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擬洋風建築その2:鶴岡市無双編。

知れば知るほどわからなくなってきた擬洋風建築について、お話しします。


旧木田郡役所(香川県木田郡三木町)全国旧郡役所擬洋風建築シリーズ。
旧栃木町役場庁舎(栃木県栃木市)現在は文学館として開放。

久方ぶりに取り上げることになります、擬洋風建築という建築物分野。
ややマイナーであり、悲しいかな未だ人口に膾炙している感の無い用語でありますが、前回試みました考察をもとに評価しますと‥‥

  1. 江戸末期~大正初期の建築であること

  2. 外見は一見して洋風建築であること
    ←エンタブラチュア、車寄、ベランダ、望楼・鐘楼、色付きの下見板張り外壁、ルネサンス様式といった欧風スタイルの模倣など。

  3. 木造建築であって和瓦を用いること
    ←スレート屋根も。また、後世の保存・改修工事後の可能性もアリ。

というような定義となります。
もっと端的に定義しますと、「瓦葺きの和洋折衷木造建築」となるでしょうか。

旧呉鎮守府司令長官官舎(広島県呉市)
洋風建築に和風建築が接続しているだけなので擬洋風建築ではない。

そんなわけで擬洋風建築に興味をもって、はや4年以上。
全国津々浦々を逍遥している中でふと目にし、ああよいなァと思うことができる程度の知識と感性を鍛えてきたつもりですので…
その途中経過として、最近訪れましたイチオシ擬洋風建築スポットである山形県鶴岡市での体験につきまして、書き残しておこうと思います。
ありがちな旅行ブログ回として、楽しんでいきましょう!


羽黒山登らずに鶴岡へ来たと言う勿かれ

おはようございます。
ここは山形県鶴岡市羽黒町、東国修験道最高の聖地である羽黒山の門前にやって来ました。
は?擬洋風建築は??

いやいや、否応なしに我々まれびとの視線を釘づけにしてしまうあの出羽三山の霊力を前にして、行かないという選択肢はないでしょう。
せっかくですのでね!

まさに深山幽谷、鳥の囀り、草木の揺れる風の音、潺湲たる水の流れに支配された聖地に相応しい参詣路をゆっくりと歩んでいきます。
7月初旬のクソ暑い時期に訪問しましたが、朝方であったこと、これだけの木々に囲まれた高地ということもあり、むしろ心地良さすら在ります。
こんな時間でも意外に観光客が多いのがスゴイですね‥‥

国宝五重塔は残念ながら工事中ではありますが、その威厳は健在。
いやはや本当に、室町時代当時、どうやってこんなところまで資材を運んでしかも組み立てたんですかね?(畏怖)
おいほら見てみろよ?誰も来ねぇぜここ。すっげぇ山奥だからさ。誰も助けに来ないんだぜお前?えぇ?絶対助からねぇぜ?すっげぇ山奥だからさ。誰も来ねぇぜここ。

あと、方形寄棟屋根上部に出窓あるいは擬宝珠を乗っける社殿建築、今回の出羽訪問中にしばしば目にしたのですが‥‥
地域様式なんですかね?(未調査)

前言撤回。7月上旬というのは間違いなく、夏。
流石に2446段もある石段を登り続けるとなると、如何に心地よい風が吹こうとも、暑いものは暑い!汗だくです!!!
いやーキツイっす(素)

しかし登りながら余所見をしてみると女性の姿もふつうに見かけられ、こういった修験道聖地ですから女人禁制について思いを馳せてしまう。
(手持ちのメモを眺める)
柳田国男『妹の力』所収の「老女化石譚」では、霊能ある女性が女人結界を侵犯したために石などに姿を変えられたという類の伝説が各地に分布していることに注目、かつては女性が山麓で宗教的儀礼を行い、その地が後世の女人禁制を発生させたと説きました。
あるいは鈴木正崇『女人禁制』によると、元来は山地民と平地民の生活圏境界に由来すると推定し、修験道・山岳仏教の発展により平地民にとっての異界である山は神仏の領域とみなされ、日常を離れた修行の場としての境界領域を示すために発生した禁忌が女人禁制であると説きます。
兎角学説は多々あり、就中現代的ジェンダー問題に対しては無関心の私でありますが、こういった現状を見ると、聖地は既に「観光地」と堕したとも思えてしまいますね。

