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死んだ親のnoteを書いての心境(グリーフ)2

ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻

with グリーフ 父親の聖地巡礼までの路
の連載を終えての裏話


1話

の続き


7話

家の中で起こっていること
(父親が原因不明の病で家にいること・親族による家庭内暴力に悩まされていること・両親が怒鳴りあってばかりいること・私がヤングケアラーとして家事の一切をやっていること)

について、母親から
一切外の人に言ってはいけない
という緘口令を敷かれたことで

私はこのnoteでこの話を書くまで
マジで!誰にも父親のことを
言わないできました

「誰かに話したら大変なことになるよ!」

とよく母親に脅されてて
しんどくてたまらないのに
それを守っちゃう
従順ないい子だったのよ~ほんとに
自分で言っちゃうくらいに笑


こんなことがあっても誰にも言わなかった

だから
人にこんな話していいの?
こんなこと書いちゃって大丈夫なの?
って
書いてても何しても
不安不安

親の言葉は強いよね~
いつまで経っても残るんだわこうやって

「自分のプライベートのコアな部分を切り売りして…
そうまでして人からの承認がほしいのか…」

とか飛躍してってセルフ落ち込みしてました
まぁ、でも誰かに聞いてほしいと思ってたし
書いちゃえ!って

ノリで笑


そんな中でもコメントをくれて
コメントの内容が

死別体験や

同じように親がおかしくなってしまった、
親子の間ですれ違ってうまくいかなかったエピソード

私の気持ちに寄り添うような言葉

気づきがあったよとか

うざい親戚共感

うざい親戚の会

などなど
たくさんの内容に広がっていって

そのコメント達のおかげで

ずっとグリーフの話だけを書いてたつもりだったけど
途中で親子の問題っていうのか
すれ違いっていうのか
そういう話も無意識に書きたくて
この内容になったってことなんだな

と気づけました


親子間の問題という内容は
どうしても自分の育ちの不安定さを
浮き彫りにしてしまうようで

私は他人の目を通してしか
自分の価値を見出せていない

誰かの役に立つことや
誰かに認めてもらうことでしか
自分に価値を見いだせない

私自身が、私に価値を見いだせず
それを辛く思うようになって
こんな自分じゃダメだと
落ち込み、悩む日が増えてきました


意外にもこの連載で
自分自身の問題にも気づけちゃったんだわ笑


そんな中で
コメントをくれる人の
体験や思い、読んで泣いてくれた
と聞いて

なんだか私まで子供の頃の憎しみや
父親との関係で残した後悔
みたいなものが
少しずつ軽くなるような気持ちになりました

こうやって話をするのもだけど
『人の話を聞く』
ってこともグリーフには大切なんだな
と知ることができたし

コメントをしてくれて
そういう機会をもらえたってことにも感謝の気持ちが
沸きました


グリーフのような特にナーバスな内容の時は
コメント欄に救われまくるのね!
もーほんとに大感謝すぎる
この感謝をどう伝えたらいいの?

お母さんが大変なのにメイまでいなくなっちゃった時に
協力してくれて助けてくれた
トトロとネコバスに対するサツキの気分よ!(ん?)


8話

父親が胃ろうをあける回で
大好物のジョージアを飲ませてあげた
って書きましたが


うちは(一応)仏教徒だから

おいしいものを買ってきたら
ばあちゃんや父親、けんじ(じいさん)、ひなさん(ひいばあさん)
先祖の皆さんなどなどにお供えする
(仏壇とかは無いから、棚に置いてるだけだけど)

ってことはよくやるんですが

死んだ人の好きだったもの
って
お供えとして
あんまし買わなくなったな

って気づきありました

父親はあんこが好きで
私もあんこが好き

とか共通のものなら
御座候とかようかんとか最中とか
よくお供えするんだけど


ジョージアとか缶コーヒーは
私はあんまし(てか全然)
飲まないから

胃ろうの話を書くまで
父親がジョージア好きなことも
忘れてました

たまには買って
父親にお供えしてあげたいな
と思い、早速買ってきてお供えしていたら

なぜだか
「なんかジョージア、妙に飲みたいな」
という気分に

なんだろうね
父親の魂的なものが来たのかな?
なんて考えつつも
冷やして飲んでみました

久々に飲むジョージア
なんかやたら美味しく感じました

美味しいなんて思ったことないのに笑

父親の魂的なものが(2回目)
私に美味しいと思わせれば
また買ってお供えしてくれるって思ってるのかな?

