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つれづれ雑記*或る名コーチ、の話*
小学生の頃、バレーボールをしていた。
当時は、決して好きでやっていたわけではない。どちらかというと嫌いだった。
なぜ、好きでもないバレーボールをしていたかというと、それには今では何だかよくわからない事情があった。
私が小学生時代に住んでいた地域は、昔からの農村と新興住宅地が混在していた。
広い小学校の学区内には、2つか3つの町と、幾つもの、うーん、町名以下は何と呼ぶのかな、字(あざ)とでも呼ぶのだろうか、そういう地域がたくさんあった。
もちろん、今と違って児童数も多かった。
学区内の地域結束や親交を高めるためだったのか、子ども会、とか、地愛協(今となっては何のショートフォームなのかわからない。地域青少年愛護協会?みたいな感じなのかな)とかの団体があって、夏祭りだのなんだのと行事が行われていた(と思う)。
その活動の一環で、小学生によるスポーツ大会が毎年行われていた。
男の子はソフトボール、女の子はバレーボール。(この区別がいかにも昭和だな)
それぞれの地域でチームを作って対戦し、優勝を競う。
そして、今ならこれはあり得んだろうと思うのだけど、この大会に参加することに取捨選択の権利がほぼなかったということだ。
いや、私だけにというのではなく、地域の子ども全員に。
私はとにかく鈍臭かったので、ビュンビュンと飛んでくるバレーボールを打ち返すなんてことは、本当に至難の業だった。
だから、練習にももちろん大会そのものにも、参加したくなかったのだけど、私がいた地域は規模が小さくて子どもの数が少なかったため、女の子は皆小4になったら週に1回か2回あるバレーボールの練習に参加するのは半ば強制?当たり前?のような雰囲気があったのだ。
まさに昭和のど真ん中、そういう地域の空気には逆らえない、そんな風潮があった。
そして、これはもっとどうなんだろう、と思うのは、練習と銘打ってはいるものの、誰もちゃんと教えてくれなかった、ということだ。
練習は、私が当時住んでいた団地と団地の間にある広場にあるコート(何でこれがあったのかはわからない)で行われ、一応地域役員のお母さんたちやその友達、知り合いとかのご婦人方の監視監督の下で行われた。
でも、特に何を教えてくれるわけでもない。怪我をしないよう、準備体操をザッとしてそれぞれ輪になって軽く円パスのやり取りをしたあとは、順にコートにはいってゲーム形式で練習する。
役員のお母さんたちのひとりがたまに子どもらを一列に並ばせ、投げたボールを順に受けさせたりすることもあったが、後は上級生たちに丸投げで、基本的には見ているだけ。そして、傍から、ああでもない、こうでもないと(適当に気分で)批評したり注意したりする。
小学生の頃というのは、生まれ持っての運動神経の良し悪しがはっきりしている。というか、ほとんどそれだけで、決まってしまうところがある。
だから、元々上手な子はこのやり方でもどんどん上手くなっていくが、私のように基礎や素養のないものは、どんどん置いていかれる。
あげく、練習中はもちろん、他の地域との練習試合とかにちょっとだけ出してもらって即ミスなんてしようものなら、激励という名の叱責が飛んでくる。
バレーボールはチームプレイだ。失敗イコール相手の得点となる。私のように下手な者はどんどん萎縮し、そしてますます叱責の的になる。
それが、結構キツい。
私の住んでいた地域があまりガラのいいところではなかったせいか、おしなべてこの頃のこの年代の女性というのは激すると歯止めが効かなくなるのか、しょっちゅう、近所のおばちゃんたちに理不尽に(当時はこんな言葉も知らなかった)怒鳴られるバレーボールの練習は、もう苦痛以外の何物でもなかった。
あー、早く小学校卒業したいなあ、そんなことばかり考えていた。
そんなこんなで1年が過ぎ、5年生の半ばくらいの頃、バレーボールの練習場所にひとりのおじさんがやってきた。
よく状況はわからないが、どうやら今日からこのおじさんがバレーを教えてくれるらしい。
誰かが、〇〇さんちのおじさん、と呼んでいたが、よく覚えていない。
そこから、練習がガラリと変わった。
おじさんは、おそらく学生の頃に部活とかでバレーボールの経験があったのだろうか、教えるのがとても上手だった。
レシーブ、トス、サーブの練習を毎回ちゃんとやってくれ、一人一人にアドバイスをして上手くできたらいちいち褒めてくれた。
練習試合をするときも、やみくもにとにかく打ち返せ、などと言わずに、皆を集めてちゃんと具体的な動きや作戦を考え、示してくれた。
コートに入ったらじっとしていてはダメ。ずっと動いていること。その場でジャンプでも足踏みでもいい。じっとしてるといざというときに足が動かないから、とか。
コートの一番後ろの角、そこに入ったらエースと言われる辺り、あそこにボールが飛んでいったらそれはもう捨てて良し。追いかけてもまず取れないし、それにどうせ、滅多に入らない。アウトになるほうが多い。
それより、前衛と中衛の間を詰めて、そこの穴を埋めたほうがいい。そこにボールがくることの方が多いから、とか。
何よりよかったのが、このコーチが教えにきてくれるようになってから、役員のお母さんが静かになったことだ。
練習中にミスをしても、叱責(怒声、あるいは罵声?)が飛んでこないというのはいい。
このコーチの教えによって、私がバレーボールが大好きになり、それからみるみると上達し、その年の大会ではチームが好成績をおさめた、と言えばすっごくいい話になるのだろうが。
残念ながら、実際にはそんなことはない。
世の中はそんなに甘くないのだ。
でも、あんなに大っ嫌いだったバレーボールを私はほんの少しだけ好きになった。
それが証拠に、この後、父の仕事の都合で引っ越した私は、そこの中学でバレーボール部に入った。(転居先の中学にはバレーボール部とバスケット部と卓球部と柔道部しかなかった、ということもあるのだけれど)
コーチが、よく言っていた言葉がある。
バレーボールには流れがあってな。
ま、どんなスポーツもそうやけど。
なんぼ頑張ってもあかんときがある。
そういうときは何をしても上手くいかへんからな。
何か仕掛けてここで一発逆転、とか絶対考えたらあかん。
地道に球を拾い続けて、とにかく向こうのコートへ確実に球を返すことや。
そうやってたら、いつか必ず向こうがミスをする。
そこからがチャンスや。
それまでは、ひたすら球を拾い続けること。
流れがこちらに向いてくるまでな、焦らずに待つんや。
そのときは、へえー、ふーん、という感じだったけど。
成長して社会に出ていろんな場面を見たり聞いたりするようになって、この言葉を思い出した。
この言葉は、バレーボールのことだけじゃない。生きていくうえで、いろんな場面で当てはまるんじゃないか。
そんなことに気がついた。
コーチは、どうしておられるかな。
まだご健在だろうか。
もしそうだったとしても、私のことなどもう覚えてはおられないだろう。
私もコーチの名前も顔も声も覚えていない。
でも、この言葉はよく覚えている。
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