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心の傷はどこから?

これまで思い出したことをつらつらと書き綴ってきました。
改めて、どんな出来事が私の心の傷になっているのかを整理してみたいと思いました。

振り返れば私は、人生の大切な局面で、何かに怯え、起きていること以上に悪いことを想像し、最後まで自分を信じ切ることが出来ず、全て諦めたり、結果として人を裏切ったりしてきました。
自分を信じることができないというのは、人生を生きているようで、実は惰性で生きながらえているような感覚があります。

今現在も、何となく日々が過ぎていく感覚です。
そこに少しでも意味を見出そうとしているのですが、どれもこれも虚しいばかり。
それでもできるだけ明るく日々を過ごさなくてはいけないと思っているので、無理がたたって心が壊れそうになってしまうこともあります。

特に何も起きなくても、こんな虚しい心を抱えているなんて。
世の中には明日生きられるかもわからないというのに、贅沢な……。

そうやってまた、自己嫌悪に陥ってしまうのです。

けれどきっと、心の傷が癒せれば、どんなに辛いことが起きようと生き延びられる強さが人間にはあるのではないかと思います。

人間が生きるのは、置かれている環境がどうかではなく、自分に「生きたい!」と思う力があるかどうか。その力=エネルギーが、私にはあまり無いのです。
平坦な広い道を走っているのにガス欠になった車に乗って、ガス欠だということに気づかず、こんな広くて走りやすい道を走っていながら、なぜ動かない!とイライラしている状態。
自分がなぜガス欠になったのか。ガソリンスタンドを見つけるにはどうすれば良いのか……。
2024年は、それをしっかりと考える年にしたいと思います。
それがわからない限り、私はガス欠になった車を押して、どこまで続くかもわからない広い道を1人で歩き続けなくてはならないからです。

思い出せる出来事とトラウマとのつながり

①『食べること』に罪悪感がある。
食事を大切に思えない=突然大食いをしたり、食事を取らなくても平気だったり、自分のためだけに食事を作る気になれない。
→妹がよく食べる明るい子で、それを見て母が嬉しそうにしていた。対して私は食が細く陰気な子として毛嫌いされていた。(嫉妬、寂しさ)
→「あなたは2歳の頃、帝国ホテルのディナーに連れて行って、とてもお行儀良くしていたのよ」と母は成長した私に何度も話した。(一所懸命躾けたのに思い通りに育たなかった。ガッカリという母の態度に、自分への情けなさを感じる)
食を大切にできない
食事を摂ることに罪悪感をもつ
自分という存在が忌まわしいので、自分に食べさせることも面倒くさい。

②他人が否定したり、悪い評価をすると、自分を全否定されたように感じてしまう。
また集団の中に入ると、みんなが私を怪訝な目で見ているような気がする。

他人の否定や評価は、相手の感じ方、考え方なので、自分とは相容れなかっただけ、ということは頭でわかっているのですが、特に私に対してそっけない態度を取る人に敏感で、その態度は私のことを見下しているんだと考えてしまうクセがあります。
もちろん、本当に見下されていることもあるのですが、ただ単に相手の眼中に私が居なかっただけかもしれません。しかし私には相手が取った行動だけで、私をバカにしているんだなと感じられる。
→幼い頃、母と妹が私の行動を呆れて見ていた記憶がある。
→小学校高学年の時、私は2階の部屋にいて、1階に妹の友達が何人か遊びに来ていた。階下の声が聞こえ、「お姉ちゃんはいるの?」という友達の問いに母が「お姉ちゃん、変わっているから出てこないの」と答えていた。
→親戚などが集まって話をしている時に、私がそれに加わろうとすると、「子どもはあっちに行っていなさい」「あなたは、幼い従兄弟たちの面倒を見ていて」と追いやられたことが何度もある。自分は重要な話に加わってはいけない
周りの話が理解できるほど頭が良くないと思われている。
頭が悪いだけでなく性格も悪いので、いつもみんなからバカにされる。

