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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第48最終話:物語の先に》

「光る君へ」は、フィクション部分も多く、さまざまな史実を無視し切り捨てて歴史家にしてみたら噴飯ものかもしれない。
だが、一周回ってどんなに裕福でも感じる生きていくことの難しさや老いのリアルで残酷な真実も描かれていたと思う。
最後だから長めですみません。

■いきなりメインディッシュ、倫子の言葉。

今回がドラマの最終回だから、という理由以外に視聴者が48話にかじりついたのは、藤原道長の正妻・倫子とまひろの対決の行方を見たいからでしょ。

彼女は、道長とまひろの仲を疑うべき状況証拠は十分に持ち合わせていた。
そういうのって当事者ならわかる。
お嬢様育ちで何不自由ない生活してきた彼女にとって、道長とまひろの裏切りは絶対に許せないはず。一体どうやってまひろを「詰める」のだ!?

倫子がまひろの心を殺しにかかった、と覚悟していたあたし。
道長とまひろとの関係を確信したあと彼女は言った。

「あんた、殿のしょうになってくれへん?」

マジですか。なんと心の広い。
ていうか、何考えてる?
倫子は、弱っていく愛する道長をもう一度復活させるために、手段を選ばなかったのだ。
家のさらなる繁栄のため、道長に少しでも長生きしてもらいたいという事情もあるだろう。
妾なんて、「しょう」と読めばそれなりだけど、「めかけ」ですからね。
いいの?

まひろの告白には、道長とまひろの関係と経緯には、倫子が驚く要素もたくさんあった様子。

「あんたたち、結ばれたんやね?」

確認する倫子。
まひろよ、なんでYesとはっきり言わんのだ。
「散楽の者が殺されましてな・・・悲しみを分かち合う・・・」
いやいやいや。
直秀をダシに使わんといて。それはちょっとずるい。
道長もまひろも、直秀おらんくても絶対好き好き同志になってたやろ?
さすが『源氏物語』の作者。
お話をそれらしく語るのは得意中の得意なのだ。

経緯を知った倫子は、まひろに道長も娘の彰子も奪われたことを確信した。

「隠しごとはもうないんでっしゃろかいな」

その倫子の問いに、はいと答えたまひろだが、道長との子である賢子のことをちゃっかり隠している。
さすがに賢子がいじめられたら可愛そうだからか。

「死ぬまで胸にしまったまま生きてや」

倫子にとってもまひろにとってもそれが最上の結論でしょう。

まひろの手のひらの上で転がされていた、という倫子だったが、そうは思わない。
さらにその上から全体を包みこんでコントロールする倫子を感じた。

さて、その後。
ボーゼンのまひろ。
そして、琵琶を、あの琵琶を最終回にもう一回弾いたのです。
ええ、弾きやがりましたとも。
相変わらず、コードは2、3種類のみ。
毎回彼女が琵琶を弾くとき、意味ありげだが、実は毎度意味不明だ。
今回は、
「あ”ー、倫子に不倫がバレてもうたー」
だろうか。

おもわせぶりすぎて、
「こりゃ弦、切れるんちゃう?」
と思ってたら本当に切れた。
視聴しながら妙な声を上げて喜んでいたあたしを想像してください。

■道長の死

ドラマの道長の出家ね、ありゃ「ファッション出家」です。
当時流行ってたからね。
金のある人はみんな極楽浄土行き列車の指定券を求めていたのです。

だって、頭を丸め大僧正的な襟首がとんがった衣装をつけてた道長、
四納言たちとは酒を酌み交わすわ、刀伊の入寇のときなどやはり政治に口出しせずにはいられないわ、
と全然世俗を捨ててません。
仏に手を合わせて祈っているところもまず見ない。
だいたい妻の倫子さえ、仏門に入った彼のためにまひろに「妾」になれって・・・。いいの? 

