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家庭をささえられるのは、だれ?

文科省から出される不登校についての調査では、必ずと言っていいほど、本人の問題や家庭の問題が、原因の上位に上がっています。
学校に調査しているので、学校側が都合の良いように、家庭問題に責任転嫁している、という見方をする人もいるようですが、そもそも、子どもと家庭に原因があったとしても、それを支援せずに放置している学校側の責任はどうなのか?と、私は思います。
こういう主張をすると、
「教員の忙しさを知らないのか?これ以上教員を苦しめるのか?」
というような、明後日の方向に議論が流れていってしまうのですが、そもそも、今の教員の忙しさは、本来の教職の責務ではないところにあって、そういうシステムを放置している文科省に元凶があると、私は思っています。
つまり、いちばん責任放棄しているのは、不登校調査などをおこなって、いかにも『手のかかる子どもと、機能不全の家庭が増えたから、国も教育機関もお手上げなんだ』と吹聴している『国』であることは明らかです。

昔から、育児に相応しくない家庭はたくさんありました。
昭和の時代に流行った『おしん』というドラマなんて、児童虐待・人身売買・奴隷扱いなど、とんでもない犯罪のオンパレードで、それが貧しい地域では当たり前とされていた時代(明治・大正)が確かにあったわけです。
貧しい家庭の家族の命を救うのが、子どもを売買するエージェンシーだったわけで、その意味では、人身売買は貧しい家庭の『支援者』だったわけです。
そう、みんなが貧しい時代には、そうやって支え合って生きていたんですね。

世の中が豊かになって、ほとんどの人の生活水準が上がり、『おしん』の時代のような貧しさは無くなりましたが、物価も土地も高くなったことで、逆に生きるのに必要な費用も桁違いになりました。
さらに人と人とのつながりが薄れていき、個人情報だなんだと、命に関わる情報ですら、隠すようになってしまいました。
もし、これが『おしん』の時代なら、食べるものに困った家族は、おしんを売ることもなく、一家で餓死をしていたでしょう。
それで『おしん』は虐待を受けずに、めでたしめでたし、なのでしょうか?

人間が生き抜くには、あらゆる手段を必要とします。
貧困を生き抜いて来た時代の人は、児童を売ってでも、生き抜かなければならなかった。
そんな時代が過ぎたからこそ、今、「子どもの人権を守る」と言う「余裕」が持てるようになったのです。
つまり、社会の豊かさと余裕の象徴なんですね!

こんなに豊かで余裕のある世界なのに、子どもの虐待や不遇な状況が減らないのは、明らかに、富や時間を独占し、敢えて『助けられないように』しているシステムが原因だと思います。

守秘義務というものが必要以上に重視されて、知り合いだから、近所だから、というだけで、家族に立ち入ることが難しくなりました。
おせっかいなどしようものなら、訴えられてしまうかもしれない。
そういう時代に、子どもの家庭環境も含め、広く情報を持っているのは、ほかでもない『学校』なんです。
つまり、『学校』こそが、家庭が立ち行かなくなったときに、サポートできる唯一の窓口、機関なんです。

私が教員を目指すキッカケになったドラマがあります。
放映された年が知られると、年齢がバレバレですが、YouTubeにも上がっていました。

主人公は、中学校の特殊学校(現:特別支援学級)の担任を任された、新米の女性教諭。
障害児のことなどまるでわからず、思うようにいかずにクラスは荒れて、何度も辞めようと思うのですが、何とか耐えて、やがて、いちばん乱暴者だった生徒を信じようと決意し、大切な鍵を預けます。
鍵係になった生徒は、役割を任されたことを誇りに思い、先生を心から信頼するようになります。
ところが、嵐の夜に鍵を外に落としてきたことに気づき、先生の家まで謝りに行こうと、船で向かうのです。(漁師町なので、海岸沿いの家同士は船で行き来するのが早かったらしい)
そこで、船が転覆し、生徒は亡くなってしまいます。
先生は責任を感じて、今度こそ教師を辞める覚悟をするのですが、生徒の両親は、「家業が忙しく、ましてや障害があってどう扱って良いかわからなかった息子を、唯一信頼してくれたのは先生だった」と言って、感謝を伝えます。
これは、実話をドラマ化した話です。

古いものだと、『二十四の瞳』、『兎の眼』という小説に、これと似たような話が出てきます。
まだ教員になりたてで、子どもに翻弄される若い女の先生が、体当たりで子どもに接し、子どもの家庭環境に入り込み、やがて子どもたちと強い絆で結ばれる。

貧しい時代、家庭はとにかく生きることに必死で、子どもを救う役目は学校だったんですね。

この豊かな時代に、学校はいったい、何の役目を果たしているのでしょうか?

私も、担任の先生に、親に支配されていることを気づいてもらえたからこそ、最悪の状態にならずに済んだのだと思います。

親がまともに子どもを育てることが出来ていないと、分かっているのなら、なぜ、助けない?
文科省のアンケートは、学校がいかに本来の機能を果たしていないのかを証明するものだと思います。

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