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知ったかぶりして足をすくわれる歴史好きの私
史跡巡りなどをしていて、ちょっと自分の知っている知識をひけらかしたくなっちゃったりして、同行者に説明することがある。そこは、別に悪気があるわけではなく、できるだけ興味深く思ってもらえるようにおもしろい逸話を話してみたりしてエンターテインするわけだ。そんなお調子者の私ががっかりするようなことが数年前にあり、どこかの日本史系サイトで書きたいと思っていたけど、チャンスがなかったので今日書いてみる。
平安時代のセキュリティーシステム「玉砂利」&「うぐいす張り」
平安時代の建物というのは、スースーのガラ空きだ。気合いの入った泥棒だったら、築地塀なども大した高さではないし、忍び込めるのではないかと思えてしまう。もちろん門番や守衛らしき者はいたとは思うけれども。しかし広大なお屋敷に忍び込むことはそう難しくはあるまい。だって、マロたちはお目当ての女性の寝所に夜這いしてたわけだし。
でもそこは、平安時代の人々だって泥棒や忍びに対して無策だったわけではない。彼らなりのセコムがあった。それが「玉砂利」と「うぐいす張り」である。
玉砂利は、庭などに敷き詰めている石であるが、この上を歩くとなるとどうしても音がする。ジャリジャリする音がすれば家の者は「あれ?」と思い、侵入者に気づく、というのである。
知恩院や二条城の廊下で知られるうぐいす張りも同様。廊下を歩けばキュッキュッと音がする。こっそり歩くなんてことはできやしない。廊下だから屋敷の人間も歩くわけだが、彼らはあらかじめ決められたリズムで歩くようになっていたという。そのリズムで歩いていない音がしたら、「怪しい」と見破られる。
そういう説明をすると、聞いてくれた人は「ほー」とか言って感心する。私はへへんと嬉しくなるし、相手も納得顔だ。
でも、そんな説明はどうやら大間違いだったことが判明した。
うぐいす張りの復讐
私は2017年の朝日新聞に載ったこの記事を見た時に「やられたー」と思った。(引用記事が有料になっててすみません。でも無料部分だけ読んでも分かる)
記事の内容は、要は「廊下がうぐいすのように鳴いていたのは、ただの経年劣化」ということだった。
廊下を修理してみると音がしなくなり、以前には音がしなかった未修理の廊下が老朽化のために音がし始めた、というのである。まず間違いない。うぐいす張りはただの偶然だ。
今までの私の鼻高々な説明はなんだったのか。大体、知恩院だったかには警備システムの一種だった、みたいな説明もされていたやん?
頼むぞ玉砂利
歴史が好きな人間としては、歴史上の謎とされていたことが解明されるのは嬉しいことだ。
しかし、うぐいす張りにやられるとは思ってもいなかった。もう、うぐいすでも何でもないじゃないか。
仕方ない。あとは玉砂利にロマンを託す。