【思考整理】世であふれる「自己肯定感」という言葉。私がおかしいと思うことは。

こんばんは。
お読みいただきありがとうございます。

5歳3歳男の子の母。
今日は「自己肯定感」という言葉への違和感について。

「自己肯定感」という言葉が世にあふれるようになったのと
子育てを始めたのが
まあまあ同じような時期だったので

私は「自己肯定感」という言葉は
子育てをするために大切なワードなんだと受け止めました。

そして我が子が「自分」という存在をしっかりと受け入れられるよう、
まずは親の方からあふれる愛情を伝えることが大切だと思いながら
(そうは言いつつかなり右往左往、もがきながら)
子育てをしている真っ最中。

なのですが。

この自己肯定感という言葉、
かなり広い範囲で使われていることがわかってきました。
そして自己肯定感が高いとか低いとか
いや自己肯定感じゃなくて自己受容感が大切なんだとか
なんだかよくわからないようになってきて

またあちこちで自己肯定感という言葉が聞かれ過ぎて
少し飽き飽きしてきた感も…

…と、思っていたところに
ひーさんのこんな記事を見かけ。

あーわかるわかる。わかるなあ〜〜〜
と思いながら、読ませていただきました。
(勝手に記事拝借。ひーさん、スミマセン。)

でも、自己肯定感という言葉が私も大嫌いなのか?というと
そこまででもない。
ないんだけど、違和感は、確かにある。
その違和感を突き詰めたいな〜と思ってここ数日考えて、わかった。

ありのままを受け入れるという自己肯定感
高いとか低いとかっていう評価をつけるのが、おかしい。

他に「◯◯感」っていう言葉、たくさんあるけど、
その言葉たちは高い・低いという評価はくっついてこないはず。

◯◯感…何があるかな。
違和感
安心感
焦燥感
悲壮感
無力感
優越感
劣等感
爽快感
逼迫感
圧迫感
安定感
親近感
透明感
…他にもいっぱいあるはずだけど、まあこの辺で。

この中で、高い・低いをつけてもおかしくないのは、
安定感
くらいかな?
でもそれも、「安定感が高い」というよりは
「抜群の安定感」みたいに使った方が日本語的に綺麗な気がする。

◯◯感っていう、その言葉がもう
何らかの状態を表しているので
そこに高いも低いもない、はず。

もちろん、自己肯定感も然り。

それなのに高いだの低いだのと無駄な評価をつけて
自己肯定感の低い人は高くする努力をすべきみたいな論調が出てきたり
私は◯◯をやって自己肯定感が上がりました〜キラキラ、みたいなんが出てきたり
よくわからん方向に向かっている風潮が一部あるような気がします。

俗に言う「自己肯定感が高い」という状態は
生まれながらの性格と幼少期の育ちがかなり影響している、と私は思っていて

つまりそれは
頭が良いとか、顔が美しいとか、運動神経が良いとか、要領が良いとか
そういう類のものと同じで
大人になってから、その評価をひっくり返すのはかなり難しい、
持って生まれたもの的な要素が強い。
(この持って生まれたものには、育ちの環境も含みます)

それなのに自己肯定感だけは、誰でも簡単に上げられるような言い方をされているところに
なんだか落とし穴があるように感じます。

自己肯定感は、多分、上げ下げできるようなものじゃないんじゃないかな。

じゃあ自己肯定感の低い人はもうこの先どうしようもないのか?
というと、そうではなくて。

人生のいろいろな経験の中で
いろいろなことを乗り越えていく中で
だんだんと、
まあこんな自分もOKかな。
と思えるようになってくる段階が来ることもある
と思います。

それは、どちらかというと
身についたという感覚なのかな。と私は思います。

上げ下げできるものではなく
たくさんの人生経験の中で、ゆっくりと身につけていくもの。
(苦労なく身についている人ももちろんいる)

でも今の世の中が
結果至上主義というか
ああすればこうなるという、方程式みたいな生き方を求めがちなような気がしていて

ありのままの自分を〜ナンチャラと言いながら
ものすごく正解だけを追い求める生き方をしてしまっているのではないかな、と思ったりします。

大人の思考回路は、そう簡単に変えられるものではない。
そもそも、自分を肯定してあげるその先に、何があるのだろう。
短期間で自己肯定感が上がりました〜キラキラ、ということではなく、
ゆっくりゆっくり、自分を見つめて、歳を重ねるごとに、
こんな自分も、まあ悪くないよね◎
と思える自分でいたいなと思います。

*****

この自己肯定感という言葉について悶々と考えるとき
私はいつも心理学者エリクソンの発達理論が頭に浮かびます。
(…と賢そうに言ってみたけど、あまり詳しくわかっていない)

8つの発達段階の中の
青年期(13〜19歳)。
課題は、自我同一性(アイデンティティ)の確立。
つまり、自分らしさとか、自分とは何者であるか、ということを悩み考え、自分という存在を確立させていく時期。

大学の心理学の授業で習ったのだけど、
私が覚えているのは、これ↑と、パブロフの犬くらい。笑

で、アイデンティティの確立。
以下、私の解釈。

若い頃には、
「理想の自分」と「現実の自分」とのギャップが大きすぎて
現実の自分をなかなか受け入れられなくて
頑張ろうにもどうにもならなくて
自分の価値も良さも何もかもよくわからなくなって…
ただただ
自分はダメだ〜〜〜自分なんて大嫌いだ〜〜〜
となる、この時期に

自分のクセも、陥りがちパターンも
どうにもこうにもならない外見も性格も能力の低さも
たくさん悩みながら受け入れて
ん〜〜〜まあ、こんなもんか!!!!!
っていい意味で諦めながら

現実的に実現可能な方向に向かって、自分を高めていけるような
そういう思考回路を得ていくのが、アイデンティティの確立。
…かな。

そして、エリクソンは青年期を13〜19歳としているけれど
私自身は、20代半ばまで続いてたんじゃないかなと思います。

モラトリアムは長くなる一方だけど
でも、ここでしっかり確立したアイデンティティは
その後人生のいろいろな段階で
もしかして打ち砕かれそうになったとしても
きっとその人は、立ち上がる力を持っている。
と私は思います。

定義のよくわからん自己肯定感よりも
この
アイデンティティの確立

もう少し深めていきたいなと思います。
(家に残っていた大学時代の心理学の教科書には1ページしか書いていなかった…)

******

ただただ私の頭の中を整理するために書いてみました。
尻切れトンボ感がちょっとあるけど、今日はここまで。
お付き合いいただきありがとうございました。

小さな幸せがあふれる毎日でありますように◎

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