というわけで隋神門より寄り道と休憩を重ねて登り始めて約80分、漸く頂上へ到着。
偉大なる出羽三山の神々悉くをこの地に祀る、巨大な羽黒山三神合祭殿がお目見えです!
いままで見かけたお堂たちと同様に、諄いくらいの神社様式建築が立ち並んでいる山上の景色ではありますが‥‥

そういえば、羽黒山って神社でしたっけ‥‥?と、登り切ってからチラリと脳裏に疑問が浮かぶ。
長野県長野市の戸隠神社を訪問した際にも感じた、修験道聖地特有の雰囲気と謂いますか、違和感といったモノを機敏に感じ取れ、神社とも寺院とも違う、独特の空間が確かにあるのたと、今更ながら気づき始める。
というか、今更ながら修験道ってなんだ。
素人知識として修験道は仏教でも神道でもない民間信仰の残滓であるという認識があったが故に、無意識に理解を拒んでいました。

こうした違和感の正体を探るべく、境内にある出羽三山歴史博物館にてさらなる情報収集を行ったところ‥‥

中興の祖:天宥僧正を祀る社
蜂子皇子の陵墓
  • 羽黒山は神社であるよりも寺院である経験のほうが長い。

  • そういうわけなので五重塔というモニュメントが有名。

  • 開山の蜂子皇子は貴種の血脈。

  • 明治の廃仏著しく境内の堂や像はほとんどが遺失してしまった。

  • ただし修験道は神仏習合が激しいため境内社自体は寺院時代からあった可能性もある。

というわけでありました。
霊験がありつつ違和感のある参道の正体は、それらの複合的な理由が関わっていそうです。
まだまだ語り足りない、議論すべき事項は多いですが‥‥
東国修験道最高の聖地としてさまざまなインスピレーションを得ることができる、良い想い出となりました!


建築ファン絶頂スポット!致道博物館。

かくして、愈々本題へ。(余談が長過ぎます!!!!!!)
酒井家十四万石(実収入は絶対二十万石以上ある)の城下町へ戻って来まして、鶴ヶ岡城に隣接する致道博物館なる地域博物館を目指します。
‥‥などと思っていたら、あまりにもステキすぎる教会建築を目撃してしまったので、早速寄り道。

こちらは鶴岡カトリック教会天主堂、明治三十六年築。典型的な欧州式ロマネスク建築で、地方都市では十分目立つほどの高さの鐘楼は迫力がある。
これまたロマネスク様式特有のロンバルディア帯の半円模様の連続が見上げる鐘楼を取り巻き、全体として素朴ながらも凝った装飾が認められます。
これまた青空に映えますね‥‥。
中に入ると教会堂特有の三廊式バシリカ型平面が露になり、身廊の高い天井と側廊の低い天井とが空間にメリハリを与え、説教台に差し込む木漏れ日が実に暖かい印象を受けます。

改めて外観を眺めると先の身廊と側廊の間の一段下がる箇所には小さな丸窓を設けていて、実に教会建築らしい要素を網羅的に擬そうとした先人たちの気概が感じられます。
それでいて和風要素を感じられる瓦葺きであり、さらには白亜の教会建築に似つかわしくない重厚な黒門には「天主堂」の文字が掲げられているというギャップが興味深い。
素人目に見ても、スゴク良い。

街中にふと現れる、確かな歴史を感じる建築物。
これが、これが鶴岡なのか‥‥!?

そしてやって来ました致道博物館ですが‥‥なんだこれは‥‥

こちらは鶴岡警察署庁舎、一目で強烈な印象を叩きつけられる、あ明らかな擬洋風建築。国指定重要文化財。
――いや、我が国擬洋風建築の到達点のひとつ、に相違ない。
水色が美しすぎる‥‥!
こちらは庄内地方を代表する大工棟梁として名高い高橋兼吉による設計であり、初代山形県令・三島通庸の命により明治十七年(1884年)に同市内馬場町に建てられました。
和瓦葺き宝形造りの堂々たる外観に圧倒され、同様に屋根の大棟や破風の妻飾りなどは在来の建築様式を踏襲している一方、外部窓廻りにはルネサンス様式の模倣が見受けられる点が興味深い。

5年に及ぶ保存修理工事と調査を経て外壁や三段構造の内部取調室などが復元、平成三十年(2018年)より一般公開が始まったということ。
わりと最近ですね‥‥。
館内には同館の詳細な解説や郷土史の紹介、そして復元された明治期の警察署の様子が展示されております。

そして、ふと見上げると‥‥
外壁の青が空の青と溶け込み、筆舌に尽くしがたいほど美しい。
思わず息を呑み見惚れてしまう、これほどまでに建築物に感動する経験も稀であります。
これが、これが鶴岡なのか‥‥!?

