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池袋桃色SM娼婦~ラムネとビー玉~

750円の買い物をする際に、例えば1,000円札を一枚渡しててお釣りを受け取ることは出来るけれど、1,050円支払ったりだとか、1,250円支払うという計算は難しい子、1,000円渡した際の釣り銭が仮に100円しか無かったとしても何の疑問も持てない子。
そういう子が、この業界にはそう珍しくなく存在する。
軽度知的障害や境界知能───
きちんとした診断が降りているのか否かはさて置き、素人目にもハッキリとそれと解るような、本来何らかのサポートや支援が必要な子が、この業界には当たり前のように居る。

ラムネちゃんは実年齢23歳で、店年齢は20歳と表記されている女の子だ。でも店年齢よりももっと幼く見える子で、化粧っ気は殆どなくそんなもの必要ないくらい可愛いらしい顔立ちをしていた。
現役にも見える幼い顔立ち。その容姿によく似合った制服姿のパネルは好評で写真指名はよく鳴っていた。

ただ何処となく世間からは5センチほど浮いている印象があった。尤もこの業界に居る女の子は僕を含め、世間からは3~4センチほどズレているような子ばかりなのだけれど。
ラムネちゃんは、いつも胸元や袖に食べこぼしのシミが付いた服を着ていて、真夏なのにモコモコのファーが着いているショートパンツを着用してきたり、反対に12月にサンダルを履いてきてしまう事もあるような、コーディネートがちぐはぐで、清潔感にはやや無頓着なところがあった。
それでも可愛いらしいものや少女趣味な服装が好みらしい彼女は、ことある毎に僕の仕事着を褒めてくれた。弾みでタンスの肥やしになったいた僕の服をいくつか渡したたらとても喜んで、以来毎日そればかり着るようになってしまう、そんな子だった。
人懐こいというか、子供のようにまとわりつく彼女のことを、僕は時々内心うっとおしく感じることもあったけれど、詫び入れる素振りまなく、いつもニコニコしている彼女を当初、ちょっと変わった子、天然な女の子。なのだと思っていた。
暫くして、7+5を指を折りながら計算している姿を見たり『これなんて読むの?』と聞いてきた漢字が小学校4年生程度の漢字だったりした事から、ああそういう事ねと、次第に僕の中で合致が付いた。

ラムネちゃんは客に対しても、スタッフに対しても僕らキャストに対しても誰に対して人懐こく『らむはねぇ…』と一人称を【らむ】と名乗っていた。ラムネちゃんだから一人称がらむなのは頷けるが、スタッフやキャストの前でもキャラクターを貫く姿勢に当初僕は圧倒されていた。

