週刊誌という「世界」#4 ライターから記者へ転じた”理由”
「ジャーナリズム文章教室」同様に、ノンフィクションライター講座」も講義後は講師と生徒を交えての飲み会が開かれた。生徒だけではなく野村さんと飲みたいというメディア関係者も多く集まっていた。
そのうちの一人である週刊現代記者のKさんに、こう声をかけれらたのだ。
「赤石さん、フライデーの記者やってみない?」
なんでもKさんは月刊記録を読んでいてくれたらしい。Kさんの知り合いにフライデー編集者がいた。同編集部の記者に欠員が出たため、新しい記者を探しているというのだ。
経験をどう積むか
僕は当時、噂の真相を愛読していたのでフライデー記者が週刊文春に移籍していたことは一行情報(ページの端に一行だけ業界情報やゴシップが載っているコーナーがあった)を読んで知っていた。
(週刊誌は欠員が出たらスカウトするシステムなんだ!)
僕は心のなかで呟きながらKさんの話を聞くことにした。
フリーライターだけでは収入も安定しない。僕は31歳となりフリーライターからノンフィクションの書き手への道がなかなかに険しいことも自覚し始めていた。
特に自分に足りないのが取材キャリアだと感じていた。現場を走り回り、人間の深淵をのぞき込むような経験をしないといけないといい記事は書けないのではないか。そう切実に実感するようになっていた。
実はそれまで週刊誌というものを読んだことがほぼ無かった。
それでも週刊誌をやってたほうが良いと思ったのが、鎌田慧(元ヤングレディ)さんや、ノンフィクション作家の佐野眞一氏(元週刊文春)がかつては週刊誌記者だったということを知ったからだった。ノンフィクションへの道の一つとして週刊誌経験をするという選択肢もある。そう考えるとチャレンジする価値は十二分にある仕事だと思えた。
予習のために読んだ本
そこで週刊誌記者の仕事を具体的にイメージする為に何冊か本を読んでみることにした。
1冊目として読んだのが「噂の真相」→「週刊文春」記者として活躍されていた西岡研介さんの『スキャンダルを追え!「噂の真相」トップ屋稼業』(新刊は2001年・講談社 文庫は河出文庫)だった。時の総理大臣や検事総長を追い詰めた記者の物語は、まさに“血沸き肉躍る”もの。日本版「大統領の陰謀」とも言える、政治サスペンスを読んでいるようなヒリヒリ感を随所に感じられる一冊だった。今考えても西岡さんのスクープはまさにスーパーなものばかりで、当時の僕はちょっとこんなレベルの仕事が自分に出来るのかなと後退りしてしまうくらいの本である。
でも週刊誌に行ったら、こんなドラマチックな人生を送れるのなら楽しそうだな、と思えた。
2冊目にノンフィクションライター野村進さんの『事件記者をやってみた―ニッポンが見えた10の現場』 (日経ビジネス人文庫)を手に取った。先に述べたように野村進さんはノンフィクションライター講座で顔見知りにさせてもらった書き手だった。正直に振り返ると講座時代の野村さんの話はインテリジェンスレベルが高すぎて、ノンフィクションライターの道は険しいだけではなく、高い能力と知識が求められる仕事なのだ、と少し委縮する部分もあった。
だが、この一冊は面白いし、なによりとても勇気をもらえる本だった。
同作はノンフィクションライターである野村進さんが、新聞や週刊誌記者が主に従事する事件取材をしてみて、事件記者としてノンフィクションを書いたものだった。一人の人間として事件に向き合い、人間を観察する様。ときにメディアという台風が荒らしまくった事件現場で、メディアが見逃した事実を発見して掘り下げていく。そんな取材の様子が手に取るように浮かび上がってくる濃厚な一冊だった。
自分なりの視点で事実と向き合う。記事のクオリティは別として、それくらいなら僕にも出来るかもしれないし、やってみたいと思えたのだ。
