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学びのトンネルに灯りを 03

評論文読解のトンネル

 「入力」「出力」の間にある、「回路」に光が当たっていないために学習者がその不具合を認識できず、暗闇になっていること、これが「トンネル」の正体ではないか――そして授業者が「回路」へのアプローチを捨て置いたまま、宛先のない知識の置き配を積み上げることでトンネルがその闇をさらに深くしている――というお話を前回しました。今回はトンネルの実際の姿を評論文読解のフィールドで考察します。
 

  • 一般論と主張の取り違え

  • 具体と抽象の誤認

  • 因果関係の逆転

  • 対比の意図の無理解

  • 類比関係の無理解

  • レトリック・比喩の誤解

 およそ以上6点が「トンネル」の中の様子です。これらを端的にまとめると、「読解の基本的概念の欠落=〈クラヤミ〉」あるいは「概念なき手段の目的化=〈ヤミクモ〉」と言えます。「一般論(常識)」「主張」「因果」「対比」「類比」「比喩」は、評論文の必須要素ないしは論理展開上で多用される表現技法です。授業者は、これらの視点は当然持っているものとして自明視し、わかっていることを前提に授業を進めてしまいます。「接続詞を丸で囲む」などの細かな読解技術論を展開し、語彙の説明や文章が扱う分野の補足説明をしていく。言語活動を取り入れて生徒同士話し合いをさせ、受動的ではない場面も設定する…。一見、具体的で的確な体系立った指導のように映ります。しかし、これらの授業者のアプローチは、クラヤミの中でヤミクモに読んでいる学習者にとってすべて、「宛先のない知識の置き配もしくは誤配」なのです。学習者はそうした小さい技術や知識を整理し関連づけるための土台となる大きな概念が欠落ないしは未分化なため、「(個々の説明については)わかるけど(全体像としては)わからない」「やりかたはわかるけど使えない」「なにがわからないのかわからない」状態に陥てしまうのです。そして授業者はテストを採点しながら「教えたはずなのに何でできない!?」と狼狽し、勉強の不徹底ぶりを嘆くのです…。

 

トンネルを照らす

 そこでまず授業者がやるべきことは、クラヤミのトンネルを照らし、状態を確認することです。先述した6つの「トンネルの正体」を明るみに出すために、読解のための基本概念(視点)を提示し、どんな評論テクストでも一貫してその視点にのっとって読むことを求めることが必要となります。

5つの視点 ー読解のための基本概念

  1. テーマ     現象や問題

  2. 常識・一般論  テーマに関する常識的認識や考え

  3. 常識の否定   一般論を相対化する

  4. 主張      …あるべき/…しなければならない

  5. 展開      主張の理由・根拠を,「4つの展開要素」で説明する

4つの展開要素

  1. 対 比  「違い」と「変化」

  2. 類 比  「共通性」表面上関連が薄そうな事象にある共通性

  3. 因 果   理由―結論,原因―結果,手段ー目的,条件―結果

  4. 例と比喩  具体―抽象 抽象的な説明の理解を補足する

 まず、5つの視点から確認します。いわゆる「読解力が低い」とされる生徒は、これらの概念なしにヤミクモに文章を読んでいるものと思われます。したがって、

  • 何がテーマなのかつかめない

  • 一般論と筆者の意見を取り違えてしまう

  • よって、何についてのどんな主張なのか、その主旨を判断できない

といった困難をかかえることになってしまいます。何の指針もないまま混沌とした文字の海に飛び込んでしまっては、収拾がつかなくなるのも当然です。しかし、読解の基本概念・視点がないために主旨を把握できないこと以上に不幸なことは、例えば「自分は一般論と筆者の意見を取り違える傾向があるな…何に注意して読めば改善できるかな?」という振り返りや、見通しが立たないことです。つまり、ヤミクモに読んで挫折しても、そこからの学びはほとんどないということです。ゆえに授業者はまず読解の基本概念の存在を提示し、学習者自身が読めない原因を可視化・言語化できるようにする必要があります。トンネルを照らし、改修ポイントや方向や距離を把握させることが先決です。
 さて、次に「4つの展開要素」で読解の躓きをより解像度を上げて照らし出してみると、

  • AとBが対比されているのはわかるが、筆者がどちらの立場に与しているのかわかっていない(対比は手段であって目的ではない)

  • AとBの共通性にそもそも気づけない

  • 原因と結果、目的と手段を逆に解釈してしまう

  • 具体例や比喩が、何を説明するためにあるのか、つなげられない

という、いわば「道具のつかいみちの無理解」が浮き彫りになってきます。読めば、対比していること・共通性に言及していることが表面上はわかります。しかし、筆者が自分の「主張」に説得力を持たせるために「対比」「類比」「因果」「例と比喩」を駆使して論証しているのだということがわかっていないのです。まずはその自明とも思えることをしっかりと説明し、評論文のシステムを俯瞰させ、展開の構造理解をさせることが必要なのです。
 以上のように、生徒はなぜ読めていないのか、その真っ暗なトンネルのなかを照らし出してみました。生徒が読解力を身につけていく第一歩は、「自分はなぜ読めないのか、その原因が明確にわかり、何をどうすればいいかわかること」です。「なにがわからないかがわからない」を脱却すること――トンネルを照らしたら、あとは足りないものを時に大胆に、時に地道に整備していくだけです。その整備の試みについては、また次回。(04に続く)




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