ある日、ラムネちゃんは彼女曰く【彼氏】との電話中も、自身をらむと名乗っていた。聞き耳を立てるつもりはないけれど、待機室で周りを気にせず大きな声で電話を続ける彼女の話しはどうしたってこちらの耳に届いてしまうというものだ。
『どうしよう…』
電話を切るとラムネちゃんはいつになく深刻な顔をして呟いた。誰かがどうしたの?と訊くまでもなく言葉を続ける。
『明日までに最低8万円は稼がなきゃ、彼氏に会えなくなっちゃった…』
それ彼氏じゃなくてホストだろ、その場に居る誰もが思ったに違いないけれど、この空間では担当ホストを彼氏だと呼ぶのはある意味普通の事で、ほかの女の子も歌舞伎町のお店でしか会えない【彼氏】がいる様子だったし、みんなそれぞれ等しく自分だけは特別で自身こそが【本カノ】だと思っている様子でもあった。
『今日明日で8万でしょ?何とかなんじゃない?ってか、彼氏の前でもらむって名乗ってんの?』
僕は何の気なしにラムネちゃんに言った。
奥から待機室の住人がボソッと『なんねーよ、1日4万余裕で稼いでますアピ、うぜぇよ』と暴言を吐いたのが聞こえてしまったけれど無視した。
『彼氏じゃなくて、みんなにらむって言ってるよ。らむ本名だもん』
…ん?
『えっとねえ、らむ、2つ名前覚えるの無理だし、お客さんの前でもらむって絶対言っちゃうって言ったら、店長さんがラムネって付けてくれたの』
普段から本名、芸名、源氏名、客に教える偽名、これらをきちんと使い分けた上で、それぞれにあった一人称を使い分けている僕にはラムネちゃんの言っていることはちょっとよく分からなかったけれど、店長の機転については、大したものだなあと感心した。
『そんな事より8万円どうしよう…なぎちゃんお金ある?貸してえ』
『貸さない。何に必要なのか解らないし、貸して貰えるかどうかは別だけど、バンスならフロントに相談したら?』
バンスとは、給料の前借り制度だ。幸い必要に迫られたことがない僕は詳しい制度や条件は理解していないけれど、前借りのシステムは確か存在していたはずだ。
『らむ、寮の家賃払ってないからダメなの』
『いや払えし』
ラムネちゃんをはじめ、毎月の家賃は支払えるものの転居の初期費用が用意出来ない子や、親と疎遠で連帯保証人が見つけられない子等、訳ありの子も多いこの業界では、店が借り上げた近隣のマンション住んでいる子も何人か居た。
『はちまんえんー!』
ラムネちゃんは周りを気にせずに喚いていた。
『うるせぇな。今日明日で8万余裕で稼げる奴が払ってやれよ』
待機室の住人が、こちらに背を向けたまま今度わざとは聞こえるようにそう言った。
『待機室の主がうるせえよ。稼ぐ気ねぇなら家で寝てろや』
危うく口を付いて出てしまう言葉を遮るように亜美ちゃんが声をかけてくれた。
『なんかお腹空いちゃった。なぎちゃんコンビニ行こっ』
亜美ちゃんの機転で、嫌な空気が漂う待機室から僕たちは離脱した。

『自分が苦労して稼いだお金、ホストに遣うなんてバカみたいって思うけど、ホストじゃないだけで私も一緒だからなぁ。むしろホストより酷いかウチのは』
さして欲しい訳でもないコンビニのスイーツコーナーの前で亜美ちゃんはポツリと言った。コンビニの蛍光灯の灯りが煌々と僕たちには眩し過ぎる。
『そんなこと…』
そんな事ないよ、と言いきれない僕が居た。

次の日、仕事から待機室に戻ると、同じく待機室に戻ってきたばかりらしいラムネちゃんが泣いていた。
『痛いー』
お客さんに怪我でもさせられたのだろうか。おしりの辺りを押さえて涙を流すライムちゃんに事情を尋ねる。
『ラムネのね、ジュースの瓶をね、お客さんがアソコとかお尻に入れて見せてほしいっていうから。らむ自分で入れたの。アソコには入ったんだけどね、お尻に入れようとしたら切れちゃって…』
いったいどういうプレイだ。
『オプションでもないのにそんなの断っていいんだよ!ってか怪我したら元も子もないじゃん。今日はもう仕事上がるしかなくない?』
断る断らないはさて置き、サイズ的には入口を解してローションを使えば入りそうではあるけれど、そういうSM店で働く上での常識的な知識さえもラムネちゃんには無さそうだ。
『でも、もうちょっとお仕事しないとぉ』
ラムネちゃんはあと5万程稼ぎたそうだったけれど、これでは仕事になるまい。
親切な女の子がラムネちゃんにボラギノールの軟膏を貸してやると、ようやく泣き止んだ。
『ラムネの瓶のビー玉ってどうやって取り出すの?』
この状況と全く相応しくない質問を投げかけているということは、いつものラムネちゃんだ。どうやら傷自体はそう深いものでは無いらしい。
『あたしは早退した方がいいとは思うけど、とりあえずフロントに電話して、出血止まるまでは一旦仕事休んだら?』
『一旦休んだら全部で8万円になるかなあ。』
ダメだ会話が噛み合わない。

『話したくなかったら別にいいんだけど、ラムネちゃんて何でこの店来たの?』
風俗にしたってこの子のルックスと年齢なら、もっとライトなそれこそハンドサービスのみの風俗店でだって十分に稼げる気がする。
『らむがね、お金無くて困っていたら親切な人が紹介してくれて、面接に連れてきてくれたの。それまでコンビニとかパン屋とかでバイトしたんだけど、どこも怒られてばっかですぐクビになっちゃったんだけど、ここのお店は、らむのこと怒んないしクビにしないし、お客さんも優しいから、好き』
小学校低学年程度の漢字しか読み書きが出来なくて、簡単な足し算引き算も九九も言えないラムネちゃんが接客販売に関わる仕事が難しいというのは容易に想像出来る。それと同時に、そんなにラムネちゃん相手に、どんな親切心が働けばSM店に沈めてやろうなんて思えるのだろう。だいいちラムネちゃんの身なりを考えれば、SM店で働くほどの大金が必要だとは到底思えなかった。

