大人買いとハレとケ
お亡くなりになった前首相の政策で、コロナお見舞金が一人10万円配布されたのは、ちっとも記憶に新しくなくて、遠い昔のことのようだし、コロナというのは時間の流れをそれまでとは全く変えてしまったような気がする。
ケとハレのバランスの総崩れ
ハレをなくして延々と続くケの日常
ただただひたすら流行病にかからないためを第一命題に、世界が回り始めた日々
コロナが風邪か風邪じゃないかの議論には参加しないけど
ウイルス性の感染症には人類は特効薬を持たないし、風邪には免疫がブロックできなければ罹るものじゃなかったっけ?
生き延びるという割には、敵の見えない戦いに勝たなくてはいけない手触りのなさ
敵は何処に???
と三年以上経って振り返って後出しジャンケンみたいにいうのはフェアじゃないと思うから、これは私のブツブツ呟き
ハレのなさに気分が鬱々として、10万円のお見舞金を、アブク銭だこれは祭り的に使おうと思い立ち、コロナで閉まっていた銀座の画廊のオーナーにFacebookで連絡をとった。
ータマキサン、ご無沙汰してます。こんなことになってますけど、お変わりないですか。私、フジコさんのリトグラフを買いたいんです。
ーまあ、チコさん、覚えていてくれましたか。嬉しいわ。
フジコさんの作品を?お探しなのね。でも画廊は閉まっているの、いつもなら来て頂いて見ていただくのに。
ー写真でいいです。いくつか添付してください。その中から選びます。
ーええ、それは出来るけど。でも写真だとね、色味とか、サイズ感とかやっぱり伝わらないのよ。でも、いつきていただけるかお約束できないものね。これも、新しいやり取りになるのかしら…
絵は空間の中で認識するものだと思うから、画像で切り取っても魅力は部分的にしか表現されない。それはわかってる。
でも、この閉塞感の中と、音楽を含めたアートが未曾有の危機に襲われてアップアップしているときに、何か一矢報いたい、それもアブク銭で!と突き動かされて、一枚のフジ子・ヘミングさんのリトグラフを購入した。
実はフジコさんの作品そのものが特別好きなわけではなくて、どちらかというと富士山つながりでこのG2という画廊とオーナーのタマキさんに繋がったそのストーリーが好きで、絵を買うという行為は人生で何回もできることじゃないし、それをする人としてこの場所とこの人がいいと思って、娘の七五三とか、卒業の記念カタチにしている。
残りのアブク銭も、作家の友人の木彫りのアマビエを三体大人買いして友人に魔除けと配り笑、台湾人の日本画家という異色のコラボの知人の作品もネットから購入して、3人分綺麗さっぱり使い果たした笑。
祭りには土地の神様を鎮める意味もあったと言いながら、人間のヒステリーを合法的に発散させる巨大なガス抜き装置だったんじゃないかなと思う今日この頃。神輿が練り歩くのにも、どうぞ神様お鎮まりくださいといいながら、人間を疲れさせて、良からぬ方向にエネルギーを向かわせないためにあったんじゃないかな。
コロナでなんとなく燻る不完全燃焼感を、どう燃やし尽くすか。やっぱりライブだな笑