法成寺を建立し、その御堂に祀った如来の側の寝床に横たわり、自分の手を如来の手に結びつけて「確実に」極楽浄土へと旅立つことを祈りながら死を待つ道長。

倫子にお墨付きをもらったまひろは、「妾」としてなのかどうか知らないが、とにかく道長の看病に通う。
手をふれあい、そしてまひろは背中から道長を抱えるようにして水をのませてやる。
瀕死の病人を看病するのに細かいことは言ってられないかもしれないが、やっぱ道長はやはりファッション出家でしょ?
まぁ、花山法皇よりかは控え目か。

そんな意地悪なことを頭の片隅に置くあたしだが、まひろが毎日道長に2人の思い出とフィクションが混じったような話を語る様子はとてもよかったと認める。
2人の出会いから毎日少しずつ話しが進んでいく。

「つづきは、ほなあした」
もとい
「つづきは、またあした」(非関西弁)

あたしたちがともに経験した、「あのこと」をあなたは覚えてる?
続きが聞きたければ、明日まで生きて。

はっと心を打たれたのは、部屋の外で待機している百舌彦が聞きながら涙を流しているのを見たときだ。
そうだ。
彼は、まひろと道長との思い出の場面に多く立ちあっていた。
2人の関係も少なからず知っていた。
道長が出かければ、従者の彼はついて行っていたのだから。
百舌彦も一緒にあの頃を思い出していたんだ。

そしてある日、道長は一人で逝った。

布団から伸ばした手は、まひろを探していたのだろうか。
それを涙も流さず布団の中に押し戻した倫子は、どんな気持ちだったのか。
ひとつ、ケリがついたか。

道長の死に、彰子は涙を流し、他の息子たちも深刻な表情だ。

世間にただよう悲しみの中で、あの藤原実資はいつものように自分の日記に出来事を記す。
藤原道長の死と藤原行成の死(行成については後述)。

あの実資が流した涙に、ぐっときた方は多かったのではないか。
あたしは、行成や道長の死そのものの場面ではなく、実資の涙に心を持っていかれました。

優秀な人々を失って、張り合う相手も失って。実資の涙。

■みんなのその後 ポジティブ系

【賢子】
まひろがあの倫子に大嘘ついて守ったんだが、彼女はかなりフリーダムに「光る女の君」とかいうキャラクターを自分で考案して実行している。
確かに彼女は多くの貴公子たちと歌を詠み交わしてはいたんですが、なんかちょっと安っぽいね。和泉式部以上です。

光る女の君、というキャラ設定。

【明子】
道長の第二夫人も、いろいろあったが結果オーライか。
出世した子どもたちに囲まれて笑顔も見せ、ぺろりと舌までだして。
この方は、もっとドロドロいくと思ったが、そうならなかったのは彼女のためには幸いだった。

【赤染衛門】
エモンもすっかり白髪が増えた。
書いた歴史物語に彼女らしい謙虚さを見せていた彼女に対し、まっすぐ見つめて倫子が言った言葉。
「見事にやってくれてるで」
「あんたはあての誇りやで」
あたしも救われた。よかったね、エモン。

【菅原孝標の娘】
なんと未来の『更級日記』作者も登場した。サービスか。
いつぞや藤原公任の『和漢朗詠集』もちらっと登場したが、こういうのは嬉しい。だって、平安時代といえば文学なのだ。

【清少納言】
そしてまひろとナゴンとの再会。
2人の関係はピリピリしてたはずだが、いつのまに仲直りしたん?
昔のようにまひろの家で腰を降ろして2人語り合うのは悪くない。
辛口のナゴンが、いつも彼女からまひろの家にやってくるのが可愛い。
でもね、ナゴンのふるまい(演技か)が、あまりに記号的・典型的で学芸会のおばあさん役みたいで、笑いながら観ました。

【藤原隆家】
大宰府以来、都では不遇なんだが、ドラマではむしろ彼が偉い役職に興味のない様子。それも彼のカラッとした性格に合ってるのかもね。

■みんなのその後 ネガティブ系

【藤原行成】
史実通り、道長が没した日と同日に、厠へ立った際に亡くなった。
死因はおそらくヒートショックだったと言われている。
彼の子孫はあまり出世しなかったけど、行成の家は「世尊寺流」という書の一派として長く活躍するのだ。

最後まで全然似せて描けなかった行成、ごめん。
来世で頑張ります。

【乙丸】
彫っていた仏像が気になったが、目に入ったネット記事によると、亡くなったきぬを弔うための仏像ではないかという説が。丸っこい仏像だったし。
そう、たしかに、きぬが登場しなかったね。
だから彼はまひろの旅に意地でもくっついて行ったのか。
そうか。そういう事情だったのか。
乙丸って、ほんと優しい。

