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迷子でも目を凝らして

なんだか、調子が良いような悪いような。
冷静ではあるのだけど、ふわふわしている。
気分は、「楽しい」と「悲しい」と「無」を行ったり来たり。
いつもそんな風だけど、なんか自分を見失っているような感じだ。

体調も、すこぶる悪いわけでは無いけれど、良いわけでもない。
どこか疲れている。

先日、人間関係に関することで、自分でも思わぬ行動をとってしまった。

それは、多分正しいことだったと思うのだけど、どこか戸惑っている自分がいる。なんだろう。本当の自分が望んでいることが分からない。かといってもはやどうでもいいやという感覚もある。また振り回してしまったという感覚と、相手からもきっとどうでもいいと思われているんだという投げやりな意識。

何故か急に忘れかけていた過去のネガティブな感覚が湧き上がってきて、悪いことをしていないのに色々に対して罪悪感で一杯になってしまった。何故か私が邪魔者のような感覚に陥り、本当にごめんなさいと思った。もう、人を思うことが何なのか、自分の望みが何なのか分からず、どうしようもなく、強制的に意識を離さなきゃと思って、相手の連絡先を削除。

最初はただ、軽くて明るい気持ちで連絡をしたのに、結果的に何故かこうなってしまった。でも、そうなるべくしてなったのかもしれない。

ついに自分の気持ちが手に負えず、逃げた。
軽やかに見せかけ、本当はずっしり重かった。

現実に起こったことは、ある意味分かりきってはいたこと。
私は時に夢見心地だから、無意識に何か期待していたのだろうか。

見えない何かに導かれ、いつしかそれに縋っていた。

何が正解か分からない。愛って、何だろう。
今まで保ってきた何かが崩れてしまったと思いつつ、元から形なんてなかったのだろうか。
まるで分からない。

全部が全部幻だと思えば、楽かもしれない。
一旦そう思うことにしよう。

ちょっと最近、自分の中の自分が抜けてしまっている感覚がある。
魂が抜けているというか。

そもそも一日の中で気分がコロコロ変わるので、本来の自分を認識するのが難しい。そしてずっと眠いし、度々変な夢を見ることで心が持っていかれる。現実はどれ?自分はどれ?みたいな。

こうやって書いていることも、正直回りくどいと感じる。いつも自分に対してそう思っている。回りくどいから余計分からなくなる。でも、回りくどくしないと自分を保てなかったりする。
そもそも私自身が矛盾ばかりで、回りくどい存在。

この感覚を自分の中に留めておくのが気持ち悪い感じがしたから、あえてnoteで書くことにした。本当はこの感覚は自分だけに留めておいて、noteにはただ軽やかで前向きな投稿をするつもりだったけれど、それでは自分を偽っているようにも思えて。いや、諸々考えすぎなんだろうな、自分。

今はきっと、気抜け期間なんだと思う。
気抜け期間はモヤモヤが侵入しやすい。
そして迷いも生じやすくて、病みやすい。
極端な行動をしやすい。

先週一つの小説を(一応)書き終えて、ここ暫くは一旦自分リセットするかーみたいな感覚だったのだけど、それが少し良くない方向にも作用しちゃったのかもしれない。

やっぱり何かに対してもっと燃えて頑張っていないと、自分を見失うのかな。小説を応募する直前の時は、自分がちゃんと漲っていた気がするんだ。そりゃ、頑張ろうと思ったことが一度区切りで終わったら気が抜けるのは当然か。なんだか、やっぱり色々考え過ぎちゃうな。

ポジティブに捉えると、今は今で肩の荷が少なくてリラックスできているんだよね。

そろそろまた創作に縋ろうと思うけれど、今はまだどこか根本的なエネルギ-抜けてしまっている気がする。そもそも何かに縋ろうとしている状態はあまりよろしくないのかな。いや、創作は別に縋ってもいいか。

とりあえず、ぼちぼちやっていこう。運動もしよう。楽しいことからやっていこうと思う。

そうそう。次の小説に鳥さんを沢山登場させようと思って、今日野鳥の本を借りた。ついでに鳥の羽が載った美しい本も。あと気分でヘルマン・ヘッセの『ペーター・カーメンツィント』という本も借りてみた。面白そう。

ワクワクすること、沢山ある。
迷っているより楽しんでた方がいいよね。

書いたら少しスッキリしたかも。
良かった。

私は私を生きるしかないし、誰も答えなんて見せてくれない。
きっとね、それだからいいんだね。

時に迷うこともあるけど、前を見据えて軽やかに生きてこう。


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