「光る君へ」うろ覚えレビュー《第39話+40話:とだえぬ絆+君を置きて》
■死んでいった人たち
劇中ではすでに何人もの登場人物が死んでいったが、ここにきて、キャラの立った人びとが立て続けに亡くなった。
「生き生き」した話の展開が求められないのは仕方ないか。
【藤原惟規】
藤式部(まひろ)の弟が亡くなった。当初から不思議なテイストのキャラクターであり、よくあんな生真面目な父親・藤原為時の息子に生まれてきたものだと思うような気の良い、あけっぴろげな性格であった。どこか深刻な為時の一家の雰囲気は彼によって救われていた。まさに癒やし的な存在。
学問が苦手なことも繕わないし、自分の恋の話もあけっぴろげに話をしていた。何もしらない為時の前で、彼の姉・藤式部の娘である賢子が左大臣・藤原道長との間にできた子であることもケロリと話していたが、彼が話すと話が深刻にならないところが良い。
「都には 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」
惟規は、この辞世を残して父の眼の前で逝ってしまった。
残された逸話によると、歌の最後の一文字を書くことができなかった惟規のために、代わって父が一字つけ加えたという。
惟規の死の知らせに、藤式部(まひろ)をはじめとした都に住む家の者たちが大いに悲しんだ。
特に、惟規の乳母だったいとの悲しみ方は相当なものだった。
いとの号泣シーンをみながら、乳母とはこんなにも血の通っていない「子」を愛するものなのかと目が覚めるような気がした。
以前に為時がいとに対して「家族だ」と述べていたように、いとはビジネスのために為時の家に仕えていたわけではないのだ。
惟規の死因は何だったのか不明のようだが、気になる。
【藤原伊周】
ここしらばらく寝食忘れて呪っていたのだ、体調も崩すだろう。
気づけば伊周は、もう危篤状態だった。
人を呪う負のエネルギーは、自分の身体を蝕んだのかもしれない。
伊周は最後まで左大臣・道長を恨みながら死んでいった。
自業自得な部分も大いにあるが、気の毒に思わないわけでもない。
それにしても、病に陥った人は自分の死期を悟るものなのだろうか。大怪我で大出血しているならともかく、日々病で弱っていく身体を抱え、どのポイントで「ああ、もう自分はダメだ」と思うものなのか。
危篤の伊周を見舞った弟の隆家は、
「敦康親王さまのことはわてにお任せくんなはれ。安心して旅立ったらええですさかいに」
とはっきり言った。
あたしにはこれが結構ショックで。
本人の前で「もう旅立ってええよ」とは。
そういうもんなの? 言っちゃっていいの?
なんか、「もう逝ったら?」みたいに聞こえる。
「あの世で栄華を極めなはれ」
なんてセリフは、
「はいはい。もうこの世でどうかするのはもう無理やで。せいぜいあの世でおきばりやす」
に聞こえるのだ。
そんなん言われたらあたしは気力もなくなって死ぬかも。
誰か「死なないでー」って言ってあげなよぅ。
で、伊周もその後まもなくして死んだのだ。
伊周が推していた敦康親王が次期の東宮になれなかったことを知らないまま死んだことがせめてもの救いか。
【一条天皇】
死の影は、一条天皇にも容赦なく忍び寄ってきた。
若くして病に倒れてしまった帝の唯一の願いは、自分と定子との間に生まれた第1皇子・敦康親王を次の東宮にすること。
その点で、彰子との間に生まれた敦成親王を東宮にしたい道長との綱引きがあった。
ドラマでは、藤原行成が道長に言われて帝を説得し、病で気が弱っていた一条天皇が圧されて、次の東宮を敦成親王にすることを認めた形だ(行成推しとしては、そこにめちゃめちゃ行成の苦労と、罪悪感と、道長と一条天皇という2人の主君の間で悩む官僚としての苦しみがあったことを強調したい。彼は東宮になれなかった敦康親王が早世するまで尽くし、守り続けている。なんでそれが描かれないんや。このドラマの欠点は、行成が主人公ではないところである)。
それにしても、一条天皇がもう長くはないということを告げた占い。
なんで天皇がすぐ聞こえる場所でやっちゃうのか。
こっそりそれを聞いていた帝がお気の毒である。
一条天皇が死の直前に詠んだ歌は、一般的には残された中宮・彰子への想いを詠ったとされるが、実際の藤原行成はその歌が先に亡くなっていた皇后・定子への歌だと日記に残している。解釈は人それぞれなのだが、そんなところに、藤原行成が立場上一条天皇の後継者について天皇の思いに沿えなかったという良心の呵責を感じる。
剃髪しても一条天皇は美人だったねぇ。
