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高校受験を振り返る

長男の高校受験が終わった(はず)。
受験日が終わってから、10日ほど経ち、その間彼はゲーム三昧の日々に戻っている。「いい加減にしろよ。笑」とは思うが、別にゲームをやってはいけない理由はないので口には出していない。

明日、いよいよ結果発表日ということもあり、結果が出る前にこの一年を振り返っておく。
この一年は受験勉強が本当に大変だった。

と言いたいところだが、実はそうでもない。
ただ、今年に入って40日間は、マジで頑張った。大変だった。

そんな大変だった経緯を多少まとめておきたいと思う。
我が家的には次の受験機会に活かせるかもしれないし、誰かの役に立つでも良し。記録を残すのは重要な事です。


学校との面談のお話

我が家は、四人の子供達が4つ別々の学校保育園に通っている状況となり、私たち夫婦間の今年度の決め事として、子ども学校分担制を敷いている。
長男の学校行事は基本、私の担当。

そんなわけで、今年度の三者面談では私が担当として担任の先生とそれなりに話をした。
面談で1年間、言い続けたのは3点
 - 基本的には本人が受けたい高校を受けさせる
 - 途中で痛い目を見せてやってください
 - 本番に強いタイプなので大丈夫

「基本的には」とか言っちゃうのが大人のズルいところなのだが、本人のやりたい様にやらせつつ、本人自身にはプレッシャーを掛けたい。という感じ。
恐らく、年度頭からこのスタンスは先生に伝えていたので、理解してくれたうえでフォローしてくれていたと考えるし、その後の成績変動や目標変化に対してあまり大きなバタつきがなかったのも、このあたりの決め事が明確だったからだったかと思う。

学校選定はどのようにして行う?

志望高校の選定にあたっては、先生からは、年度の頭に、学力的には普通高校→工業系大学も十分行けるよ。という話もいたただいたのだが、本人が「大学までは行きたくないなぁ~」という意向も含めて、工業系に特化することになった。

ここは、個人や家庭の考えの差が多分に出るところではあるのだろうが、私自身も大学は行っていない(高専卒→就職)ので、大学進学や学歴、出身校にこだわりはない。むしろ自分の経験では、大卒技術者に比べて技術的な劣りはなく吸収度は高いというメリットもあった。何より学びたくなれば、どの年齢からでも学べる時代である。

そんなわけで、国立、県立の工業系の学校を候補として選定をしていた。

もう一つ、本人が「どんな高校生活を送りたいか」という希望もある。これもありがたいことに、当人の希望が明確だった。
「僕は南下したい、青春をしたい、学校帰りに友達とショッピングモールとか行きたい」不純だが明確だ。まぁ夢見る高校生とすれば不純ではないか笑

学力的には、超がんばってA校、やや頑張ってB校、無難にC校、余裕のD校という選択肢があった。
この中から、B校、C校を夏休みに見学に行き、C校は毎日通うの大変という理由で、B校に絞るという結論となった。
父親的には、夏休みから頑張ればA校行けるな、と思っていたし、なにより母校であるから勝手もわかっていたのでアリだな。とも思っていたのだが、本人の熱量はそこまでではなかったので、早々に撤退。親の意向なんて必要ないな。と改めて思った次第。

そもそも、成績的には明らかに「文系」の息子が、工業高校に行きたいと言っているのだから、このあたりの擦り合わせの方がよほど大事だと思った選定過程になりました。

目標とストーリーを明確にする

そんな、得意分野と本人希望が乖離している中での、目標高校設定となったので、やや本人の目指すべき道やストーリーがぼんやりしていた。
夏が過ぎ、秋も終わりに差し掛かるくらい時間が経過しても、そのぼんやりが解消されてこなかったので、目標設定を明確にすることにした。
流行りのオオタニサンもやっていた81マスのアレである。

高校受験に向けての目標設定などしても意味がないので、どんな姿で高校卒業して技術者になりたいか?というところを辿って目標設定をした。
親子で考えること約1週間。私の習性で、正直もっと深堀したいところではあったが、詰めすぎて当人のモチベーションが下がってしまっても勿体ないので、適度なところで手打ちとした。

後から考えると、これはやってよかったと思える取り組みとなった。
特に受験時の面接対策や、担任の先生との面談において、具体的に何をどうという会話に一気に進展した。

塾は必要だったか?

