Design of Tea Ceremony |「アートとデザイン」と「おしゃれと身だしなみ」から「茶の湯」を捉えられるか
今日、入社式という方も多かったのでしょうか?
新入社員研修でおなじみなのが、「身だしなみとおしゃれの違い」。
身だしなみは相手目線、おしゃれは自分目線というような内容だったと
いつの日かの新入社員は記憶しています。
さて、入学式にはきっとまだ早いですね。
デザインや建築系に進まれる方は、きっと最初に「アートとデザインの違い」というのを教わるのではないでしょうか?
アートは自分本位、デザインは顧客志向…という感じかな
(noteはデザイン系の方が多いですよね。違和感あったらゴメンナサイ)
「身だしなみとおしゃれの違い」、「アートとデザインの違い」。
このふたつ、似てますよね。
他者の視線VS自己の視線
この軸で考えたとき、茶道ってどちらなんだろう。
はじめはデザインや身だしなみのように「他者の視線」かと思ったんです。
なんたって、おもてなしなので相手ありきのことです。
私が感動した裏千家家元千宗室のビートたけしさんへの
おもてなしのひとつは、
たけしさんの目線に合わせてお庭を整えることでした。
その流れでこのnoteも書こうと思っていたのですが
時間をおいて考えていくとわからなくなってしまいました。
確かに、ひよっこの私がお点前をするとき
そこには、「これが美しいのだ!」という自己主張は一切ありません。
ただ必死に先生に教わる型に沿ってお点前をするだけです。
デザインというよりも、身だしなみに近い感覚でしょうか。
没個性です。
没個性で構わないから、きれいな所作を手に入れたいと思っています。
でも一方で、利休さんの時代やそれ以降、またもしくは今も
あるレベルの方たちにとっては、自分を表現するものなのではないかと
思い至りました。
そうでもなきゃ、500も流派は生まれません。
流派を新しく作るというのは、「俺のおもてなしはこうだぜ!」という
自己主張に他ならない。
相手のこと思いつつ、その思いを自分なりの方法で表現しているということでしょうか?
そして、その方法に賛同した人が、その流派に入る。
(今は、流派をお点前で選べるような人はいないと思いますが、利休さん前後の茶の湯がもっと盛んな時代はそうではないかと推測します)
なんだ、結局、茶道は,、身だしなみとも おしゃれとも
アートとも デザインとも違うんじゃん。
わお、尻つぼみ…
「他者の視線VS自己の視線」この軸で整理できると思ったんだけどな。
茶道って何に近いのでしょう。
他者の視線だけでも、自己主張だけでもありませんね。
そんなことも考えながら、お稽古を続けます。
茶人が百花繚乱、咲き乱れていた時代のお茶会ってどんなものだったんでしょうかね。有名なのは、秀吉の北野大茶湯。行ってみたいな。
(断りを入れるまでもなく、上記一切は個人的な見解です。
さらにいうと、お稽古を続ける中で、考えもまた変わっていくような気がします。)