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つれづれ雑記 *絶叫マシン、の話*

 私には、これを克服できていたら人生もう少し得かな、と思うものがいくつかある。

 1つはお酒。
 実家の父はなかなかの酒豪なのだが、私は全然と言っていいほど飲めない。
 梅酒をお猪口の底にちょこっと(駄洒落ではない)だけで顔が赤くなり、身体がフワフワとする。
 これでは外飲みなんてとても無理だ。 
 別に酒豪になりたいわけではないが、オシャレなバーだの、小粋な居酒屋でちょっと軽く一杯、とかをしてみたいものだと常々思っている。

 2つ目は、辛いもの。
 さすがに普通の辛さ、レトルトカレーの中辛や辛子明太子や日本製のキムチ、は食べられるが、食べるラー油とか本格的スパイシーインドカレーとか花椒たっぷりの麻婆豆腐とか、が食べられない。
 汗をかきかき、食べている人を見ると、美味しそうだなあとは思うのだけど。

 もう1つは、いわゆる絶叫マシン。
 遊園地とかテーマパークにあるアトラクションだ。
 私は高所恐怖症の上にスピード恐怖症。
 絶対、無理に決まっている。

 ただこうとはっきり自覚したのは高校生のころ。
 今は無き、大阪のエキスポランドに遠足で行った。
 びっくりハウス(お若い方々はご存知だろうか。天井と床の模様がグルグルと変わるため、部屋が回転しているように感じられる、個室型アトラクションなのだけど)だの、観覧車だの、お化け屋敷(今なら絶対NGだけど、5、6人のグループだったし、このときはノリでいけた)だの、キャーキャーはしゃいで、ちょっと調子に乗っていたんだと思う。

 そろそろ帰りの集合時間も見えてきて、後ひとつ最後に何かに乗ろうということになり、皆でスペースサラマンダーというジェットコースターに乗ることになった。
 乗り場が結構高いところにあり、階段を上がって列に並んだ。
 見下ろすと別のクラスの友人がこっちを見上げているのが見え、みんなで手を振った。
 順番になって、2人ずつ並んでシートに座り、スタッフさんが回ってきて順にベルトを締めて確認してくれる。その厳重さに私がそこはかとない不安を感じたときにはもうコースターは出発していた。
 その後のことはあまり覚えていない。
 とにかく、乗ったことをすっごく後悔したこと、乗っている時間が無限に思えたこと、身体がどっかに飛んでいきそうに感じたこと、何度か気を失うんじゃないか、いっそ失ったほうが楽かな、などと考えていたことを切れ切れに覚えている。
 やっと解放されたときには冗談抜きで息も絶え絶えだった。
 
 帰り道でさっき手を振った友人に会ったのでそのことを話すと、彼女は、やっぱりねー、と笑い出した。
 彼女は先ほど、得意満面に乗り場から手を振る私に手を振り返しながら、あの子、大丈夫なんだろうか、めっちゃ怖がりのくせに、と思っていたそうだ。
 わかっていたなら、わたしが乗る前に教えて欲しかった。

 このとき私が乗ったスペースサラマンダーは、今のものと比べれば全然大したことないのだろう。
 スピードも今のから見れば遅いし、グルグル回ったり頭が下になったり足が上になったりもしない。
 それでこの体たらく。
 私はジェットコースターに向いてないのだ。

 そうとわかっていたはずなのだ。
 それなのに、また死ぬかと思うほどの目にあったのは、社会人になってからのこと。

 休日に勤め先の同僚数人と、これもまた今は無き、宝塚ファミリーランドという遊園地に行った。
 数年の間にジェットコースターはとんでもなく進化しており、レールが縦方向にループやトルネードになって、そこを猛スピードで走り抜けるとんでもない乗り物がいくつもあったが、私はもちろんそんなのに乗るつもりはない。
 同じようにジェットコースターが苦手な同僚とのんびり観覧車やコーヒーカップに乗ったりしていたが、同僚が、あれなら乗れるんじゃないか、と、あるアトラクションを指差した。

 そのアトラクションは、どう説明したらいいだろうか、大きな円盤の周囲にゴンドラがいくつか付いていて、その円盤を支えているアームが、例えて言えば、ホットケーキを横からトングで挟んで持ち上げるように斜めに持ち上がるのだ。そしてゴンドラが円盤の周囲をぐるぐると回る。
 そう、観覧車を横倒しにして斜めの位置で止めたような感じ、と言えばわかってもらえるだろうか。
 私は少々不安だったが、同僚は、大丈夫、あのままグルグル回るだけでしょ、と言う。
 
 だが、賢明な読者の方はもうお察しかもしれないが、それで終わるはずがなかった。
 その円盤を支えているアームは斜めで止まるのではなく、垂直まで上がるのだ。
 同僚が見たのはどうやら、アームが降りてくるところだったらしい。
 つまり、私たちは完全に地面と垂直になった円盤の周囲を頭を中心に向けてグルグルと回ることになった。
 いや、すでにゴンドラに着席した後の係員さんの厳重なチェックに妙な既視感はあったのだけど。

 このときも記憶は切れ切れにしか無かったが、どうやら何かを叫び続けていたらしく、無事に降りたときには声が枯れていた。
 私の後ろに乗っていた同僚の話によると、降りる降ろせ、とずっと叫んでいたそうだ。
 
 あれから、数十年。
 絶叫マシンはさらに恐ろしいほどの進化を遂げている。
 
 スピードや高低差はもとより、足が固定されて立ったまま乗るとか、肩を掴まれて足がブランとなったまま宙を飛ぶとか…。
 フリーフォールと称するそのまま落ちるだけのアトラクションとか…。
 人はいったいどこまで刺激を求めるのだろうか。


 克服できたら人生楽しいかな、とかちょっとだけ思わないでもないけど、やはり私には地面に足をつけてゆっくり歩くほうが向いているようだ。


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