尻すぼみエモ
夕方、自転車を漕ぎバイトへ向かう道中、塾帰りと思われる小学生5人組とすれ違った。
その小学生たちは皆、空にスマホを向け何やら楽しそうに話している。
何を撮っているのだろうと不思議に思い、スマホの向けられた方へと視線を移す。
そこには思わず見入ってしまうほどの紫がかった茜色の空が広がっていた。
ああこれを写真に収めてたのか。
いつからか綺麗な空を見ても特に何も感じなくなってしまった。
ましてや写真を撮ろうなんて発想など1ミリもない。
こういう些細な喜びを感じ取る感性、一体どこへ落としてしまったのだろう。
そもそも綺麗という理由だけで写真を撮るなんてことを久しくしていない気がする。
映えそうとか、盛れてるからとか、なんか遭ったとき使えそうだからとか。
そういう何かしらの理由がなきゃ写真など撮らなくなっている。
きっと小学生たちの撮る綺麗な空の写真の目的なんて、家で子どもの帰りを待つ親に見せることだけだろう。
SNSにあげていいねがほしいとかはきっと1ミリも過ってないはずだ。
最近流行りのBeReal.。
映えとか盛るとかそういう要素を排除し、ありのままの日常をみんなと共有するのが目的らしい。
いや、リアル生きてたら共有したい瞬間なんて来なくない?
そもそもリアルな生活に写真を撮るっていう行動組み込まれてないだろ。
他人と共有するために写真を撮る行動を強制してるのに、なにが「リアルたれ」じゃ。
アプリが勝手に変なタイミングで撮ってくれなきゃ許せない名前。
ソファで寝転がって二重顎でスマホで動画見てる瞬間とか。
満員電車で限りなく小さい自分の空間を死守しつつ、眉間にシワを寄せながらパズドラやってる瞬間とか。
好きな人への返信を考えて、何度もトーク画面を行ったり来たり、幸せなため息をついてる瞬間とか。
そういうのがリアルやろがい!
ここで1つ怖いことに気がついた。
もしかして現代人って結構写真撮る…?
俺が極端に撮らないだけ…?
スマホのアルバム、最大限縮小して年別にすると毎年毎年の写真の数が薄すぎるんだけどみんなそんなもんじゃないの?
また雑な文章を書いてしまった。
書き出したときはちょっと心温まる話を書こうと思ってたのに。
ああ全部夏のせいだ。
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