ドリフへの裏切り~今さらだけど・追悼志村けん
ドリフターズに対しては、うしろめたい思いがある。
ひとくちに「ドリフターズ」といっても、世代によってイメージするところは違うようで、わたしより少し年上の方は「荒井注がいた初期ドリフ」を思い浮かべるらしい。
1971年生まれのわたしにとっては、ものごころついたときから「ドリフといえば志村けん」だった。
PTAが子どもに見せたくない番組、なんて言われていたけど、幸いわが家はテレビ見放題だったため、土曜の8時はもちろん4チャンネルでスタンバイ(関西エリアです)。
『8時だヨ! 全員集合』に集合していたのだ。
オープニングの「エンヤーコーラヤ」でおなじみ、北海盆唄の替え歌の振り付けは、毎週見ていたのにまったく覚えられなかった。
(これ、おひょいさんこと藤村俊二さんの振り付けと聞いたのだけれどほんとうだろうか?)
加トちゃんと志村けんと、スターは二人いたけれど、どっちも好きだったけど、圧倒的に華があったのが志村けんだ。
「風呂入れよ」とアドバイスしてくれる加トちゃんが、少しお兄さんっぽく思えたのに対し、ドリフの中で最年少の志村けんは、完全に仲間だった。
テレビの前で「志村、うしろーー」と叫んでいた子どもにとっても、ただキャーキャー見ていた子どもにとっても、志村けんは他人じゃなくってコントの中の悪事やわくわくすること、こわいことの共犯者であり、自分を仮託したゲームのアイコンのようなものだった。
その民意 (?) が明らかに表れていたのが伝説の人形劇『飛べ!孫悟空』だ。
スーパーアイドル・ピンクレディーが実写、ドリフのみなさんは人形の姿で登場している。
主役の孫悟空に志村けん。
沙悟浄と猪八戒が、仲本工事と高木ブー。
三蔵法師にいかりやさん。
そして、加トちゃんはコントに出てくるハゲ親父「カトー」の役。
センターに立つのは志村けんで、加トちゃんは原作を逸脱したオリジナルキャラ。視聴者である子どもが納得する配役なのだ。
(『飛べ!孫悟空』はアマプラでレンタルできるらしい。ひさしぶりに
「♪ ニンニキニキニキ」聞いてみたい)
『全員集合』に戻ると、
「いっちょめいっちょめ、ワーオ!」
の東村山町音頭に熱狂したり、ヒゲダンスを見てフラフープを買ってぇぇと親にねだったり。
志村けんはいわばクラスのヒーローだった。
早口ことばも流行りの歌も、笑いも歯磨きのタイミングも、みんなみんな『全員集合』に教えてもらった。
なのに。
1981年に裏番組『オレたちひょうきん族』が始まったとたん、とっととそっちに夢中になってしまったのだ。
「ウイリアムテル」の高らかなトランペットで始まるオープニングからして新鮮だったし、お稽古を重ねて作られるドリフのコントよりも、瞬発力の
あるアドリブや楽屋落ちが、リアルで身近に感じられた。
そしてなによりも『ひょうきん族』は無法地帯だった。
「ひょうきんベストテン」というランキング歌番組のパロディでは、
「マッチでーす」
と、しれっと鶴太郎氏が登場した。
(片岡鶴太郎)というクレジットなしに、あくまでも「近藤真彦」として、
ニセモノが出てくるのだ。権利関係!
ほかにも、西川のりおのジュリーや山田邦子の島倉千代子などなど、
ニセモノが出てきて歌う。いや、大量の紙吹雪が落ちて来たりして、たいていは歌わせてもらえない。
たまに本物も登場するけど、こちらも歌わせてもらえない。
アイドルが出てきたら「ぴよこ隊」「フラワーダンシングチーム」などがバックダンサーをつとめて笑わせ、歌えないようにするのだ。
たしか C-C-B が「ひょうきんベストテン」に出たときは、演奏中の彼らに向かってダンサーズがどんどんボールを投げつけ、演奏を中断させていた。
ひどい笑。
コントとコントの間に、きちんと歌手の歌を聞かせる『全員集合』と、
ゲストにすら歌わせない『ひょうきん族』。
PTAが目をそむけるような「あかん子」だった『全員集合』が、アナーキーな『ひょうきん族』を前にして、どんどん「保守的な良い子」のように見えてきた。ウェルメイドなものに、勢いを感じられなくなった。
そしていつのまにか、『8時だヨ!全員集合』は終わってしまった。
最終回は見ていない。見られなかった。
自分も「死刑判決」をくだした一人だという自覚があったから。
自分の中の罪悪感と残酷さを正視するようでこわかったから。
そして。
いったん「おもしろくない」と思って離れたものを、終わるからといって
突然「終わってほしくなかった」と懐かしむのはちょっとズルいと思ったのだ。
後番組の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』も、ターゲットの世代的にズレていたのか、ほとんど見ることはなかった。
少し遅れてスタートしたフジテレビ『志村けんのだいじょうぶだぁ』は、
いしのようことの「お富さん」の踊りが好きでよく見ていた。
けどそのほかは…「変なおじさん」も「ひとみばあさん」も、実はあんまり記憶にない。大学に入って、テレビのコントよりも落語に夢中になったからかもしれない。
それから後、「あ、志村けんだ」と意識するようになったのはTBS『笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』の審査員としてだった。
審査員としての志村けんの印象は「真面目やなぁ」。
第3回、審査員から突如として出場、三村マサカズさんと組んで鉄板コント「牛乳」を披露したときには「そりゃないよ~」だった。
たぶん、審査員として見ているうち純粋にコントがやりたくなったんだろうけど、若手の中に大御所が混じったらそりゃ、優勝させるしかないやんか、と。
(いまでもあのときの一位は松本人志とトシが組んだ漫才だと思っている)
「志村けん」から遠ざかって、幾星霜。
2020年3月29日、新型肺炎で亡くなったというニュースに、へなへなへなと崩れ落ちそうになった自分に、自分で驚いてしまった。
わたしそんなに、志村けんのこと好きやったのか?
4月11日、BS-NHKでオンエアされた追悼番組を見た。
『ふたりのビッグショー・沢田研二&志村けん』だ。
このところテレビでは披露しない、ジュリーの往年のヒットメドレーを聞きながら、どんどんなつかしさが加速する。
「兵隊コント」、あったなぁ。
「鏡のコント」もやってたやってた。
「ヒゲダンス」、この音楽聴くだけで身体が動くよ。
はっぴを着た志村けんが唄う。
「♪ 東むらやぁまぁ~ 庭先ゃ多摩ぁ湖~」
涙がこぼれてしまった。こんな曲なのに。
追悼番組を見て、30年以上の時を経て、ようやっとドリフを裏切った罪の
刑期を終えた気がして、いいなぁ、懐かしいなぁと思うことを許されたような気がしたのだ。
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