ただし、ラムネちゃんの言っていることも解らないではない。最低限の挨拶と簡単な受け答えが出来て、あとはチンコさえしゃぶる事が出来れば、一先ずこの仕事は務まる。
ここでは読み書き算盤は必要ないし、それに射精に導いてくれる女に対して、基本男は優しい。
両親とはもう何年も連絡が付かず、満足に読み書きすら出来ない彼女が一人で生きていくには、風俗しか選択肢が無いという事なのだろうか。
好き好んで自らノコノコこの業界にやってきた僕が、ラムネちゃんを憐れむだなんて見下しているようで嫌な気持ちになってしまうが、それでも僕は何だか心がギュッとなる感覚を覚えた。ラムネちゃんが本来欲しているものなんて、高々知れている。キャラクターものの文房具と少女趣味な服、それとせいぜいラムネ瓶のビー玉くらだろう。あとは愛情か。
ああそうか、愛情に金がかかっているのか。

結局その日トータルで8万円を稼げなかったらしいラムネちゃんは、翌日から3日程無断欠勤し、次に僕らの前に現れた時には、酷い酩酊状態で真っ直ぐ歩く事も出来ず、何処に脱ぎ捨ててきたのか足元は裸足だった。脛は所々痣が出来て、擦りむいた膝からは血が流れていた。誰かに殴られたのか顔がパンパンに腫れ上がり左の目の周りは、ジャイアンに殴られたのび太くんのような青痣がサークル状に浮かんでいた。
そんな状態なのに、何故か瞳孔は開かれていて、こちらの呼び掛けに答えることはなく、意味の無い喃語のような言葉を繰り返していた。
僕らでは埒が明かないと、フロントから駆け付けたスタッフにラムネちゃんを引き渡そうとすると、彼女は突然発狂した
『爪の中から蛆虫が出てくる!』
詳しいことは解らないし想像もしたくないけれど、そこいら辺の薬をオーバードースした程度の症状でないのは素人目にも一目瞭然だった。

その日を最後にラムネちゃんに会うことは無くなった。というか、怒られないしクビにもされない唯一の砦だったこの店からもラムネちゃんはクビになってしまった。
あの子ヤバかったよね、そんな噂がしばらく待機室で囁かれていたけれど、2週間もすればみんなそんな事忘れて、呆気なく日常は戻ってきた。

それから数ヶ月後。
ラムネちゃんの訃報が届いた。自殺だったそうだ。所持品のラムネちゃんの携帯電話から、店のナンバーが登録されていて、店に警察から連絡があったらしい、と聞いた。
7の段も言えないような子がどうやって自殺する方法なんて知ったと言うのか。もっと繋げてやるべき支援先があったのではないか、せめて傍にいてあげることくらい…色々考えて偽善者ぶるのはやめようと思った。
人生でほんのちょびっとすれ違っただけの女の子が居なくなってしまった、それだけの事だと思わないと僕が壊れてしまいそうだ。
あの日8万貸してあげたら違う未来があったか?いいやきっとない。せいぜい結末が少し先延ばしなっただけに過ぎない。

風俗はハンデがある人のセーフティネットなんかじゃない。なんなにはなりきれない。
早い段階で繋がるべき支援に繋がれば、彼女は今でも何処かで生きていたかもしれない。
そう思うとあまりにやるせないので、僕は今日までずっと何も思い出さないで生きてきた。
だからきっと、ラムネちゃんのビー玉みたいにキラキラした笑顔は僕の思い出補正が勝手に作りあげたAIのようなものなんだと思う。
きっとそうだそうに違いない。
そう思わせてくださいどうか。


※こちら投稿は筆者の実体験が元になっておりますが、登場する人物の名前等は一部フィクションが含まれております。





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