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言葉かけの学び〜癇癪発動の理由。母の態度や言葉かけにもある様だ〜

言葉のかけ方で。どう三男が取るか
そこまで考えず
対応していたことがあるなと
気がつく
三男より“課金して”や“ダウンロード”してと言われてできない時にわたしは
“できない”と伝えてきた。
本当は“やらない”“しません”という表現がよい。
どう違いがあるのか
わかっていなかったが。
“できません”って言葉だと
考え方によっては、“できませんっていまならできない?ならいつできるの?”って取られてしまう可能性があるんだって事
やってあげたくないなら
“わたしはやりたくありません”と伝えていかないと通じない
希望を持たせる話し方のつもりでなくても
やりたい本人は、どうにかできる方法を見出す。
だから、いつまで経ってもやってもらえないことに苛立つ。
まぁ。勝手に苛立ってるだけだが。
そんなところも癇癪の一因じゃないかと。

また、学校へ父が連れて行こうとするわけだが。
父から“1時間で良いから行ってごらん”と言われるのが腹が立っていると
父が会社に行ってから
母であるわたしに文句を言い始める
あれから、父は無理くりいかせている訳でもなく、父の考えを彼に伝えているだけだが。
父がいなくなってから
“いつもいつもさ、あー。やっていうのがうざい。行きたくないのに。”と怒る。
ただこれ、内容は父に向けたもの
それをわたしに言うのがルーチンであったが。そもそも
これ言う相手が違いますね。
そう思っているなら
父に言わないとねと伝えていく必要があると感じ。
対母にはただの愚痴
愚痴では行動は起こせない
本気で自分が嫌でそこまで愚痴が言えるなら
本人に言わないとね
と言ってごらんと伝えていく必要がある。

まず聴くは良いけど
その後のフォローが大切だと
そうだ
対相手に言わないで動いてくれる人に愚痴を言って、状況変えてもらえる様にやってなんて
図々しい考えだ。
そんな行動に母を道具で使うなって
感じた。
母なら何言っても大丈夫は間違い😑って事

父には出さない癇癪
母ならだす癇癪
そうやって人を分けらて考えている事自体
考えた目的のある行動があるって事らしい。
目的にされない様に毅然とした態度で
対応していく。

支援してくれる方が増えてから
この様な新しい考えをもらえるようになってきた。

ただ、今までずっと我慢してきたから
感情がすぐにでない。
本当はわんわん泣きたい自分がいるのに
支援の方にも涙もでない。
そんな凝り固まった状況から脱出していきたい。

まだまだ助けてを伝えて、私が穏やかに過ごせる時間を獲得していく。

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