時と、所が変われば……
以前、都心から少し離れた場所に、理想の『村』を作ると、開発・分譲に乗り出した建築会社がありました。
その会社が作る家は、エコを重視し、家の中は、冬は暖かく夏は涼しい、理想の家。
都心から離れているけれど、それほど遠いわけではないので、自然に囲まれた環境で暮らし、都内に出勤するにも便利と謳って売り出していました。
テレビでも、新しい取り組みとして取り上げられたのですが……
ネットで検索してみたら、現在、放置されてボロボロになったその家と、周辺の状況が出てきました。
この画像を上げた人は、それがかつて大々的に売り出されていた理想の家だとは知らず、『ミステリアスな謎の家』として載せたようです。
同時に、いまだに、綺麗だった頃の家と、売り出し区画のCMがネット上には載っています。
どういうことなんだろう?
実は私も、一時期その家に憧れて、お金があったらこんなところに住みたいなと思ったもので、すごく気になります。
でも、さすがにボロボロになった家の方が本物でしょうから、開発は中断されたと見るのが妥当でしょうね。
かつて、高度経済成長期に、かなりヘンピなところに、多くのニュータウンが造られ、たくさんの人が移り住んだ時代がありました。
今で考えたら、とんでもなく法外な値段でも、惜しげもなく出して、夢のマイホームを手に入れた人がたくさんいました。
ローンを組んでも、終身雇用、給料は上がることはあっても下がることはないと信じられていた時代。
インフラもどんどん奥地に広がっているので、どんなヘンピな場所でも、便利になるはずと信じられていました。
しかしバブルがはじけ、不況が続き、世界情勢も不安定になり、働けない人が続出し、人手不足が深刻になり……
開発業者も倒産、インフラを整備する資金も無くなり、山奥に開発されたニュータウンが、陸の孤島となり、その中で高齢化が進むという、最悪の事態になっているようです。
人間の見る夢とは、なんと浅はかなものなんでしょう。
商売をする側は、自分の売り出す商品が万能であるかのように宣伝しますが、実際には表面だけを取り繕っていることが多い。
時を経ても変わらないかのように見えて、実は一寸先もわからない状況に、私たちは生きているんですよね。
山奥のニュータウンだけの問題ではなく、都会に住んでいたとしても、いつ、何が機能しなくなるのか、わからないものです。
以前、観光地に行った時、お店が軒並み閉まっていて、食事する場所が見つかりませんでした。
私が行ったのは平日だったので、土日になれば賑わうのだろうな、と思っていたら、同じ場所に、週末に行った人も、やはりお店が閉まっていたと言っていました。
人手不足、物価上昇、食材が入手困難など、お店が経営できない状況になっていて、観光地がどんどん寂れているんです。
私たちが暮らすこの時間、この場所は、まさに砂上の楼閣!
いつ崩れてもおかしくない。
ふと、『そらいろのたね』という絵本を思い出しました。
男の子がキツネから、空色の種をもらいました。
種を植えて水をやると、家が芽生えました。
小さな家に、いろいろな動物たちがやってきます。
入る動物に合わせて、家はどんどん大きくなり、
立派なお屋敷に生長します。
それを見たキツネが、これは僕の家だ!と言って
みんなを追い出してしまいます。
すると、家は……
結局、暮らしというのは、モノではなく、ヒトのつながりなんだろうな、と思います。
どんなに立派な家も、時が変われば価値が変わり、場所によっても価値が変わる。
しかし、どんな家でも、そこに人のつながりがあれば、温かい。
今後は、物質の価値より、人のつながりが重視される時代になるのかもしれませんね。