「光る君へ」うろ覚えレビュー《第41話:揺らぎ》
■はじめに
第41話のタイトルの「揺らぎ」。これは何を意味するタイトルか。
ドラマの脚本を担当される大石静先生の意図はわからないが、勝手に推測してみた。
この「揺らぎ」とは、表面的には「この世の春」を謳歌するかのような藤原道長だが、実際には彼を中心とする藤原家とその周辺に関わる周囲の人々との関係に少しずつほころびが生じ始めていることを表しているのでは…。
今回はその点を意識して書いてみる。
■三条天皇はやる気だ
三条天皇は、年下の一条天皇に先に即位され、なかなか天皇になれなかった人物であった。待ちに待った今回の即位だ。
彼は張り切っている。ま、より良い世の中を目指す以上に、天皇の地位を利用して好き放題したい感じだが。
まず、道長の思惑通りにはさせじと、道長や彼の嫡男の頼通よりも道長の兄、甥を側近にした。おかげで藤原家の中にも嫡流と傍流との軋轢というものが表面化していく。
一条天皇の四十九日を無視して内裏に入ったが、ドラマ内は冷ややか。
全くめでたそうな雰囲気じゃない。
「天皇ご即位、おめっとうさんです!」
とかないのね。
だが三条天皇はそんなことは意に介さず、道長に関白就任を求め、道長がそれを断ると、ならその代わりにと道長とは直接血の繋がらない藤原娍子、そして道長の次女妍子を女御にした。
「女御」というのは、中宮の次に身分の高い天皇の女である。
道長が関白になってもならなくてもこの「お願い」を通すつもりだった気がする。
さらに蔵人頭(天皇の秘書であり、この役職が公卿となるための登竜門と言われる)の役にあった娍子の弟の藤原道任をも参議に昇進させた。
道長を廃して親政(帝自身による政治)を進めようとする三条天皇と左大臣の道長との戦いは、言い換えれば道長を慇懃に押しのけようとする帝と、それをはぐらかそうとする道長との駆け引き対決である。
その戦いにクリアな結果はまだ出ていないが、最高権力者・道長の側にある人々にボディ・ブローのような悪影響、つまり「揺らぎ」が出てきてはいないだろうか。
■道長の言いわけ
藤式部(まひろ)の局に道長がやってきた際、藤式部(まひろ)が核心を突く質問を道長に放つ。
「道理を飛び越えて敦成親王を東宮に立てはったんは、なんでですのん?」
さらに「より強い力をもつためなのか」とたたみかける藤式部(まひろ)。
ところがね、それに対する道長の答えがなかなか卑怯なんよ。
「おまえさんとの約束を果たすためや」
「やり方は強引やけど、お前さんとの約束を胸に生きてきたんや。今もそうや」
というのである。
昔、道長が藤式部(まひろ)に藤原家を継いで、民のためによい政治をする、とかなんとか言ったアレのことだと思われる。
そして極めつけは、
「そのことはお前さんだけには伝わってると思ってるで」
という強要である。
まるで藤式部だけではなく、お茶の間の全視聴者に向かって言っているように聞こえた。
聞いた藤式部(まひろ)はそのままその言葉を信じたろうか。
あたしにはずるい言い訳に聞こえるのだが。
■中宮・彰子の底力
中宮彰子は日増しに力を増し、こう言う。
「このさきも父上(道長)の意のままになりたくないねん」
彰子に賛同する者は意外とたくさんいるのではないだろうか。
まひろのアドバイスもあって、彰子は実弟と腹違いの弟たちを集め、「チーム彰子」を形成しようとする。
それがどれほどの効力をもつのか不明だが、父親である道長の権力に対して直接対決はしないものの、彼女なりのバランス感覚で正しいことを正しく行おうとする意志が感じられ頼もしく思える。
これも道長の身内の中の「揺らぎ」の一種だろうか。
■朝廷の良心・藤原行成
僥倖である。やっと、やっとですよ。
ようやく41話にして、「朝廷の良心・藤原行成」らしい場面を見ることができた。飯がうまい。
敦康親王が中宮彰子の顔を見たいがために御簾の中に入り込んでしまうという軽挙に及んだ。これが道長の怒りを買った。
「敦康はんを二度と内裏に上がれんようにせぇや!」
と命じたのだ。
相変わらず、道長は血のつながっていない敦康親王には意地が悪い。
だが、それを命ぜられた藤原行成が、道長の言うなりにはならなかった。
「先の帝の第1皇子でっせ。そないなことはできまへん」
初めて道長にはっきりと異を唱えたのである。
よく言うた、行成。
彰子は国母となるお方だから、危ない目には遭わせられない、というのが道長の言い分。
しかし行成は、
「恐れながら(実は恐れてへんけど)言わしてもらいまっけど、左大臣はんは敦康はんからぎょーさんのこと奪いすぎですわ」
「左大臣はんがおかしいんでっせ。失礼しまっさ」
といってその場を離れてしまったのである。