そしてもうひとつ、致道博物館敷地内には鶴岡警察署庁舎と関連する擬洋風建築が。
コチラは旧西田川郡役所、設計は同じく高橋兼吉の手によるもの。
その名の通り明治維新下の郡制施行により設置された郡役所で、これまた初代県令・三島通庸の命により明治十一年(1878年)に落成しました。
前回の旧済生館本館もそうでありましたが、三島さん擬洋風建築好きですね‥‥
当時の政府にとって、西洋風の先進的な行政施設を取り急ぎ着工することが、威信確保のためにひとつの手段であると考えられていたことを示唆していますね!

正面に存在感を放つバルコニーと塔屋・時計台が特徴的であり、玄関ポーチの柱脚台と頸巻繰形・軒先廻りの化粧垂木、上げ下げ硝子窓などルネサンス様式の模倣がよくよく観察できます。

館内には考古学資料や戊辰戦争関連や明治文化についての展示があり、旧郡役所の現在としてよくある郷土資料館的利用法。
2階への階段は無理矢理感のある傾斜であり、さらに2階から塔屋へと登る階段は下から支える柱が無い「つり階段」と呼ばれる構造であり、擬洋風建築らしい。
鶴岡警察署庁舎と比べると確かにインパクトには劣るかもしれませんが、旧郡役所として典型的な明治期擬洋風建築の歴史を色濃く残す、穏やかで温かみのある良い建築物であります。

全国旧郡役所擬洋風建築シリーズが、鶴岡にもまたひとつ。
これが、これが鶴岡なのか‥‥!?

旧渋谷家住宅

というか致道博物館の敷地内、同じく鶴岡市田麦俣高ハッポウ多層民家まであるじゃないか、たまげたなぁ‥‥。
アッ、高ハッポウというのはですね、主に養蚕業への適応として通風・採光を意図して設ける高窓・切上窓です。
そして田麦俣集落は庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の要所で、湯殿山信仰が盛んになるにつれて宿場的性格を帯びてきた地域。
豪雪地帯特有の自然条件や参拝客の減少による産業構造の変化により生み出された独特な茅葺き農村建築の外観ですが、高ハッポウによる均整の取れたをもって、武者のかぶった兜の姿に似ていることから「兜造り」と呼称されます。

件の上層部分はこのような雰囲気。
生活空間上部の二階・三階が養蚕用スペースであり、豪雪時にはここから出入りすることもあるそうな。
日本全国の民家建築に大きな影響を与えて来た養蚕の導入でありますが、田麦俣では明治期以降ということで意外と遅い。
(ま~た「創られた伝統」問題ですかね‥‥?)
兎角、いざ室内に居ると想像以上に明るい印象を受け、そんな家畜昆虫が如何に人びとに大切に扱われたのかが感じ取れます。

間取りは主人用のオヘヤを設ける五間取り式で、二階・三階も併せて一般的農家よりは広めの印象を受けます。
オメエ(居間)とデイ(客間)が別釜なのが大変気になりますが、施設の方に伺い資料まで確認しましたが、ちょっとわからなかったですね‥‥。
ドマにはウマヤ(ただし飼育していたのはウシ)が設けられているのも地域色が出ていて素敵ですね!

田麦俣現地にも行きたかったものの時間の都合上諦めていたので、まさかのデウス・エクス・マキナに大感激。
1,000円でこんなに楽しんでしまっていいんですか???
ありがたいっ‥‥ありがとう‥‥!!
これが、これが鶴岡なのか‥‥!?


オタクは推しの駅名で下車&散策しろ!羽越本線藤島駅。

ハロめぐ~!
翌朝、羽越本線で鶴岡駅からひと駅東へ進みまして、となりの藤島駅で下車することを決心しました。
いまの推しコンテンツである蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブに登場する世界一カワイイスクールアイドルこと藤島慈さんと同じ名詞が見えたため、なにも考えずに下車しただけです。
これ以上でもこれ以下でもありません。でも満足だ!!!

