舞台ってなんであんなに高揚するんだろう
舞台を見るのが好きだ。
多く観劇しているわけではないのだけれど、時折誘われたり、興味のある作品を見に行ったりする。
その度に、やはり舞台は舞台でしか味わえないものがあるなと思う。
緞帳が開いた瞬間はいつも、気持ちが前のめりになる。
はじめは「何が始まるんだろう?」という期待と、「入り込めるかな?」という若干の疑いもあったりする。だけど徐々に話に入り込んでいき、気付くと夢中になって魅入っている。
印象的な台詞が発せられるシーンでは、見ているこちらが一瞬息を止めてしまうような緊迫感がある。
人生において救いになるような台詞が、胸にまっすぐと鮮烈に響いてくるのだ。
その瞬間、私だけの悩みだと思っていたものが実は人にとって普遍的でありがちなものなのだ、という安堵と、まるで今この言葉に出会えたのは必然だったんじゃないか?というくらいに沁みてしまうことが多々ある。
舞台というなまものが生む緊迫感は、時間を巻き戻すことのできない人生とどこか似ているのかもなと思う。
映画ともドラマを見た後とも違う。見終わってから心を満たす独特な高揚感がある。
それは生の舞台が持つ熱量なのかもしれないし、会場の拍手やスタンディングオベーションの反響が心をより震わせるのかもしれない。
見ているだけなのに「体験した」と感じるのだ。
もちろん、役者や舞台スタッフの方々と比べて、客席は積極的に何か働きかけるわけではない。それでも、その場を見て、聞いて、時にはリアクションをする。
それら全てが合わさって「舞台」となる。
観客の私たちは受け身でありながらも、一体となれる。だからこそより心に響くのだろうか。
帰宅してあらすじや台詞を書き残したり、下手ながら記憶を呼び起こしイラストを描いたりすれば、ひとつの記憶が呼び水となり、また別のシーンを思い出す。
映像作品と違って舞台はDVDなどの円盤にならないことも多い。あの場に足を運んだ人たちだけの記憶に残る。その儚さもまた素敵だなと感じる。
だから皆ひとつも取りこぼさぬよう真剣に見るし、心に深く刻まれるのかもしれない。
コロナという疫病が去った世界でまた、なんの懸念もなく、割れんばかりのスタンディングオベーションの残響を聞きたいものだ。