2冊を読み終えて、Kさんに「フライデーの仕事をやってみたいです」と連絡を入れた。
農業雑誌やカルチャー誌から頂いていた仕事、月刊記録「倒産そごうを歩く」の連載が途切れてしまうことについては、後ろ髪引かれる思いもあった。しかし自分はこのままでは殻を破れないという焦りもあり、現場でバリバリ取材をしたいという想いが上回って決断を下した。
週刊誌記者、採用基準の「謎」
週刊誌記者の採用基準があるのかは分からないが、編集者と面談をする限り「健康で犯歴がなければオッケーですよ」(こうは言われてませんが、ほぼそんな感じだった)という感じで、少し拍子抜けしたことを思い出す。
(日雇いバイトみたいなスカウト方法だな)
バイト以外は選考して職を得る経験しかしたことがなかった僕は心の中で苦笑いをした。しかし、すぐに“ピン”ときたことがあった。そういえば似たような状況を聞いたことがあったのだ。
思い出したのはゼネコン時代の経験だった。ゼネコン社員は会社員であり選考過程を経て職を得るが、現場の職人さんは学歴・職歴不問であることがほとんだ。だからといって皆、一流の職人さんになれる訳ではない。
「現場でいかに身体を張れるかが重要であり、いかに技術を習得するかによって伸びシロは変わってくる。最初は誰でも出来るけど、やがて誰にも出来ない仕事をするようになるんだよ」
ある親方からそんな話を聞いたことを思い出したのだ。
このガバガバな採用基準の裏にあるのは冷徹な実力主義なのだろう。おそらく週刊誌記者も職人さんの世界と同じだろうと気が付いたのだ。
勝負は入ってからだと理解して、身の引き締まる思いに改めてなった。28歳で会社を辞めて4年弱。記者として十分な準備が出来ていたかと言えばまだまだだったはずだが、とりあえずチャレンジするしかない。
FRIDAY編集部を訪れる
フライデー編集部への採用が決まった。
音羽にある講談社は、今でいうとタワマンのような外観をした立派なビルだった。編集部に恐る恐る入ると、驚いたのは誰一人背筋を伸ばしてデスクワークしている人がいないことだった。足を投げ出して資料を読んでいる人、ソファに寝転がって漫画を読んでいる人、頬杖つきながら雑談している人たちの姿が目に飛び込んできた。
(俺の知っている会社とは違う。。背筋を伸ばして仕事している人が一人もいないって、凄ェな)
その普通じゃない空気に自分のなかでワクワク度が増しているのを感じた。
記者席には大テーブルが4つ(5つだったかも笑)置いてあり、班ごとにテーブルが違っていた。僕は配属されたのは政治班で、目つきの鋭いスーツ姿の記者たちが黙々と仕事をしていた
「今日から記者になりました、赤石です! よろしくお願いします!」
久しぶりに着たスーツ姿で僕は頭を下げた。
「よろしくね」
と優しく言ってくれる記者もいた。
しかし、奥に座って資料に目を通していた記者だけは僕にまったく関心を払おうとしなかった。黒スーツをルーズに着こなしているA記者は、西島秀俊のようなハンサムでありながらどこか無頼なピリピリした雰囲気を纏った人だった。
事前に編集者から政治班エース記者だと聞いていたのが、このAさんだった。僕は「Aさんの下で働いてもらうから」と編集者から言われていた。
「宜しくお願いいたします」
僕はAさんに近づき改めて挨拶をした。
しばしの沈黙が続いた。
「あんっ!? こんなの取ったんだ」
Aさんは仕事の手を休めることなく不機嫌そうに吐き捨てた――。
(つづく)
*トップ画はAさんを西島秀俊、そしてアシスタントとして配属され香川照之似と言われる僕が横にいるという図が、当時のフライデー政治班のイメージに近いなということで、「MOZ」のワンシーンを入れてみました😅 ちなみにAさんは僕がリスペクトしている心の師匠の一人で、その理由については次回以降に書かせて頂きます。
拙著もよろしくお願いします!