そういうわけですから、次の列車がやって来るまでの90分間の無計画散歩が始まりました。
案内板を見ていると徒歩圏内に「藤島歴史公園」というのがあるようでしたので、とりあえずそちらを目指して逍遥してみます。
閑静な住宅街に馴染む畑と川沿いの風景が広がっていますが‥‥
歩いていると遠目より社叢が確認できましたので、立ち寄ってみましょう。

由緒紹介によると本宮は出羽国国府総社六所神社
地元に愛されている長閑な陣者といった雰囲気でありますが、小雨が降ってきてなんとなく神妙な感じが増してきます。

そんな「六所」というのは「六柱の祭神を祀る」、すなわち旧令国制下における一宮~六宮を勧進したという意味です。「総社」との違いを論じるのは避けますが‥‥
つまりは、かつて出羽国の中心地であったことを示唆するもの。
自治体によると、南北朝時代には南朝の拠点として、かの北畠顕家卿の死後鎮守府将軍となった弟・北畠顕信が護永親王を報じて旗揚げしたのが同地の藤島城だということです。

無計画で立ち寄った未知の土地に不意に現れる、想像以上に壮大な歴史が、全身に沁み渡ります‥‥!

などと感傷的な寄り道をした後、漸く件の歴史公園へやって来ましたが‥‥
なんだこれは‥‥(2回目)
白亜の下見板張りコロニアルスタイルが和瓦に強調される、貴婦人のような佇まいの建築物が住宅街に現出します。
玄関の妻飾りがゴシック風でかわいいね♡

コチラは旧東田川郡会議事堂
明治時代に入ってからも藤島地区は荘内の要衝であったようで、郡区町村編成法により旧東田川郡の役所が置かれたのが同地。
明治十一年(1878年)の郡制施行時に初代議事堂が建てられ、明治三十六年(1903年)に大改装を受け現在の姿へ。
内部は一階は外周に廊下を廻し、その内側に長押付和風・畳敷きの座敷間を配する一方、2階は洋風の大広間で議場や各種会合に使用されていたということです。
現在は図書館や市民ホールとして利用されているのも、擬洋風建築の現代的情景としてエモいですね!

そして旧東田川郡会議事堂の向かいにあるのが旧東田川郡役所
外観はどう見ても純和風でありますが‥‥
なんと初代郡役所は議事堂同様の擬洋風的様相であり、火災で焼失した後に純和風で重厚な現在の姿へ改装されたというのです!
しかしながら建物内部には回廊式中庭を設けるといった洋風建築様式も取り入れられており、これまた擬洋風のひとつの姿として当時の大工たちの粋を現在に残しています。
もちろん棟梁はあの高橋兼吉。やりますねぇ!
館内は全国旧郡役所シリーズにありがちな郷土資料館であり、藤島地区の歴史をねっとりと学ぶことができます。
うれしいですね!

そんなこんなで、不純な目的で始まった藤島散歩でしたが‥‥
顧みれば、5個前くらいのマイブームである〈無計画ローカル線下車〉とやっていることは同じでありました。
未知の土地での藪蛇の出会い‥‥最高ですね!!
他の蓮ノ空メンバーたちの地名で、同じことやりたいですね!!!


おわりに

銀座通り(鶴岡市)全国シャッター商店街銀座シリーズ。
大寶館(鶴岡市)入館していないがおそらく擬洋風建築。

以上、建築を中心にたっぷりと楽しんだ、初夏の鶴岡市でありました。
なんだかんだで丸一日かけて、どっぷりと鶴岡市を観光。
鶴岡警察署庁舎の存在を山形市旧済生館本館訪問時に知り、行きたいなァ行きたいなァと思い続けて1年半、ようやく実現したわけであります。
音に聞くその威容と美麗さに驚かされるとともに、高橋兼吉による他の擬洋風建築たちとの遭遇、その他にもステキな建築物たちに圧倒されるなど、さまざまな角度から擬洋風建築について再考することができました。

旧田代家西洋館(佐賀県西松浦郡有田町)
おそらく系擬洋風建築。

今回の旅行では多くの擬洋風建築をゆっくりと観察でき、育ててきた知識と合わせて咀嚼を進めることができたつもりではありますが‥‥
とはいえ、「これは擬洋風建築だな!?」と自信をもって解説版に目を向けてみても、あるいは管理人さんにお話を伺ってみても、確実に「そうです」という回答が得られない場合が多く、歯切りが悪い。

まァ、これも研鑽を積めば感性も変わるであろうと思いますので…
今後も引き続き、全国の物件を訪問して知見を深めていきたいですね!


めぐちゃんすき
めぐちゃんすき
めぐちゃんすき
めぐちゃんすき

いま蓮ノ空102期生の二次創作を書いています。
翌月中には公開したいなァと思っているので、乞うご期待。


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