心の空間はどんな様子?
今日明日は、少し久々の二連休。
最近は休みの日でも、何かに急かされてとりあえず外に出ることも多かったのですが、今日はなんとなく家にいようという気分です。
心をゆったり落ち着けて自省してみるのもいいかなと思い、穏やかな気持ちで自分と向き合ってみます。
ここ最近、またこれまでとも少し違う形で自分が分離してしまっている感覚がありました。純粋なワクワクが付随した軽くて自由な心と、と強迫観念のような「こうあらなければならない」という粘着性の強い思考がせめぎ合ってしまっているという感じです。
過去を振り返って必要以上に色々考え込んでしまったり。
今に目を向けても、どこか他人と比較してしまったり。
そういうことも度々あるような気がします。
先ほど、洗い物をしているときにあるイメージが浮かんできました。
それは、私の心の中のイメージです。
それを簡単に書いてみるとこんな感じになりました。
私の心の空間は球状で、その空間の中に二つのボールが存在しています。
まあるいボールとトゲトゲボール。
まあるいボールは、「穏やか」、「平和」、「優しさ」、「思いやり」、「純粋」、「素直さ」、「安心」、「明るい向上心」といったものを内包しています。
温かくて優しく、質感はなめらかで柔らかいイメージです。
一方トゲトゲボールは、「悲しみ」、「怒り」、「モヤモヤ」、「執着」、「苦しみ」、「恐怖」、「不安」、「強迫観念」といったものが含まれています。
こちらは、表面は硬く、内部はネチョネチョでぐちゃぐちゃのボールです。
この二つのボールは、どちらが良いとか悪いとかではなく、普段はボール同士が接触することなく共存して私の心の空間を回っています。
しかし時には、トゲトゲボールがまあるいボールに一方的に突撃していったり、あるいはまあるいボールがトゲトゲボールの周りを滑らかにしようと接触を試みます。
あるいは、トゲトゲボールが巨大化してまあるいボールを飲み込んだり、反対に柔らかいまあるいボールが大きくなってトゲトゲボールを包み込むこともあります。
病んでいるときというのは、まあるいボールがトゲトゲボールに飲み込まれている状態です。
その状態になってしまうと、心の空間の壁にトゲトゲが沢山刺さってしまい、人と話せるような穏やかな状態にはなれません。闇の中を彷徨うことになります。
二つのボールがちゃんと共存している状態はある程度穏やかなのですが、その状態を維持することはなかなか難しく、何らかのきっかけで自然と変化が生じてしまいます。
強制的にこの二つのボールの間に壁を作り、二度と会わないようにさせることも可能です。しかしそうすると、心の循環が滞ることもしばしばあります。
私の理想としては、まあるいボールがしっかりとトゲトゲボールを包み込んで、まあるい大きな一つのボールになると良いな、と思っています。
トゲトゲボールは一見負の感情の塊として、敵のように見えるけれど、しっかりとパワーを持っているのです。だから、まあるいボールと合体すれば強力だと思うのです。
心の空間の内部が、良い循環を続ければ、次第にそれが実現できるのではないか、と思っています。
良い循環のためにできることは沢山あります。
ぐちゃぐちゃとした自分をしっかりと見つめてあげること。
そして、これはもう要らない、と思う思考は手放すこと。
さらに、スッキリとしていて光を放つ心に磨いていくこと。
自分の心の好循環を作ることは、正直目に見えないものなので、途方にくれることもあります。
ジャーナリングをするなどして、自分をしっかりと認識すること。
そして、掃除や、食生活など日々の生活を丁寧にすること。
ワクワクすることをやってみること。
心が落ち着いて穏やかになれる時間を意識的に作ること。
これらを繰り返すことで、少しずつ心の空間も綺麗になっていくように感じます。
しかし、上記のことはある程度まあるいボールが機能してくれないとできないことかもしれません。まあるいボールの元気がない時は、ひたすら寝る、休む、泣く、時には引きこもることも大事だと私は思います。でも、太陽はほんの少しでも浴びた方がいいと経験上感じます。
良さそうに見えることでも、無理やりやる、というのはあんまり良くないと感じます。自然な流れで心の好循環を作る行動ができるようになることを、信じる。気長に待つ。これも大事です。
これは自分に言い聞かせています。
正直、私の心の見つめ方は自己流な側面が強いので、気軽に誰かにオススメするようなものでもありません。
でも、これだけは言えるのは、やっぱりどんなときも自分を観察する自分がいることは凄く大事だと思います。それは、先ほどのイメージの心の空間を上から眺めている自分です。
現場で頑張る自分と、ただそれを観察する自分、二人の視点を持てるようになっただけでも、私は過去より大分進化したなと思っています。
とにかく自分の心(まあるいボールもトゲトゲボールもどちらも)を見つめ続けると、観察者としての自分が成長していきます。
例えトゲトゲボールに飲み込まれてしまったとしても、わずかにでも心は回り続けていると思うのです。だからそういう動きを見逃さずにいてあげると、まあるいボールを救出するチャンスが見えます。
なんとなく書いてみましたが、意外と自分の心を説明できているように感じます。もしかしたら、似たような説明は世の中に沢山あるのかもしれませんね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
私のイメージは自己流なのですが、少しでも何かに気づく一助になれば嬉しいです。
ではでは!