きゃぁー!(←このうろ覚えレビューで初めて出す黄色い声である)
やった。やった。
実は、当時の行成は敦康親王の家司を務めていた(史実)。
家司とは、主人の家の家政を采配する執事みたいなもんだ。
蔵人頭として長く一条帝に重用されていた行成は、帝への忠誠心があったからこそ、同じく自分を重用する道長の野心と天皇の間で苦しんだ。
心優しき一条天皇の願いを押さえつけ、道長の言い分を聞かざるを得なかった状況に良心の呵責があったのではないだろうか。
だからこそ、定子と一条天皇亡き後、後ろ盾がなく心細い敦康親王を、風当たりの強い朝廷の人々から護っていたのが家司の行成だった。
言っとくけど、敦康親王を護っているのは、目を吊り上げて彰子サロンに乗り込んできたファースト・サマー・ナゴン(清少納言のことです)ではない。
今までは道長のためにかなりの無理も聞いてきた行成が、今度という今度こそは顔色を変えて「左大臣がおかしい」と言ってのけたのだ。
よう言うた。よう言うたよ、行成。
それでこそあたしの推しである。
公卿にだって、正しいバランス感覚を持った人は存在したのだ。
ほらね。
なんでも強行する道長のそばで仕える者の中にも「揺らぎ」が見えた。
■19歳の青年を出家に追いやった道長
先程も挙げたが、三条天皇は蔵人頭だった娍子の弟の道任を参議に昇進させた。当然、蔵人頭のポストに空きが生じ、天皇は、道長と高松殿(明子)との間に生まれた藤原顕信をそこに据えようとしたが、なんとそれを道長が固辞したのだ。
憧れであった蔵人頭の役職を、父親がみすみす断ったことに、顕信本人はショックを受け、絶望した。
母親の高松殿(明子)も怒り心頭である。
「殿は顕信よりあんた自身が大事なんちゃう?」
と言い放った。
「顕信のことはちゃんと考えてるがな」と取り繕う道長に「ウソ言うたらあかんで」と鋭く切り返す。
顕信も
「父に道を阻まれたんや。俺なんておらんでもええような息子なんやろ!?」
と道長に詰め寄る。
そして顕信は、のちに親にも伝えず自分の身分を捨てて出家してしまったのである。
高松殿(明子)は
「あんさんが顕信を殺したんや!」
と言って道長を責め立てた。
道長もこれには何も言い返せなかった。
高松殿(明子)が言うように、
「帝との力争いにこの子(顕信)を巻き込んだ」
わけだ。
高松殿(明子)が正妻ではないとはいえ、その子を蔑ろにした道長の罪は、高松殿側の家族たちに深い傷を残したことは間違いない。
ここにも大きな「揺らぎ」が見えるではないか。
■清少納言が怖い
もう怖いです、この人。
「揺らぎ」どころか後宮の中心、中宮彰子たちをぶんぶん振り回しそうな勢い。見ていて痛いけど。
彼女は、中宮彰子を囲む和歌の会の最中に押しかけてきた。
今なお喪服を着て(伊周か、定子か、一条天皇か、それら全員のために喪に服してるのかな)目の下にクマでもできたようで、顔色悪いし、目つきも悪いナゴンだ。
発する言葉にいちいちトゲがあって(言葉もナゴンも)痛い。
「もう敦康さまのことは済んでもうたことなんでっしゃろなぁ。このようにおたのしそうにお過ごしのことやなんて・・・」
「ここはあてが歌を読みたくなるような場ではございまへん」
「ご安心くださいませ。敦康さまをお忘れになりはっても大丈夫ですわ」
嫌味たっぷりに言い放ったナゴンは、去り際に藤式部(まひろ)を恐ろしい目つきで一瞥して去っていったのである。おお、こわ。
モウ、コノヒトハ私ガ憧レルカッコイイ清少納言デハナイ。
まぁ、藤式部(まひろ)もしっかり自分の日記に「清少納言は得意げな顔をした」「ひどい方になってしもた」などと書き残している。
残念ながらナゴンの彰子サロン殴り込みは、見世物的ショックはあったが、影響力はそれほどなかったように思える。
「揺らぎ」があったかどうかは、ちょっとよくわからない。
■賢子と双寿丸
双寿丸と賢子との関係も少し気になるが、双寿丸が架空の人物なので、これからどうなるのかさっぱりわからない。
とにかくよく飯を食らう双寿丸は、いとを怒らせてばかりだ。
が、それもよかろう。
彼女が乳母として育てた惟規亡き後、彼がいない寂しさを紛らわせるには、賢子や双寿丸のことで心配したり騒いだりするほうが、彼女の気も紛れてよいかもしれない。
乙丸もすっかり年を取ってしまった。
言うてることがわけわからんが、あれくらいちゃんと言え。
藤原為時の家では、今や賢子と双寿丸こそがネクスト・ジェネレーションとしての元気の源らしい。
予告編では、次回の道長が随分顔色悪かったみたいだけど、世代交代は身分には関係ないってことよね。
今回の「揺らぎ」が次回の道長にどう影響していくのか、楽しみである。