個人的には、まひろが持っていた硯(普段遣いのと、旅のときに使うのと両方)とまひろが祈ってた仏像、そして乙丸の仏像が欲しいです。

【いと】
時の残酷さを感じたのは、彼女の変化。

「若様はどちらに?」(非関西弁)

予想してなかったが、聞いた途端に意味がわかってゾッとした。
彼女が乳母として育てた「若様」ことまひろの弟の藤原惟規のぶのりは、とうに死んでいる。
いとはもう現実世界に生きながら思い出の中で生活してる。
受け入れたまひろや為時は笑っていたけど、
あたしは急には笑えなかったな。

■次の時代へ。

老いた乙丸は、昔誓っていたようにまひろに最後まで仕えたいと思っているのか、再度のまひろの旅についてきた。もうきぬもいない。
(年取った)乙丸に「旅は無理よ」といいながら、まひろはやはり乙丸に行李を背負わせている。
彼女が持っているものといえば、ハーモニカみたいな懸守と杖だけだった。せめて自分のものは自分で持ってあげて。

さて、旅する2人は武者集団に出会い、その中に双寿丸がいた。
もう会えないのかと思っていたが、彼(予告編には登場してましたね)は東国の乱の平定、おそらく1028年に起きた平忠常の乱の鎮圧に向かう途中らしかった。

まひろと防具を身に着け馬上の双寿丸とはカジュアルに別れたが、今度こそ本当の別れになったかもしれない。

その彼を見送ったまひろがドラマ最後の言葉を発する。

「道長はん。嵐、来よるで」
もとい
「道長さま。嵐が来るわ」(非関西弁)

この言葉が何を意味しているのか、ネットでも話題沸騰中らしい。
ストレートに受け取ると、
貴族の時代から武士の時代・戦乱の時代にさしかかってきたことを示しているのだろう。
でもそう思えるのは、今あたしたちが平安時代の後期には院政が始まり、源平合戦などがあり、鎌倉時代という武士の時代がやってくることを知っているからだ。

リアルタイムで生きている人が、どれほど早くその時代の変化を察知していたろう。
もし、それをまひろが感じていたなら、
この藤原氏全盛期にそれを感じていたのなら、
すごい人だと思う。
『源氏物語』を書いた紫式部なら気づいても当然かもしれない。

紫式部

■おわりに

あたし、普段は(仕事があれば)一応日本史についてこちこち書くライターやってるが、藤原道長って栄華を極めた最高権力者になったけれど、特に目立った政治的な施策は行っていない。
なので、時々書くのに困ることがある。いや、ほんとに。

およそ民のことなど顧みてないのではないかと感じる。
民が苦労して育てた作物を税として搾り取るだけ搾り取る貴族社会のトップの男。
彼のやったことの印象としては、ただ自家の繁栄に努力して成功したこと。

だから、ドラマで
「オレは一体何をやってきたんやろ」
と自問自答したときは
「よーしよし。ここで正直に反省しとこうな!」
と思った。
だから、
「戦のない泰平の世を守られました。見事なご治世でございました」
といったまひろの言葉は、おべんちゃらだと感じてしまった。

だが、自分たちの栄華の時代を築くために、その副産物として藤原道長がパトロン的に平安文学の隆盛に貢献したのは確かである。
国風文化を支えた。

だから、まひろが続けた言葉、
「源氏物語はあなたさまなしには生まれませんでした」
これには心から賛同する。
源氏物語は、紫式部と藤原道長がいなければ誕生しなかっただろうな。

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さて、ドラマにはたくさんの登場人物がいましたね。
あなたはもしこのドラマの中の人物に生まれ変わることができるなら、誰の人生を歩みたいと思いますか?

藤原道綱でしょ、やっぱり。

「嫌いにならんといて」
「ならへんて」


1年間楽しませてくれた大好きな(いや、悪口言うたけどほんまは好きやったって! 道長も好き好き)『光る君へ』のうろ覚えレビューは、これでおしまい。

ありがとうございました。


見苦しかった左手画へのおつきあいもありがとうございました。