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希望の調達方法再考『ショーシャンクの空に』

 今回の投稿では、映画『ショーシャンクの空に』をみた感想を書く。この映画をみて考えたのは、「狂わないための希望の調達方法」だ。
 考えたことを記録として書き起こす。
(この記事にはネタバレを含む)

□不運を認識する銀行員

  さて、作品の主人公アンディは妻とその愛人を殺害した罪で終身刑となった銀行員である。作中では明らかになっていないが、おそらくそれは冤罪だった。

運が悪いな
不運はだれかの頭上へ舞い下りる
今回は私だった
油断してたせいかな

 不運にも強度がある。人間の人生を左右するくらいわけもない。
 刑務所に入ってしまえば、絶望するまでに時間はかからない。

今までの人生を失い
際限のない時との葛藤が始まる
新入りは正気を失いかけだれかが泣き始める

 刑務所内で調達屋をしているレッドは、入所日恒例の「最初に泣く新人」の賭けでアンディに大きく張る。しかしレッドは負けた。
 アンディは泣くでも周りに迎合するでもなく、囚人としての暮らしをする。

 男は考えるとき静かになる。
 アンディはレッドの目から見ても何を考えているか分からない。
 喚き散らしながら、あるいは泣き叫びながら自分の芯のところにある考えを表面化させることはできないのだろう。

□施設慣れした者の危険物

 長期間の刑務所暮らしの中で、レッドやブルックスは塀の中に自分のポジションをとった。

だがあの塀を見ろよ
最初は憎みしだいに慣れ長い年月の間に頼るようになる

 レッドは希望は危険だと語る。
 希望が叶うという期待は裏切られ、仮に塀の外に出たとしても社会復帰は容易ではない。
 塀の外に出るというだけでは、希望になりえないのである。

 では、どのようにして希望を取り扱えばよいのか。
 
 不運は行動や振る舞いに関係なく舞い下りる。
 一方で、希望は塀の内側で下を向いている者を選んで舞い下りることはないのだろう。

 舞い下りてこないのであれば、作っていくしかない。
 アンディは塀の外の暮らしを希望として、脱獄に向けて行動を続ける。

 そして、そんなアンディ姿は人のレッド達の心にも影響を与える。

彼は自由に飛ぶべき鳥だったんだ
光り輝くその羽飛び立つとき
俺たちの心まで喜びに満ちる
とは言え
彼のいない日々は空虚だ

 一度希望が満たした心のスペースは、希望が去った後に空虚となるが、すぐに絶望に満たされることはなかった。

□おわりに「外の世界から希望を調達する」

 もしも「君は何をしたい?」と聞かれたとき、なんと答えられるだろうか。
 私はこのような人を試す質問は嫌いである。
 見栄をはるつもりで自分の限界すれすれの目標を語り返答するだろう。同時に自分の上限を自覚する。

 ノミは蓋の高さに合わせて自分のジャンプする高さを規定し、鯉は池の広さに合わせて体を大きくするとはよく言ったものである。

 私は目標を塀として、自分の限界を塀の中に収監している。

 そこに希望はなく、語った目標さえも達成できないという絶望から目を背けている。
 アンディは次のように考える。

希望はすばらしい
何にも替え難い
希望は永遠の命だ

 希望とは永遠の命と言い切るのだ。
 希望を失って死んだように生きていたら、そのうち狂ってしまう。
 アンディは次のように強いメッセージを伝えてくる。

必死に生きるか
必死に死ぬか
俺は生きるぞ

 私は『ショーシャンクの空に』を見て、希望の調達方法について考えた。
 たどり着いた結論は、目標を限界の外に設定し、そこへ向けて希望を作り続けること。
 絶望の中にあっても、日々希望を作り続けることで必死に生きることができる。

 きっとこの映画を再び見ることがある。
 それは、希望が失われ空虚になっているような、必死に生きていく覚悟が弱まっているタイミングに違いない。
 そして映画を見るたびに、「必死に生きる」と思いを強める。
 今の私には、この映画を覚えているということが、一つの希望としてスペースを確保している。

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