おばあちゃん、ありがとう。
先日おばあちゃんが100歳で亡くなりました。
誤嚥性肺炎で緊急搬送され、先生からは余命一週間と宣告を受けていましたが、治療が効いて持ち直し、それから4ヶ月後、父に看取られて穏やかに旅立ちました。
おばあちゃんは大正生まれで、サバサバとした働き者の強い女性でした。礼儀やご飯の食べ方等、孫にも厳しく『しっかり勉強してしっかり働かなあかんよ』といつも言っていて、小さな頃はこわいと思ったこともありました。でも帰省すると水族館や海水浴など、いろいろなところへ連れて行ってくれました。大人になった今は厳しくも愛情をもって接してくれたおばあちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。
前に父のことをnoteに書きました。
父は警察官でしたが、退官を機に、おばあちゃんの介護の為に一人で故郷へかえり、10年間おばあちゃんと暮らしました。
母も一緒に暮らすと言いましたが、自分が最後までおばあちゃんを看取ると言い、母は月に何度かお手伝いに行くという生活を10年間過ごしました。
父は介護はもちろん、料理も洗濯もほとんどしたことがなく、すべてが60歳からのスタートでしたが、会う度にどんどん上手になっていく姿に驚かされました。
何歳になっても気持ちさえあれば人間は成長していけるということを父の背中から教えてもらった気がします。
『60歳になってからこんな人生を過ごすなんて夢にも思ってなかったわ。面白い人生やな!』と父はよく笑っていました。
別居生活をしている両親は、離れている分いつもお互いに『ありがとう』と言い合い、娘の私から見てもそれが素敵で、私の自慢の両親です。
おばあちゃんが誤嚥性肺炎で余命を宣告されたとき、父は『自分がおばあちゃんをもっと見ていれば良かった』と落ち込んでいました。でも、みんな父が一生懸命におばあちゃんに寄り添っていたのを知っています。
おばあちゃんは認知症になり、それからは会話することが出来なくなったけど、いつも笑顔で幸せそうでした。大好きな息子と暮らした10年は幸せで大切な時間だったと思います。
父は『おばあちゃん、お父さんが病院に着くまで頑張ってくれて、手を握ったらその後に亡くなったんや。手が温かったのに、どんどん冷たくなって。。』
と寂しそうに微笑みながらおばあちゃんの最後の話をしてくれました。
おばあちゃんは父が来るのを待っていたんだと思います。
おばあちゃんのお顔は穏やかでとても綺麗でした。
コロナのこともあり、身内だけの小さなお葬式でしたが、おばあちゃんに感謝の気持ちをたくさん伝え、最後は笑顔でお別れをすることができました。
おばあちゃんの棺に入れるために、みんなで寄せ書きを書きました。
私は『おばあちゃん、ありがとう!これからも一生懸命生きるから見守ってね!』と書きました。
私は家族が大好きです。
おばあちゃん、お父さんを産んでくれてありがとう。今私が生きていることも、こうして大好きな家族があるのも、おばあちゃんのお陰です。
一生懸命生きていくから見守っていてね!
おばあちゃん、ありがとう。