わされる。実は私の性格は自認しているものの真逆なのかも知れない。

そうして4人グループで遊ぶようになった。
お泊り会をしたり、遠くのモールに行ったり、おしゃべりしまくったり、1年間で青春っぽい感じのことは結構したと思う。
が、2年生に上がると私が部活中にやらかしたヘルニアを入院治療している間にグループが空中分解。
学校に復帰すると、どっちかにいるとどっちかの悪口を聞かされるというカオスに巻き込まれる。
話を聞いていると、ただ性格が合わないだけでどっちかが悪いというわけではなかったため、内心めちゃくちゃ困っていた。私はただ皆で仲良く過ごしたかっただけだった。しかし人間関係というのは中学生の私が思うよりも難しい。

もうそんなカオスなグループ捨てて別の子たちと遊べばよかったのかも知れない。いや、かも知れないではなく、今思う圧倒的に正しい答えはそれだ。
しかし私にはほかの友達を作れるようなコミュニケーション能力がなかった。あまりにも内弁慶。

コミュニケーション能力がないとどこに行っても苦労する。
それは今日を生きる人なら誰もが理解できる人生のTipsであると思う。
実際私はそれでとても苦労したし、なんなら今も苦労している。
勇気を出して人に話しかける。この能力は若いうちから積極的に取得していった方がいい。ちなみに私は未だにそれができない。
話すきっかけも内容もさっぱりわからん。

え、マジでわからん…。
ここは改善点だ。

こうして、「なんか根暗で友達少ないヤツ」は中学3年生になる。

今いる友達を大事にしようと頑張った私はすごく偉いと思うのだ。
友達思いだったな、というのはとてもわかる。
そんな優しい少女はここからこの上ない人生の地獄を迎えていく。

ひょっとして私って意外と幸薄い系なのか?と今一瞬思った。
優しいゆえに周囲に巻き込まれて不幸になっていく様を綴りながら、気付いた。
『根暗のほめ道』映画化したら是非木村多江さん、お願いします(?)。

では、また次回お会い出来たら嬉しいです。

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