花の旬、人の性(作品解説)
2021年 みうらじろうギャラリーbis「幻夢境2-そこには抽象の未来がある-」出展。
【 喝食 】《花月》や《自然居士》等で使用される能面。「喝喰」とも。読みは かっしき。
喝喰行者に似せて作った美少年の おもて で、銀杏型の前髪が愛らしい。
南方熊楠と岩田準一の往復書簡で取り上げられており、興味をもって描いた。
↑今手元に資料が無いから記憶を頼りに書いているので、間違えてたら御指摘ください。
熊楠は言う。
「浄愛(男道)と不浄愛(男色)とは別のものに御座候。」
「浄あり不浄あり、浄にして不浄を兼ねしもありしと知らる。」
禅宗では齊(仏家の食事)を大喝して知らせる役僧を喝食と称したが、後には稚児と混同され始める。
稚児すなわち衆道(念契)の相手でもあり、室町時代には既に高貴な男性の相手をしている喝食もいたという。
稚児は「観世音菩薩の生まれかわり」として崇拝され、僧侶の間では神聖な儀式として未来と才能ある男児を寵愛する目的であった。
江戸時代後期も強く暗示する語彙として引き続き使われる。
彼等を連れて散策に出たり旅をするのは当時の上流階級の「ファッション」だった…というから驚き。当時の日本画にも、楽しそうに踊る喝食たちを眺めているお坊さんの姿が描かれている。(「高雄観楓図」 桃山時代など)
まぁ西洋でも俗に言うフリークス達に豪華な衣装を着せて周りに侍らせるのが嗜みだったというし。コーディネートとしてお供の容姿を重要視されたのは、世界で通用する娯楽なのかもしれない。
現代日本では性のアブノーマリティを自由化させる働きがあるが、こちらは愛情表現や肉体関係とはまた別の精神世界、倫理的に武士道の義を重んじる為の関係を深める文化でもあった。
戦場ではアドレナリンが出る。勢い余って仲間や獣を傷付けるような過ちを成さぬように稚児を置いていた、というのが正しい考えであると私は思う。
両性別は関係なく縁で結ばれたところでの契りに重きを置くんだ。
衆道は軍団を纏める為の、いわばアガペーの対象。
日本の哲学といっても良い。
八百万を崇めることが好きな日本人にとって、それは身近な生命にも向けられたのだ。
明治に入り西洋文化と共に野蛮だとされ廃れていくにつれ、喝食と呼ばれる少年たちも居無くなってしまった。
─同性愛の世界は、肉体的な欲望と道徳的コードのふたつの極からできあがっており、肉体的な性行為だけをとりあげて、この世界を論じたりすると、ことの本質を見誤ってしまうと、熊楠は考えているのである。─
人類学者の中沢新一氏がそう解釈されている。
ちなみに能の基礎を作り上げた世阿弥や、あの足利義満も、かつては喝食だったという。
上記の通りの存在ならば、人智を乗り越えた、さぞかし眩しい栄養であったろう。
欲望を排除した先にある無垢というものに、人は心を洗われる。
儚さへの憧憬はある意味、かつての自分はそうだったとも言える自己愛に等しい。
そして支配欲と庇護欲に対する非支配欲を募らせていき爆発して情死とかね。
そして、嫉妬はいつの世も醜い。
向けるのも向けられるのも鬱陶しい、大嫌い(私情失礼)。
醜い者にとって美しければ美しいほど、魔になり迫れば刺し倒そうと躍起になろう。
その瞬間、この絵における左の人物のように恐ろしい形相の化け物になっていることには気付かないのだ。
美というのは季節と同じ。
いつの時代も気を慰めるものなのだ。
季節が過ぎるまで優しく、丁寧に扱うことで、周囲の動きにも統率が取れる。
そのような存在が居ると物事は穏やかになる。
生き神という風習が未だにクマリとしてネパールにはあるが(作品にしてるので、いずれ書く)これこそまさに私の考えに一致する。
喝食の美しさを穢すものを擬人化させたことで、ただただ「不気味っすね」と感想される1枚となってしまった。
だが、喝食の白い心は頑として動かない山のように鉄壁を放つ。
彼の心は誰にも奪われない。
それらが本来の意味であり、本体は面の中に宿る少年の大和魂を描いた絵であることを此処に示しておく。