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【第244回 開催レポート】「すべての、白いものたちの」ハン・ガン著 斎藤真理子訳

開催日:2025年1月11日
課題図書:「すべての、白いものたちの」ハン・ガン著 斎藤真理子訳

タイトル:「白」という字の語源を知っていますか?

1月も半ば、日に日に寒くなりますね。
赤メガネの会第244回は、昨年ノーベル文学賞を受賞された作者の作品を読もう、ということになり、
韓江(ハン・ガン)氏の「すべての、白いものたちの」を課題図書として開催しました。

2024年の10月10日にノーベル文学賞が発表され韓さんが受賞されたのですが、
議論の中で2017年に同賞を受賞したカズオイシグロ氏の経験が話題になりました。
受賞者は、当日の発表瞬間まで自らの受賞を事前に知ることは一切なく、
彼は当時、たまたま電話で話していた知人がテレビで受賞者発表の中継を見ており、
その知人から自身の受賞を電話口で知らされ、その後すぐに自宅の周りが記者で騒がしくなり、
たいそう驚いたそうです。きっと韓さんにも似たような驚きの瞬間があったことでしょう。

韓さんは韓国の南西部クワンジュで1970年に生まれ、首都ソウルの大学で文学を専攻しました。
23歳の頃に詩人として作品を書き始め、その後小説家としての活動を始めました。

彼女の代表作には、第154回で赤メガネの会の課題図書にもなった2007年の発表の「菜食主義者」があります。
当時私は在籍していませんでしたが、参加されていた方は印象的だったようで、突然肉食を拒否し、菜食を始めた妹を見つめる姉の描写の凄まじさが圧巻の作品だったそうです。
この作品が高く評価されたこともあり、イギリスで最も権威ある文学賞の翻訳部門にあたる
「ブッカー国際賞」を、アジア人として初めて2016年に受賞し世界的な評価を得ました。
その韓国を代表する作家の一人となった彼女が、2024年にノーベル文学賞を受賞し、自身の評価は世界的に不動となりました。

さて、今回の課題図書は「すべての、白いものたちの」という2016年に発表された作品です。

読後の印象としては、自分の母親が22歳の頃に早産して亡くしてしまった姉への想い、
様々な朝鮮半島での記憶、第二次対戦中にホロコーストで廃墟になり再建したワルシャワ、
それらを「白」のモチーフを使った65の短い文章でつなぎとめていて、
すぐに解けて消えてしまいそうな儚さを感じる作品でした。
個人的に、それらの短い文章の中でいくつかのものは深く心に残りました。

特に「白髪」という章では、自分が年を重ねて真っ白の白髪頭になったら、
かつての恋人にもう一度会いに行きたい、という作者の上司の方の挿話がありました。

p119:
 もう一度あの人に会いたいときが来るとしたら、きっとそのとき。
 若さもなく肉体もなく、何かを熱望する時間がすでに尽きたとき。

過去の自分の選択によってはあり得た現在や未来の姿に思いを馳せることが
年を重ねることに増えているのですが、この文章がその行き場のない想念を入れておく
ひとつの確からしい器になったような気がします。
70歳にもなった頃、この文章を自分が思い出したとして、実際何を感じるんでしょう。

参加者のみなさんは、作者の亡き姉に対する想いの強さへの共感しつつ、
全体の構成やわかりやすい作品ではないこともあり話をしながら少しずつ理解を深め、
それによって個々の印象を再度噛み締めているような印象がありました。
解説を拾う中で全体で大きな構成があることが示唆されていたこともあり、
簡単には読み取れないが確実に存在する構成の緻密さに一同驚きました。

その議論の中で特に時間をかけて触れられていたのは、「言葉の美しさ」でした。
私自身、読後にインターネットで他の読者の方の感想を読みましたが、
多くの方がこの作品における「言葉の美しさ」について触れられていました。
確かに言葉の選び方や、イメージの掴みやすさ、それによって感じさせる
冷たさや哀しさや儚さで、短い作品が故に「言葉の美しさ」の強さを感じます。

その「言葉の美しさ」について話す中、議論で盛り上がったポイントで、
先日たまたま近所のスペインバルのシェフが言っていたことを思い出します。

「たとえば何か素晴らしい作品があってもさ、翻訳が下手ならさ、広がっていかないじゃない?
新訳が出たから読んでみたらハッと驚くほど面白い、とかさ、翻訳ってほんとに大事だよね。
なんでノーベル翻訳賞がないんだろうねえ。同じくらい大事だと思うよ、俺は。」

確かにこの作品でも、斉藤真理子さんの翻訳がどれだけ素晴らしいかについては触れざるを得ません。
韓さんの紡いだ韓国語を日本語に翻訳して置き換える際の語彙力、
作者の息遣いやイメージ、感覚を他の言語に移し替えることは、
こういった詩的な作品であればあるほど難しいように感じます。
そんな作品で読者が口々に「言葉の美しさ」を讃美するということは、
それだけ翻訳が素晴らしいということなのでしょう。
川端康成氏がノーベル文学賞を受賞した際に、彼の作品を英訳した
エドワード・サイデンステッカー氏の功績を讃えて二人で登壇したという美談も話題になり、
「翻訳」というものの奥深さとその重要さに対しても改めて深い敬意を感じました。

さて、最後に首題に掲げた「白」という字の由来なのですが、
「白骨化した頭蓋(ずがい)骨」の形」
が起源だそうです。かつて古代には頭蓋骨には霊力が宿ると信じられており、
討ち取った敵将や位の高い者の頭蓋骨を白骨化させて保存しており、その色を「白」という字にしたそうです。
個人的には作中でも感じた「白」という色で想起される荘厳、畏怖、哀しさなどの感覚と重なり、古代から脈々と受け継がれている「白」の字の由来に驚きましたが、どう感じられたでしょうか。

以上、「すべての、白いものたちの」を課題図書とした赤メガネの会、第244回のレポートでした。

吐息の白む、喫茶店の窓際にて

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