なんて思ったりして笑

なのでこの記事を書いてからは
故人の好きだったものを
お供えするようになって

例えば
父親・ばあちゃん・けんじ
コーヒーが大好きなんだけど

特にけんじはコーヒーガチ勢で
コーヒー通って、やつ!

けんじは母の父、つまり私の母方のじいさん👴


でも昭和に死んでるから
スタバのコーヒーとか絶対飲んだことないだろな~
と思って

私「けんじ、生きてたらスタバ
嫌いそう笑。自称コーヒー通だし」

家族「わかる。でも興味持って
行きたがりそうだよね」

なんて話して
スーパーでスタバのドリップコーヒー買ってきて


私「けんじ~スタバのコーヒー飲むかい~?」

けんじ(私裏声)「すたばぁってなんのことだべ」

ばあちゃん(私裏声)「なんだかわからないけど、
孫がくれるって言ってるんだから黙って飲んどきなさい」

って小芝居という名の独り言をいいつつ
コーヒーをお供えするようになったり笑

ちなみに
お供えのコーヒーカップに使ってるのが
銀の鐘っていう小樽の喫茶店でもらえるやつ

銀の鐘でコーヒー飲むと
もらえる、ちんちゃこいコーヒーカップなんだけど
これめっちゃいいよ

こんな👌ばっこしか入らないから
物のついでにあげれるし
(なんという言いようなんでしょう)

お供えから下げたら
レンジでチンできる優れもの

コーヒーと聞いてウキウキして出てきたけんじのガッカリ顔よ


9話

父親が死ぬ直前の回に

父親との最期のツーショット写真を
載せようと
この連載を始めた時から決めていて


この写真を載せた時
涙が止まらなくなりました

これが、生きている時の
最後の写真なんだ
と思うと
もう一度父親の死を追体験している気持ちになって
たまらなく寂しい気持ちになりました

この写真を撮ったのは
全くの気まぐれでした


胃ろうになってから
より動かなくなったせいで
父親は床ずれがひどくて

お見舞いに行くたびに
母親は父親を車いすに乗せて
(毎回脱力しきった人間を
車いすに乗せるのは大変そうだった)

ちょっと散歩することに
していました


この日もそうやって病院の中を
散歩していて
ロビーにお雛様が飾ってあったので

何の気なく私が「写真撮ってよ」
って言って撮ったやつでした

母親は
父親が病気になってから
写真みたいな形に残るものを残すのを嫌がってて
元気だった頃の父親しか残したくないみたいだったけど
嫌がる母親の携帯電話で写真を撮ってもらったの

座ってることができなくなっていて
黙ってるとどっちかに倒れてくるんで
(この写真も右にかしいでるしょ)

車いすに乗せとくのも大変なんで
サッと撮ってしゅっと受け止めるみたいな
撮り方でしたね

まさかこの3か月後に父親が亡くなるなんて
この時は本当に想像していなくて
死んでしまってから


この時写真を撮っておいて
本当に良かった
と思いました

父親の闘病の10年が
ぽっかり穴が開いてしまわずに
写真として残せたことが
嬉しく思いました

こんなくしゃくしゃのおじいさん
みたいになってしまっても
やっぱり写真として残るのはいいものだな
と私は思います

そして私はこの写真が好きだなと思ってて
若くて元気だったころの父親は見る影もない
けど、なんかこういう父親も可愛いじゃん?

ってなんか自然と思えたんですよね


第3回(最終回になります)
へ続く


大切な人について語ることで
自分の心が穏やかになるための作業
グリーフ
日本ではあんまし知られてない言葉だけど
皆が気軽にグリーフできる世の中になると
いいよなぁ

グリーフの段階は↓↓の順序で進みます



*********巻末CM**********
お供えする時、最近いっつもけんじとばあちゃんの
小芝居してる
アカチェリーナ4世ですが

真面目な面もあってですね
普段はシンガーソングライターとして
辛い気持ちを口にだして伝えていくことで
皆で自分の辛い気持ちを言えるようになろうと
いうメッセージを発信しています
公式HPにたくさん自分の気持ちを載せているので
見に行ってみよう

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