「劇場版ポールプリンセス!!を考える」
劇場版ポールプリンセス!!のストーリーについて考えてみる
痛み
劇場版ポールプリンセスは痛みを肯定する物語
ポールギャラクシーは「努力の証」とされ、痛みを象徴すると同時にそれを乗り越えた勲章のようなもの
鬼コーチと化したアズミ先生の厳しい練習、血豆、筋肉痛とアザだけではなくポールと触れ合う中での様々な痛みが描かれている
肉体の痛みだけではなく心の痛みもまたトラウマや不安という形で描かれている
比較的メインで描かれたヒナノ、スバル、ユカリだけではなくどのキャラクターも何かしらの不安を抱えてステージに立っている
ポールを掴む
そうした痛みと向き合うのに重要になってくるのがポールを掴むこと
劇場版のキャッチフレーズには「掴んだポールが、未来を拓く!」とある
ポールを掴むことは一つはポールダンスの世界に入ること
そしてもう一つは、自分を支えてくれるポールと向き合うこと
特にポールを掴むことが象徴的に描かれたのはスバル
スバルにとってのポールは心の声の役割を持つリリア
山を登りたいスバルは当然勝ちたいわけだがそうした自身の気持ちに向き合えず失敗を恐れるあまり大技に挑戦できなかった
リリアの想いを受け取りその手を掴むということは、自身の心の中で働きかけてくれる声に耳を傾け信じて託すこと、🎧がアイコンのスバルらしいテーマがうかがえる
回転と上昇
ポールを掴んだ世界は痛みがある世界、アザもできるし筋肉痛になるし失敗だってするかも知れない、一方で楽しいことや嬉しいこともある回転の世界でもある
楽しさや嬉しさというのは、成長の喜びや達成感という形で表現されている
「筋肉は裏切らない」とあるように痛みや苦しみを乗り越えた先に確かな成長があることで、再び痛みや苦しみの世界に入ることができる
また、不安を誰かに支えられて乗り越えていくというシーンも多く描かれている
たとえ何か失敗をしてしまって挑戦することに不安になっても苦しいことがあっても、そこには支えてくれる仲間がいる
仲間たちの応援や励ましはもちろん心の声もそうだし、好きなものや食べ物、衣装や、守りもそこにある想いを通して支えてくれる
そうして繰り返す日常の中、ジャパンカップ予選の入場口では不安でいっぱいだった彼女たちも、本戦では失敗や不安があっても仲間が支えてくれるから大丈夫だとアズミ先生がびっくりするくらいの勢いで飛び出していく
大会を目指してポールダンスを練習する日常、そんな繰り返す日々の中で少しずつ身体も心も成長していく
当たり前のことと思うかもしれないが、この当たり前を繰り返す先に空を飛ぶかのように舞い踊る世界が待っているのだ
重力と空を飛ぶ
星北ヒナノは翼を生やしてポールの上で空を飛ぶかのように舞い踊る
それは繰り返す日々の練習の中で筋肉をつけ、ポールの上での力の使い方を学んでいくことでたどり着いた世界
まるで重力から解放されたかのような世界だが、それは肉体だけでなく心も同じ
重力とは不自由な苦しみの世界、空を飛ぶように踊ることはそこからの精神的な解放を意味する
では、ヒナノはどこにたどり着いたのか
「ありがとう、見ていてね」
「あの時の私が今の私を見たらきっと同じことを言ってたと思います」
トラウマであったユカリの行為を肯定する言葉、あなたが与えた苦しみがあったから今の私があるのだと、世界にある苦しみを肯定した姿が描かれる
鬼コーチのアズミ先生による厳しい練習での成長とその先の達成感、不安な気持ちを乗り越えることでの自身の周りの支えてくれいる存在に気づけること
『痛みも苦しみも全て自身のために働きかけてくれる愛であり支えてくれるポールである』
このことに気づいたからこそヒナノは二元論的な世界から解放され翼を生やして空を飛ぶように舞い踊ることができた
ポールを掴んだ世界でできたポールギャラクシーは自身を支え照らす星空であり、痛みと共に世界が広がった証
この世界にある痛みも苦しみ楽しさも安らぎも全て自身を支えてくれるポールであり、私たちはポールに支えられて空を飛ぶことができるのだ
ポールプリンセスには沢山の嘘があるがポールダンスのモーションには嘘はない人はポールに支えられて空を飛ぶかのように踊ることができる
それは肉体だけでなく心も同じ、その世界は決して神秘的で超越的な世界ではなく、心のポールを掴んで回転する中で痛みや苦しいみも楽しみや安らぎも繰り返し、そうして少しずつ上昇していった先にたどり着くことができる世界である
ポールスターたちは私たちをそうした苦しみと安らぎの世界へと導いてくれている
スポ根もの?
劇場版ポールプリンセス‼︎は鬼コーチの元で厳しい練習を耐え抜き大会での勝利を目指すスポ根もののフォーマットをとっている
だが本作は根性により勝利を掴むのではなく、スポーツを通し己の根であるポールを見つめるという意味でのスポ根ものだと感じた
根性という言葉は現在では、苦しみに耐え抜く忍耐力にような意味で使われるが、本来は仏教用語であり「その人が持つ悟りを開くための性質」のことを言う
富士山の例えがある「富士山登るよ」と言うけども目標は別の場所だった
「後悔のないよう全力を出し切れば絶対いけるから」
このセリフからもアズミ先生は最初から勝利が目標ではなく、勝利を目指す中で得られる心身の成長を目指していたことがわかる
勝利を第一目標とされるスポ根ものとは前提が異なってるのだ
ヒナノがトラウマであったユカリも自身を支えてくれるポールであったことに気づいたように、鬼コーチというスポ根もののテンプレを利用して厳しさの中にある愛を照らし、空へと導く
劇場版ポールプリンセス!!は元来のスポ根もののフォーマットを利用しながらも、それをポールダンスと結びつけ再構築して新しいスポ根ものとしての物語を描いている
慈悲と智慧
何気ないワンカットだがとても重要なシーン
リリアの兎は仏教の慈悲の象徴であり、アズミ先生の鬼面は般若で仏教の智慧を意味する
仏教では慈悲と智慧は仏そのものであり私たちを悟りに導く働きであるとされる
慈悲は抜苦与楽の苦しみを取り去り楽を与えること、智慧は物事を見通した働きかけで、非常にざっくりと言えば慈悲は母性的、智慧は父性的な働きかけ
つまり、この世界にある安らぎと厳しさが私たちを悟りに導いてくれる仏の働きであると言うことで、私たちはそうした慈悲と智慧に支えられて生きているということ
一見すると王道スポ根ものや普通の物語に見える劇場版ポールプリンセス!!はこうした物事への深い理解と仏教の哲学を元に作られている作品なのだ
最後に
「ありきたりに見えるPerformance」
劇場版ポールプリンセスの物語はどこか普通に見えるかも知れない
しかし、それは普通の日常の世界にあるものをポールダンスを通して確かに映し出している
「何1000回、何10000回 挑む夜の彼方 希望は生まれくるよ」
主題歌にもあるように、何回も何回も映画を見ることで何気ない日常の中にあるものに気付けるようになっている
ポールプリンセスはこうして何度も何度もポールを登ることで辿り着ける世界へと私たちを導こうとしているのだ
今回話したのは劇場版ポールプリンセス!!の凄さの一部に過ぎない
とんでもない作品である