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つれづれ雑記 *悪役考、の話*
正義の味方より悪者が好きだ。
善人より悪人に心が惹かれる。
いささか不穏な書き出しだが、もちろん、現実世界の話ではない。
小説にせよ映画にせよ、物語を面白くするのは悪役だと思う。
どんなにストーリーがよく出来ていて主人公のキャラが立っていても、対する悪役がショボいと面白くない。
悪役には、最初から悪者と分かっている黒幕や手先の小者、どっちだか判断がつかないまま、まさかと思っていたら最後の最後に裏切る者、結局は利に転ぶ者、全く眼中になかったのに意外に巨悪だったことが終盤で分かる者…など、バリエーションは枚挙に事欠かない。
キャラクターも、いかにも憎々しげな、絶対コイツ悪い奴やん、というのや、弱々しく見えたけど実はあれは演技やったんかい、みたいなの、それから、めっちゃ爽やかでイケメンで、むしろヒーロー?と思ってたら、正体はすごく悪いやつでそのせいでカッコよかったのがかえって気持ち悪い、みたいなのとか、いろいろ。
どのバージョンも捨てがたいが、私の好きな大物悪役に共通するのは、圧倒的強さだ。
実際には、悪役にだっていろいろ諸事情があるだろうとは思う。
突っ張ってばかりいることに疲れてくることもあるかもしれない。いまいち調子が出ないときもあるかもしれない。
ただ、それで悩んだり落ち込んだり後悔したり。
そういうのはいらない。
そういうキャラは、小者でいいのだ。
最後に主人公と対決するような大物の悪役には、そんなブレがあってはならない。
つまりは、最後にがっかりさせないで欲しいのだ。
……などとずっと思っていた。
最後に出てくる悪役は、絶対的悪でしかも心身共に超人的に強くなければならない、と。
年月を経て(別の言葉で歳をとった、ともいう)、最近少し悪役に対する考え方が変わってきた。
悪役にも、人間っぽさがあってもいいのかな、いや、むしろ、そういうのも、ありかも?
と、思い始めた。
ひょっとして、年齢のせいで苛烈さがなくなったのかな、私に。
いや、そこは人格的に丸くなったとか、人間性に深みが出てきたとか、そういうことにしておこうか。
絶対的強さを誇り、並みいる敵、逆らう味方を叩き潰してきた力技の極悪人。
それが、徐々に味方の造反や裏切り、死や破滅の見えない影に怯えたり恐怖に震え、やがて自らの弱さをさらけ出す、とか。
常時冷静沈着で頭脳明晰、徹頭徹尾合理的、人の心や弱点を読み切り、決して情勢を見誤ることのない鉄壁の悪人。
それが、たった一つ、他から見るとほんの些細な誤算、瑕疵によって、まさに堅牢な砦が蟻の一穴から崩れるように崩壊する、とか。
人間らしい感情が欠落していて、まるでマシーンのようにつけ入る隙が皆無な、酷薄な悪人。
それが、自分でも思いもよらなかった何か些末なことに心をとられた瞬間、冷徹な仮面が剥がれ落ち、あり得ないような破綻を招く、とか。
散々余裕風吹かして、誰の目にも超大物悪党に見えていたのに、最後の最後、いきなり味方全部を裏切って、自分1人が助かろうとする、とんでもなくセコい小悪人だった、とか。
ちょっと馴れ馴れしい物言いで、ともすれば話の通じる気がしてしまうような、変に人好きのする悪人。
でも、やっぱり価値観?倫理観?が明確に違っていて、残念だけど分かり合えない。
あちらも主人公のことを少なからず気に入ってるようで、最後に必ず、あながち嘘でもなさそうに「残念だ」とか言いそうなタイプ、とか。
こういうのも、あ、そうだ、ああいうのもいいな。
妄想は次々と膨らむが、ただ、ひとつだけ、ここだけは譲れないものがある。
それは清々しさだ。
キャラクターの見た目の話ではない。
悪に対するスタンス?というのかな。
清々しく、悪に徹して欲しい。
グダグダ悩んだり迷ったり急に目覚めて改心したり、は要らない。
悪役であることに、美学というか、プライドを持ってもらわねば、こちらも対処に困る。
ラストで、主人公と対峙して決着を迎えるとき、かっこよく敗れるにしても、不様に崩壊するにしても、潔く散るにしても、未練たらしく消えるにしても、まあ、結局は負けるのだけど、こちらに同情されるような負け方はしないで欲しいのだ。
それが、悪役の悪役のたる、存在意義だと思う。
…なんて言っていても、現実世界で悪党が現れたら、絶対関わりにはなりたくないが。
以前読んだ小説、三島由紀夫氏の作品だったかな、その中の「女は悪党が好きだ。自分だけには嘘をつかない悪党が」という一節が印象的だった。
確かに物語の中の悪党は、私にだけは嘘をつかないし、私を騙すこともない。