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【歴史】幻の山岳城・観音寺城①

前回までは筆者が卒論で扱った岡左内というキリシタン武将に関して、主にその系譜や親族といったテーマについて考察を重ねてきた。

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【歴史】岡左内の考察まとめ|赤田の備忘録

さて、今回からは、岡左内の最初の主君であった蒲生氏郷を始めとする蒲生一族が代々仕え、足利将軍家とも密接な関係をもって、近江国(現在の滋賀県)を400年以上に渡り治め続けてきた名族・近江源氏佐々木氏に焦点を当てて書いていこうと思う。

その中でも初めに、巷にはあまり知られていないが日本100名城の一つで、かつて日本一とも呼ばれた城下町を有し、将軍四代に渡り幕府の後ろ盾として天下の動向を支配した歴史上の大舞台「幻の山岳城・観音寺城」を取り上げて紹介したいと思う。

なお本文章は、実際に観音寺城の発掘に多大な貢献をし、観音寺城や佐々木氏研究に情熱を費やした歴史家・田中政三氏の『近江源氏 1巻 (まぼろしの観音寺城)』を参考に紹介をする。

・田中政三『近江源氏 1巻 (まぼろしの観音寺城)』弘文堂書店、1979年。

観音寺城(跡)は、滋賀県近江八幡市安土町に位置し、近江国守護であった佐々木一族により築かれた山岳城で佐々木氏の居城であった。
(織田信長の築いた豪華絢爛な城として有名な「安土城」は目と鼻の先。)
その観音寺城の規模について、田中は人に説明する際には以下のように伝えるという。

観音寺城は城山の案内を知っている者でも、腰弁はもちろんのこと、急ぎ足で一巡するだけでも数日を要する。詳細に見て回るなら優に十数日を費やさなければならない。それでもなお未踏査の個所が残ることは必定である。

(田中政三『近江源氏 1巻 (まぼろしの観音寺城)』弘文堂書店、1979年、374-375頁。)


このように巨大な城であることは何となく想像できると思うが、どのような城であったのだろうか。次に城の形式について紹介をしたい。

同書には以下のようにある。

・観音寺城は、山頂のみに城郭があるような単なる「山城」ではなく、山全体に曲輪や屋敷をもつ「山岳城」である。

・中心に本丸を築き、その周囲に従属する中小の廓が郡をなす一個の城塞が、更に山一帯に配置され連携する「郡廓式築城」である。

・戦闘的な備えをもった施設と共に、平時の居館を併せ持った「複合城」である。

これらを併せて、田中政三は「郡廓式複合山岳城」と呼称するのが正しいとしており、名前からもかなりイカつい城であったことが窺える。
(同書、15-16頁より。)

・築城年・築城者について

築城年については、1468(応仁二)年に、築城者は六角高頼によるという説が定説となっているようである。

しかし田中は、明らかな年代を指摘することはできないが、単に戦国時代の一時期に、しかも半年か一年で造られた城ではないと否定し、観音寺城は長い歳月をかけて修築・増築・改築を重ねた末に、高頼の時代に最終的な段階として中世城郭の完成を見るようになったのであると推測している。

また、その根拠として、東軍・細川勝元と西軍・山名宗全持豊を大将とし、京都において十一年間に渡って繰り広げられた応仁の乱を挙げ、高頼も西軍の将として参加しており、文明九年に収束してからも戦後処理のため京都に残ったため、いかに六角氏であろうとも出来るはずがないと述べている。
(同書、7-12頁より。)

源三谷が最初の砦

年代を推定する上で地名から考察をすることもできる。

例えば、観音寺城には源三谷という名前の谷が存在する。これは、源頼朝の信任を受け佐々木氏の隆興の祖となった、佐々木源三秀義〈1112-1184〉に因んだ地名で、彼はここを本拠としていたといい、その時代に砦と居館が築かれていた可能性がある。

この城山の東南のふもと、つまり旧中山道が山すそぎりぎりに接している石寺栢尾地区の源三谷という谷筋の下付近が、最初に砦や居館を構えたところであり、その谷道(石階段)を登った東山上の目賀田、淡路、赤田その他の曲輪付近が当初に構築された山塞で、そこから後に、西方の山の中心一帯へと逐次城郭が拡大増築されて行ったのだと筆者は想像している。

この、田中の推測を実証する遺跡、遺構として、東山頂の淡路曲輪(蒲生郡布施城主「布施淡路守公保」の曲輪)が挙げられ、ここの基壇上の四方には、石仏三十数体が内向に立ち並び、さらに基壇の石垣内外、下すそにも同じく三十数体が配列してあり、昔の武将たちの信仰のあつさが窺えるという。

また、専門家・田岡香逸氏の調査によると、鎌倉時代の乾元二年(1303)ころの造立であるといい、他の書文献・古記録と照らし合わせても平安時代末期頃にはすでに形を成していたと考えられるという。
(同書、393-402頁より。)

※なお現在の石仏は盗難の被害のために3分の1ほどになったというが…。

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