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母に

母が近所に開設された施設のオープニングに招待されて行ってきたという。

新しくてね
大きくてね
綺麗でね
リッパだったわよ
施設の方もね、ヤリテって方ね
スピーチもお上手だったわ
なんだかとっても楽しそうな雰囲気だったわよ

チコもああいうところで働けばいいのになって
ちょっと思っちゃったわ
ほら、いつも仕事が大変っていってるじゃない?

パパもね、うちの娘、福祉施設の管理者してるんですなんて
あらこの人こういうこと言うんだなって意外に思ったけど
ゼヒ、情報共有しましょうって仰ってたわ
だからあなたのところになんかオファーがあるかもしれないわね

母は本心からそう思って
何なら娘の身を案じてそう言ってくれているのは
母から生まれたんだしワカル

確かに私の働く施設は
お母さんと学校の先生と地域のボランティアが
養護学校卒後の選択肢がなかった時代に
場を作ろうと手弁当で始めた

廃品回収といってもお若い方にはピンとこないだろうけど
古新聞や古雑誌、ダンボールを
マンションや地域にお願いして
個別に回収して
業者に売る利益で職員の給料を毎月一人10万円なんとか捻り出して
その職員は風呂なしのアパートに住んで神田川して帰るという

産地から果物を仕入れてジャムに加工して販売したりして
今でいうところの産業の6次化みたいなことをやって
施設の礎を作ったと聞いている

用意された箱じゃなくて
熱意と願いで始まった場所だから

いろいろと手が回っていないところがいっぱいある
いつも何かうまく行っていないで
船底に穴が開いてるのを片足で塞ぎながら
手漕ぎの船をエッチラオッチラ
漕いでいるような日々だ

だから
大変そうだと母は心配してくれているのだと思う

愚痴ってしまう私の口を閉じれば
母の心配も消失するのだろうから
申し訳ないなと己の至らなさを思うけど

でも
生きるって綺麗事じゃない
普通に毎日生きるだけだって
十分すぎるくらい大変なことだし
当たり前なんてことは何一つないはずだ
だから
病や障害を抱えて生きるってことが
なんだか楽しそうだってことはちょっと無理があって
やっぱりその生き様に触れるということは
触れる側もヒリヒリ焼かれるヤケドをする思いがするときもあるし
当の本人が泥をすするすようにして生き延びてこられた
その道をほんの少しご一緒させてもらうんだとしたら
やっぱり自分の足元もヌカルムし泥を避けることはできない

それが本当のところだと思うんだ
お母さん

ド真面目に
真顔でつぶやく私に

母はハッとしたような顔をして

そうだったわね
24時間テレビじゃなくて
8760時間一年にはあるんだって

健常者の社会に受け入れられるのは
頑張ってる障害者だけなのかって
感動押し付け感動ポルノだって

怒ってるものねチコは

人が一人生きようと思った時に
綺麗ごとばかりでは済まないし
イイことばっかりでもないのは
障害の有無には関係がないと思うし
誰が生きても大変じゃないわけがないけれど

じゃあ
生きることは辛いことばかりかというと
勿論そんなことはなくて
美しいと思う瞬間もあるし
生きていることに何か意味があったと思える刹那だってある

ああ、みじけえな苦笑

そう やっぱり
半世紀生きて見て思うのは
ツレエエと思うことの方が多いことで
それは実体験としでもそうだし
人の生きるさまを見せてもらう時にも
やっぱりそう思う

だからこそ
気の置けない人とバカ話をしていてフフフッと
笑いがこみ上げてくるなら
それは本当に幸せなことだと思うし
互いに幼心の君をいい年こいても住まわせていて
無邪気に笑いあえることを心から喜びたい

ああ
話が脱線しまくった
お母さん
何が言いたかったかというとね
私は今しあわせだよ
妹みたいにタワマン住んでないし
東証一部上場企業にも勤めてないし
外資系企業に勤める夫もいないし
外車も持ってないし
子供たち私立中に通わせてないし
パスポートの期限も婚前旅行のインドで切れちゃったし
バーバリーのトレンチコートも着ていないけど

弱小零細福祉事業所勤務で
ぼろマンション住んでで
シングルマザーで
チャリンコでフーフーいって通勤して
シングルマザーで
あ?2回もいってる苦笑オシナノカナ?
コートはリサイクルショップの高島屋と
清水舞台から飛び降りたポールスチュアートで笑

負け組ってソートにかけられるのかもしれないけれど
そんな簡単に人の人生の幸不幸を計られてたまるか笑

お母さん、私はしあわせだよ












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