③物事をスムーズに進めることが出来ない。時間が掛かる。焦って失敗する。指示通りにできない。
大人になって、手作り品のワークショップに参加した時に、自分の作業が他の人よりかなり遅いことに気付きました。他の人が仕上がっているのに私は全然出来ていなくて、気づけば周りの人が私の作業を待っている状態。
恥ずかしくて焦れば焦るほど、失敗してやり直し。
小さい頃から不器用でノロマだったのですが、大人になっても周りの人から遅れを取っていることに気づいたきっかけでした。
家事も苦手。事務作業も苦手。仕事でも職場の整理整頓や家事的なことは分担してやらなくてはいけないことがありますが、結局そういう時に力を発揮できないどころか、周りの人の足を引っ張ってしまいます。
→夏休みの宿題など、大量に課題が出されると、出来ないわけでは無いけど、何をやろうか考えることに時間が掛かり、結局締め切り間際になってしまうことが多かった。そこで母は、自分の得意な文章を書くことは母でやってしまおうと考えて、読書感想文などは母が書いたものを写して提出させられていた。
自分で企画して、想像して、締め切りを予測して取り掛かるという体験をゴッソリ持っていかれていたので、そもそもの作業の遅さに加えて、自分で完結させようという意欲を持つことが無かった。
他力本願
プレッシャーとコンプレックスが強い
出来ないと、周りの冷たい視線が辛いので、逃げ出したくなる。途中でやめたくなる。

総じて、私は幼い頃から、考えるにも、行動するのにも、大変時間の掛かる子どもだったようです。
さらに、自分の周りしか見えていなくて、今自分は何をするべきかという立ち位置を掴むのが苦手だったのだと思います。
こうした子どもには、大人は焦らずじっくりと付き合ってあげて、本人から何かを始め、自分の力でやり切る体験を与えてあげないと、全てを諦めてしまったり、そもそものやる気を無くしてしまうことがあります。
私の親は、その真逆の対応をしてきたのです。

そもそも自発性や積極性に乏しい子になったのは、①の、2歳以前にセレブ教育を施そうと考えた親の身勝手な対応が影響しているのではないかと私は思っています。
まだ幼い私が何かをやりたいと言う前に、親がやらせたいということを強要した。
「ママ」と発語すれば「お母様よ。お母様と言いなさい」と教える。
つまり「ママ」と発語した赤ん坊の私を全否定する。
手づかみで食べたいものに手を出そうとすると、厳しく制して、まずテーブルマナーを身につけさせようとする。

こんなことをされていたら、赤ん坊の私は、常に親の顔や行動を伺いながら、やって良いことと悪いことの判断を身につけて行くわけです。
そして出来上がった他力本願消極的な子どもの私に対して、親は「なんてノロマでボンヤリした子どもなんだろう?」と苛立ちを募らせていきます。
そして学校に上がっても、全てに遅れを取ってしまう恥ずかしい子どもになってしまいました。
だから親は、その恥ずかしさを少しでも隠すために、宿題を代わりにやってしまう。私がやろうとしていること、やらなくてはいけないことを、先回りしてやってしまう。
私はいったい自分が何をするべきか、何をしたいのかわからないうちに、物事が勝手に進んでしまい、気持ちだけが取り残されてしまったのです。
妹と違って、ボンヤリしていて陰気な自分は恥ずかしい存在だと思い込んでいたので、妹の友達に会うのは恐怖でした。
「○○ちゃん(妹)は明るくて楽しいのに、お姉ちゃんは変」
と言われるのが嫌だったのです。

幼少期の私は、こうして世間の人から遅れを取り、表に出るのも恥ずかしい存在だと思い込まされてしまいました。

こうして書き出してみると、原因がわかるのですが、幼少期に受けた心の傷は、頭で考えることより先に、身体に恐怖となって現れてしまいます。
このトラウマをどうやって自分の中から抜いていくのか?
それが2024年の課題になると思います。





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