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台湾映画『ガッデム阿修羅』ネタバレ感想/一歩間違えば…抜けられぬ阿修羅道

2022年制作(台湾)
原題:該死的阿修羅 Goddamned Asura
監督:ロウ・イーアン
キャスト:ホアン・シェンチョウ、モー・ズーイー、ホアン・ペイジア、パン・ガンダー、ワン・ユーシュエン、ライ・ハオジャ
配給:ライツキューブ
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実在の事件をモチーフに描かれた社会派サスペンス。18歳の誕生日を迎えたジャン・ウェンが、夜市で改造銃を用いて銃乱射事件を起こした。怪我人が数人、死者は一人であった。彼を助けたい親友のアーシンは、殺意がなかったと自己弁護するように訴えるも、ジャン・ウェンは耳を貸そうとしない。

なぜ事件を起こしたのか、殺意があったのかなかったのか分からない。でも起こってしまったことは起こってしまったことだ。冷たい殺人鬼と仕立て上げられる親友が我慢できないアーシンは、彼に殺意はなかったと証明させようと行きすぎた行動に出てしまう。その思いの裏には、あの時ジャン・ウェンの様子がおかしいことに気づいていたのに彼を一人で行かせてしまった、自分がそばにいなかったことを悔やんでいた。

唯一の死者であるシャオセンは、公務員として働き、家に帰るとオンラインゲームの配信をして人気プレーヤーとして名を馳せていた。その婚約者であるゲームの宣伝を担当しているビータは、仕事に追われ婚約者とすれ違う日々で彼のことを何も見えていなかったことに気づく。

更に、事件現場に居合わせたジャーナリスト・メイ・ジュンズは、目の前でシャオセンが撃たれるのを見ており、その後ジャン・ウェンを捕らえて周りの声も聞こえず無我夢中にジャン・ウェンを殴った。力づくで引き離され、我に帰ったメイ・ジュンズは、一歩間違えば自分が被害者であったかもしれないし、自分が加害者だったかもしれないと思う。その思いから事件の背景を探り記事にし始める。

メイ・ジュンズは、事件の数日前に団地に住む人々を取材するため、シャオセンに会っていた。また、メイ・ジュンズが取材しようとしていた少女・リンリンはジャン・ウェンの事件後に犯罪の手助けをしていたとして警察に逮捕されていた。リンリンの母親は最低な男性ばかりと付き合い、酒浸りで付き合っていた男性に殴られ耳が殆ど聞こえなくなっていた。しかし、金もなく調子の悪い補聴器を使い続け、何かあるとリンリンと口論になっていた。

リンリンは数学の成績は良いのに、学校の授業費も払えず、まともに授業を受けない不良少女になっていた。知り合いを頼って合法ではない仕事で金を稼いでいたのであった。稼いだ金で母親に良い補聴器を買おうとしていた。

本作に描かれる6人は誰しもが息苦しさを抱えながらも何とかもがこうとし、同時にどこかで楽になりたい。こんな人生は嫌だとも思っている。どこまでいっても行き着く先は絶望なのである。そんな息苦しさを“阿修羅”をモチーフに描く点が面白い。

阿修羅が住む阿修羅道は、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)の一つであり、争いや怒りの絶えない世界のことをいう。誰しもが輪廻転生で天上を目指すが、前世の業によっては修羅道に堕とされる、もしくはその下に堕とされることもある。修羅の道はなかなか逃れることができず、そのような業を現代社会に落とし込んでいるのが本作であるといえる。

特に、最終章でもしあの時あの選択をしなかったら…というifの世界もしくは転生した世界か…を描いているが、一歩違う選択をしたところで先に待ち受けるのは、また新たな修羅の道なのである。被害者も加害者も紙一重である、それがこの世であるとでも突きつけるかのよう。誰もが、逃れたい、争い合って生きていたいとは思っていないはずだ。でもそうでもしないと生きていけない現実があるのだ。何ともやるせない。

しかし、加害者と被害者が紙一重かのように描くことは、一方で危険を孕んでいるようにも思える。超えてはならぬ一線というのもある。そこで踏みとどまる人もいるはずで、境界線を曖昧にしてはいけないものもあるのでは。

近年アジア映画を見ていて、(日本もそうだが)未来への希望のなさ、息苦しさをとても感じてしまう。そして自分自身も先の見えない中もがいていることを考えずにはいられない。


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