見出し画像

ノンフィクションと曼荼羅

昨年いちばん印象に残った取材がノンフィクション作家の柳田邦男(八十三)氏のインタビューだった。「私の大往生」というテーマでお話を聞いて「週刊文春」で記事にした。

柳田氏はノンフィクション作家として常に「死」を意識したテーマに取組んで来た。1972年に発表した『マッハの恐怖』は文明の利器である航空機事故の恐ろしさを描き、79年に『ガン回廊の朝』では現代の国民病ともいえるガンを主題とした。

なぜ死を意識しているのかというと彼には原体験があったのだ。九歳のときに兄が、十歳のときに父が、ふたりとも結核で相次いで亡くなった。父の死因は肺結核だったという。

柳田氏はこう語った。

「父は自分の死期を感じていて正午前に家族をみんな呼び寄せた。子供が五人、本当は六人なんですが二番目の兄はその半年前に亡くなっていた。長男、長女、次女、三男、そして僕が一番末っ子で。父は枕もとで、ひとりひとりの手を握って語りかけてくれたんですね。僕は当時、小学校三年で、父はじーっと私の目を見つめながら「体が大事だからなって」って、すごい落ち着きと慈愛に満ちた感じで、最後の言葉をかけてくれた。
それから二時間くらいして息を引き取った。すっとねむりに入ったような自然な死だった。
静かな別れなんだけど、妻と子どもたちへ最後の言葉をかけて、父は役割を全うして逝った。静かな別れです。それが僕の中では、死とはこういうものだって、圧倒的なイメージになった」

私は父親を大学生の時に亡くした。まだ50代だった父親の死は、柳田氏のような穏やかなものではなかった。大手企業の幹部だった父は志半ばで病に倒れた。口惜しさと無念の気持ちが入り混じった最期だった。

悲しみと同時に、何か無力感というか死生観のようなものが自分の中に刻まれた。

柳田氏の話の中で印象的だったのが「会長病」という逸話だった。慶応大学教授でフロイトの精神分析を研究していた小此木啓吾先生(故人)が比喩的に唱えていた「会長病」とは、80年代から90年代に高度成長期を信じ会社を成長させて社長、会長になった人の多くの人が直面する挫折だった。

「引退して自分の存在感が希薄になってしまい生きている実感がない」とみな悩むのだという。

この話を聞いて、私は少し心が軽くなった。

父は無念のうちに倒れたというイメージがずっと自分の中にあった。病床で「これからが会社人生の収穫期だったのに……」と父は嘆いた。高度成長期の猛烈社員として父は出世階段を全力で駆け上がり続け、そして倒れた。

しかし柳田氏の話を聞くと、父は不運ではあったけど幸せだったのかもしれないなと思うようになった。

野望を胸に高度成長期という輝かしい時代を駆け抜けた。大きな充実感があったはずだ。その後に来る黄昏や、苦悩の時代を見ることがなかったことは、今となっては幸せだったかもしれない。

野望は実現できなかったけど、夢ある時代の記憶のまま空へと召されて行ったのも悪くないだろうと思えたのだ。

この感覚は柳田氏の話に出てくる仏教の内観というエピソードにも似ている。詳細は長くなるので省略するが、要は大人になった自分が改めて両親のことを考えたとき幼少期とは違った感情が湧き出てくるという話だ。


柳田氏は内観の修行時に次のような「悟り」のような感覚を覚えたという。



最後の一週間のうち、六日目くらいから、漠然とだんだんと年齢がのぼっていくと、突然チベット曼荼羅が現れてきて。真ん中に自分が座っている。周りをものすごく多くの人が穏やかにゆっくり回っている。親兄弟、友達先生、自分が付き合ってきたひとたち。
「ああ、俺の心の中にこんなたくさんの人がいて、だから今自分がいるんだ」

曼荼羅ーー。この言葉がなぜか心に染みた。

私は会社員だった父親とは、違う道を歩む人生を選択したことにある自負を持っていた。自分は自分の人生を歩いているという感覚があった。しかし気が付けば、失った父親の欠片のようなものを拾い集め求めているところがあることに気が付いた。

当時のビジネスマンは月刊「文藝春秋」を愛読していた。父もその一人だった。私がフリーのジャーナリストになって初めて書いた記事は文藝春秋に掲載された。流れで偶然そうなっただけなのだが、親族から「君のお父さんの愛読書だったよ」と喜ばれた。

海外事業部で世界を飛び回っていた父に倣うように、私も海外取材の比重を知らずのうち高めていた。父の早逝を見て仕事人間にはなりたくないと思っていたが、今は仕事を愛するようになっている。

自分は「何かに生かされている」という感覚がノンフィクションというジャンルで仕事をしながらどんどん強くなっているのだ。

ゴールデンウイークということもあり、久しぶりに文春新書「私の大往生」に収録されている柳田氏の記事を読み返してみた。数々の言葉を思い出して、ノンフィクションと曼荼羅という文章を急に書きたくなった。

赤石晋一郎


柳田氏へのインタビューは「私の大往生」(文春新書)に収録されているので、気になるかたはチェックしてみて下さい。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?