■道長はどんな人なのか
なんだかんだと思うようにコトを進めていく藤原道長。
最近の言動は「民のため」「政のため」ではなく、「自分の家のため」にしか見えない。
このあたり、道長は絶妙なのだ。
彼はめったに声を荒げない。
そこが、ワルっぽくないし、良識的に見える理由かもしれない。
一人でカメラにだけ見えるようにほくそ笑んだり、誰かを鼻であしらったり、恫喝したりなどという「ワルの記号」が彼には見当たらないのだ。
次の東宮が敦康親王ではなく敦成親王に決まったときに、彰子は怒りまくった。怒りのまま一条天皇に決定を覆すよう直談判しようとする際、父親の道長がすっと手を出して彼女を止めた。
取っ組み合いとかしないのである。
あくまで道長は穏やかに、非暴力的だが効果的に動く。
そのせいで、我々はまだ道長はもしかしたら、若い時のように良識的な良いひと100%なのではないかと思っちゃうかもしれない。
だめだめ。
「ワル」っていうよりはね、道長は「ズル」って感じなのだ。
ジャイアンではなく、スネ夫タイプかも。
じゃ、誰がドラえもん的なのかといえば、やっぱ藤原行成である。
道長にあーしろ、こーしろと言われると「もう、しゃーないなぁ」といいながら言うことをきいてあげる存在だ。
それでは、藤式部(まひろ)は何なんだよ、といえばカツオ(藤原惟規)とじゃれてるサザエさんか。
いや、あたしは何の話をしているのだ。
■ニューカマー
ここでの「ニューカマー」とは、全くの初お目見えではないが、新たにストーリーに絡んでくるようになった人々のことである。
【三条天皇】
なかなか我の強いお方である。これから道長とやり合う仲になるけれど、かといってこの天皇のキャラクターがドラマ的に好かれる役柄でもなさそうだ。
【藤原妍子(彰子の妹)】
三条天皇にしてこの妻あり、である。
しかも妻はしかたなく天皇と結婚したのだ。
同じように育てられたはずの彰子とはえらい性格が違う。
彼女の発する言葉に対して忠告するまひろだったが、
「何やうるさいわ、このひと」
とストレートに言われていたので、笑ってしまった。
宴会が好きで、贅沢が好き。
非常にわかりやすい性格である。これから嫌われていくのか。
それにしても母親(源倫子)似である。
【双寿丸】
ようやくのご登場。
かつての直秀のような神秘さはなく、武人という新しい人種だ。
この時代、貴族たちは富を守るためにも武力を必要とし始めるが、そういう社会情勢が現れているのだろうか。
藤式部(まひろ)の娘である賢子を助けてやったことから、彼女の家で食事にありつく双寿丸。これから賢子と仲良くなるんかな。
思わず注目しちゃったのは、彼が食べる飯の量である。
茶碗に山盛りになった飯。
ああ、藤式部(まひろ)の家も豊かになったものだなぁ。
■株は上がったり、下がったりするのだ
ストーリーが進むにつれて、登場人物も成長するし、性格が変わっていく。
そうするとその人物に対する印象も変わる。
【中宮・彰子】
このひとくらい変わった人物はいないんじゃないだろうか。
最近まともになってきました。
何と言っても、東宮が敦成親王と決まったときの、父親・道長に対する怒りのぶつけようはよかった。
こんなに強い態度に出ることができるようになったんだね。
中宮という身分の高貴さとはうらはらに、政治の道具として使われる女性としての実態もあり、実は女は無力であることを感じさせる。
あの一条天皇の母親である藤原詮子だってそうだった。
【敦康親王】
結局東宮となることができなかった敦康親王。
実は、あたしは元服してよかったと思ってる。
元服すれば彰子の庇護を離れ一緒に暮らせなくなるため、気が乗らないという敦康親王の気持ちもわからなくはない。
が、元服してない彼は、すでに青年の顔なのに髪の毛だけは横に結ったみずら髪だし、なんか妙な感じで。
昔はとても明るくて聡明そうな子どもだったが、成長するとちょっと違った人みたいで、凡庸になった印象。
彰子へ養母に対する感情以上のものもなぁんとなく感じさせる。
こりゃ『源氏物語』を読んでいる道長が、敦康親王と彰子の関係を物語の中の禁断の恋に落ちた光源氏と藤壺の宮の関係に重ねて警戒するのもわからなくはない。
元服して彰子と離れて生活するようになって、とにかく束帯姿になれてよかった。あたしが安心した。見たくないよ、みずら髪のでかい兄ちゃんは。
東宮、天皇などにならない敦康親王は、その後は陰謀渦巻く平安王朝で激しく翻弄されることもなく、それはそれで平安に暮らせたのではないだろうか。