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また奈良に導こうとする小説が現れた

現代奈良が舞台の小説といえば『鹿男あをによし』だろう、と思っていたら『満月と近鉄』なる奇作品が誕生していた。しかしそれに留まらず、あをにまる著『今昔奈良物語集』が出てきて想像以上の面白さで爆風を放っているので感想をぽつぽつ書いてみたい。

『今昔奈良物語集』は、作者不詳の昔話から昭和の名作まで、誰もが知る物語たちの「奈良版」がずらりと並べられたような短編集だ。原案を知っていれば大体の展開を予想しつつ読むことになるが、それでも各短編において新鮮な驚きを味わわせてくれる名作だった。数編に絞って感想を書いていく。

「走れ黒須」は走れメロスが原案であるが、現代であんなに友のために長距離走るシチュエーションなんてあるか?と思ってしまうところ見事にぴったりはまるストーリーになっている。シリアスさもありつつ笑えてバランスがちょうどいい。不運が続くことって現実によくあるわけで、それがテンポよく描かれているのがよかった。

「奈良島太郎」は浦島太郎が元になっているが、主人公が怠け気味の現役大学生であることによってかなり親近感を伴って読める。お決まりのストーリーに沿っていても、最後までどうなるか分からなくて面白かった。浦島太郎は亀からの恩返しとして竜宮城に行くけどその結果彼は時間という財産を失うことになるわけで、恩返しなのか何なのかよく分からない。そんな恩返しの位置づけが奈良島太郎の場合ちょっと違ってくるのでそれが面白かったし、青春の刹那感は共通していた。

「ファンキー竹取物語」はその名の通り竹取物語をしっかりなぞっているのだけど、古文の文体と令和の最先端の若者言葉が融合した文章で綴られているのがすごすぎる。古文を若者言葉に訳すとかその逆なら他にもあるが融合させているのは見たことがない。それでも文章は自然に流れていくので美しかった。ある種いちばん感動した一編。

「古都路」は夏目漱石の『こころ』を原案としている。これに関しては原案に比べてだいぶ読みやすく、かつ分かりやすくなっていると思う。主人公が親友に罪悪感を抱くところは同じだけど、そこに含まれるエゴの度合いが違う。でも、『こころ』の本質は捉えている感じがするし、現代の私たちが「推し活」を通して他人に縋って生きてしまうことの良し悪しが浮き彫りになっていて、シンプルながらこちらの心に爪痕を残す作品になっている。

「若草山月記」は「山月記」を基にしている。原案では李徴が虎になってしまうところ、やっばり鹿に変身することになっている。『鹿男あをによし』は主人公たちが自分たちにだけ自らの顔が鹿に見えるようになるが、「若草山月記」の場合はガチで肉体が鹿になる。人間が自らの感情に飲み込まれた結果動物に変身してしまうというのは普通に考えてありえなくて、物語として読んでもかなり現実感の薄いマジカル現象であるが、「奈良ならなくはないかもしれない」と思わせるような、半ば強引な引力があった。主人公たちの感情、友情が丁寧に描かれているのもよかった。

「どん銀行員」は仕事ができずにパワハラの餌食になっていた主人公が実は……という話である。主人公が健気なのと、昔話感と日曜劇場感を短い物語の中に共存させているのが特異だった。

「耳成浩一の話」は唯一の「化かされる系」の話で、その点では「満月と近鉄」に通ずるものがある。読んでいる間は「んなアホな」という感覚なのだが、後から思い出すとちょっと怖いような、他とは毛色の違う一編。

こんな感じで、『今昔奈良物語集』は過去の名作たちが現代人の感覚に寄り添った形で、特長を最大限に活かして料理されたフルコースだった。フルコースと言いつつ軽やかさもあって、ふわふわと読者を奈良に導こうとする引力を感じる。奈良行きたいなあ。


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