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次男のアレルギー生活②

我が子は食物アレルギーっ子
産まれてから食べる普通のことに負担がある。
そんな彼とわたしの葛藤。

①を下につけてみました。

小学生になる頃には卵だけアレルギーになった彼ですが

学童期のアレルギー子は
まぁ。大変。

保育園の頃は
栄養士さんが見た目をみんなと同じにして卵小麦の入っていないものを作ってくれた。

食の細かった彼に合わせて、スパゲッティやラーメン、ケーキ、ドーナツも米粉で作ってくれたり。感謝しきれない日々だった。

ただ小学生はこれは無理
給食の対応は
途中除去、食べない、持ち込みと3パターン

その前にあらかじめ医師から除去しないといけない診断書(生活指導書)がいる。
この生活指導書は1通書いてもらうのに何故か保険が効かず2500円ほど取られていた。

この指導書をもとに
栄養士と面談し
除去→親子丼なら溶き卵を入れる前に皿に取り出す。
除外→たべない。
持ち込み→代替で家から持ち込む

こんなパターン。
1か月の献立表を親がチェックし、卵の入ったメニューをチェック
それを除去か代替えか持参かマーキングしていくのだ。

こんな形で、給食にトラブルはなく6年すぎた。

宿泊研修は、事前にホテルや宿泊場所に親が電話して相談。
次男の場合揚げ物油の共有も鍋の共有もNG🙅‍♀️

調理実習のゆで卵をやったあとの調理室に入るだけでアレルギー反応のでる
たまご感度の高いアレルギー子である。

誤食って言って間違えて卵製品を食べてしまった事もある。

ほとんどがわたしがきちんと確認できていない事が多かった。

商品の後ろにある内容表示をずーっとみて買い物をしてきた。買い物のたびにずーっとみていたから、今よりアレルギーがメジャーじゃない時にはかなり不思議な目で周りから見られていた。
こんなにみていても抜けてしまうのだ。
母の確認は100%じゃないから。

一番強く出たのは小1の夕飯時に
いつもは王将の冷凍餃子を食べていたが
この日は、何故かAJINOMOTOの冷凍餃子を食べていた。
そう。AJINOMOTOの餃子には卵成分が入っているのだ。

長男が“ママなんか変だよ。次男”とお知らせされた時はもうすでに意識が怪しく。
病院へ連れて行った。
体重が15キロなかったからエピペンはもらえてなく。すぐに病院へ行ったが。
自家用車で連れて行ったから小児科の先生にかなり怒られ“お母さん救急車だよ”と言われた

その時は3日ほど入院した。

小1の彼から“ママの事は許さない。ママの話事は信じない。”とアレルギーの信頼はなくなった。

それから、彼は自分が口にするものはまず自分で見てから食べるといい、商品表示を必ず見て食べている。

これがあったからか
アレルギーに関してはかなりしっかりしてきた。

そりゃそうである。
命に関わる事だ。
それから、小1から今まで自分で食べるものは彼自身が見る事に徹している。

修学旅行のメニューも親が旅館に電話はしたが食事内容は自分で確認していた。

友だちと外食するときも事前に友だちに食べることのできる場所は伝えて、そのレストランのメニューを自分でスマホでアレルギーをみて決めているし、食べる前に店員にアレルギー表をもらって見てから食べている。

日本のアレルギー事情はかなり意識が弱い。
アメリカは訴訟国だから、ビーガンとか宗教的食習慣もありかなり詳細なアレルギー対応があると知人から聞いたことがある。

この続きも③へ続きます。
よかったら読みにきてもらえると
嬉しい😃です。


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