ところで、息子は一度も学習塾というものに通わずに受験を迎えた。
そこだけ切り取り、結果も合格なら実にカッコいいのだが、実態はそんなことはなく。本人は自由を奪われるのを嫌い、親は本人のやる気がない所に時間も金も費やすのは不毛と判断していたからである。首根っこ捕まえて勉強させるという気は両親ともに全くなかった。それはそれで本人の人生。

故に、彼は日常的に、固定の、勉強をするという習慣が身につかないまま、中学三年生の冬を迎えている。秋が終わるまで、本当に勉強していない。1日15分~30分、学校の課題もキチンとこなしていたのか微妙なところ(本人はやっていると言っているし、一応「2年生まで提出物全然出ませんでしたが、3年生でようやく出せるようになりましたね」と言われる始末…)で、流石に何度目かの三者面談で、「今、家では頑張って30分勉強するようになりました!」と、胸を張って言った時には、思いっきりズッコケたものだ。。。

根がまじめで、地頭は悪くないので、授業をキチンときいていれば、そこそこの点数が採れてきた。これが良くもあり悪くもある笑 特に中学3年生の半分が過ぎ、新規で覚える事よりも、過去覚えたことを振り返る、つまりいわゆる「受験勉強」となると、途端に失速する。それはそうだ、授業を真面目に聞いていたことだけ、短期的な記憶のやりくりでは、結果が出ない。
過去の蓄積、記憶の定着、根本的な理解が求められている。
本人がそう気づいたのは、冬の始まり時期のことであった笑
まぁ、気づいただけよかったが。

そう考えると、家庭学習(ができない前提で)の代わりに、塾に通い学習の習慣をつけるというのは、やはり一つの選択肢であったと思う。

しかし!

それでも結果的には「塾に行かずに良かった」と私は思っている。(まぁ結果が出ればだが)

共に学ぶ。親子のコミュニケーション

息子の勉強スイッチが入ったのは、冬休み明けの1月上旬。
改めて思う、超遅いよ。笑
きっかけは、年末?年始?の学校のテストの結果で「このままだと志望校合格率30~40%ですよー」と、これまで維持してきた?50%から確率が下がったことにある。

とはいえ、スイッチが入ったのは良かった。全ての電子機器を封印し、勉強をする。と言い出しゲームスマホを差し出した。併せて、「お父さん、お母さん、勉強を教えてください」と言い出した。

なかなかしたたかな息子で、教科によって、時間帯によって、父と母を使い分けていた。国語、社会は母に、英数理は父に。
特に英語は頑張った。まずは、one, two, three….のスペルの復習から始まったのだから、その道の険しさを想像してほしい笑

毎日少しずつ、1~2時間、マンツーマンで一緒に勉強した。学習が進むにつれて、こちらも答えを見なければ教えられないところも出てきて、一緒に中学校の勉強をしているような気分にもなる。

しかし、これも良かった。毎日、向かい合って学びあうことで、成長具合も弱点もわかるし、何より、単純に学習以外のコミュニケーションもとれる。
結果の数字だけ見て、闇雲に心配している時期を脱し、適切に不安と安心を切り分け整理することができた。

そんな姿を見ていた妹弟達も、あぁ振舞えば、父母を活用できる(甘えられる)という副産物も得られた。
失ったのは、1カ月半、趣味のウクレレ練習を一切できなかったという事くらいか。

一年間の山と谷のコントロール

ところで、年度頭から担任の先生に訴え続けた「途中で痛い目を見せてやってください」は、本当にそう思っていて、1年ものプロジェクトにもなると、良い時期と悪い時期が必ず訪れるものであり、そのタイミングをコントロールできれば、つまり、良い波を受験当日に持っていければ、目的を達成できるというものである。
失敗から学ぶことは多いというが、そのタイミングをつくる必要がある。わざと失敗するというのも変な話だが、悪い時期を意図的に作り出す必要があるわけで、私的には(これはエゴだが)初秋にソコをつくり、そこから緩やかな右肩上がり、を、イメージしていた。

ところが実際は、、、
冬も冬の冬休み~1月上旬が谷の底打ち。
そこから急激に山を登り始めたわけであった。
意図的ではなかったが、集中力的にも、体力的にも、受験日数日前がピークと見えた。(最後はやや集中が切れていたので数日早かった)

ちょっとイメージした流れとは違ったが、彼の能力、特性的に、短期集中は適していたものと思うので、結果オーライとした。
まぁ結果が出れば。の話だが。

こうして1年間を振り返ったまとめ

さて、こうして経緯を整理すると、受験生の親・初心者としては、それなりに、ともに悩みながら過ごした1年であったのを改めて感じた。
なかなか面白い一年だった。

これで望むべき結果が出れば万々歳だが、ダメならダメで、まぁそれも新たな人生経験と受け止める心構えはできている。

まぁ、多分良い結果は出る。
なぜなら「彼は本番に強い」から。

信ずれば成る。

とどのつまり、親のできることの究極は信じる事だろう。
そう思えたことが、今年一年の親・初心者の学びだろう。
あとは一晩、寝て待とう。

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