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変化は恐怖か?挑戦は転機なのか。

ライターとして入社してもう7年になろうとしています。

入ったばかりの頃は、できた記事を確認してもらうのも躊躇うほど自分の殻の閉じこもって、自信もなく記事を書いてきました。

私も初心な頃があったんですよ…(笑)

今は、なかなか記事を書く時間がなく、更新頻度が落ちてますが、この前チャレンジャーの記事を書くことができました。

入ったばかりのAKARIは、少人数でそれぞれが個として書いてたような気がします。

7年の間に様々なことがありました。
ライターが卒業したり、新しく入ってきたり、noteという媒体に挑戦してみたり。

最近では、1次情報をメインに挑戦をしています。

インタビューをしたり、リカバリーストーリーを書いたりと…変化の時期なのかもしれないと思いつつ、私が感じるのは『変化は常に起こっている』ということ。

昨日の私は、今日の私とは違います。
日々は過ぎていくもので、留まることも追い越すこともできません。

それは、かつては親の介護ばかりで未来すら見えなかった私も自分のために生きる為に夢に向かって動いていること。

過去に後悔することはあるかもしれません。
未来に恐怖することも。

人は変化を恐れるものです。
それは特に精神疾患や病気を持つ人にはキツイことかもしれません。

でも立ち止まることはできなくて、季節は巡るし、時間は残念にも進んでいく。

では、それについて行ってみてはどうでしょうか?
足並みは揃わなくても、前に足を出せば進めるんです。

私の好きな詩人の茨木のり子さんの詩の一節があります。

『自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ』

私は変化を求めます。

それがどうなるかは分かりませんが、自分の感じたことを形に言葉にしてみたいんです。

それは1人では出来ないことなので、色んな人に助けてもらいながらですが、一番の大切にしたいことは自分で守りたいと思います。

詩の全文になります。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

『自分の感受性くらい』 茨木のり子


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