席替えが自由だったらどこに座る?
高学年長女の話。
先日授業を見る機会がありました。
長女の学校は好きな席に座れるフリースタイル形式の授業があります。
長女は小さい頃から特定の子や普段一緒に過ごす子と一緒に連れだって席に座ることはしませんでした。いつもみんなが座る様をじーーーーっと見て最後の方に座っていたので、小さい頃は「〇〇ちゃん座ろう」と言えないのだと思っていました。
けれど対話するようになってきて、それは私の先入観であることに気が付きました。
長女はあくまで自分が快適に授業を受けれる場所を考えていたのです。
・まず授業で騒ぐ子がそばにいると、うるさくて授業に集中できないし、
貰い事故をして一緒に怒られるのでそこから離れたい。
なのでしばらく様子をみてみんなの席が決まるまで待つ。
・そして空いてる席の中で心地いいメンバーがいる方を選ぶ。
この日も様子を見ていると、何気ない様子で待ち、決まった瞬間にスルっと座っておりました。しかも即その場のメンバーに馴染んでる。
この話を聞いた時は、面白すぎるというかそこまで合理性を追求するの??と衝撃をうけました。
仲のいい子と座りたいとかないの??(私は授業中もおしゃべりしたいタイプ)と聞くと、
「だって勉強するとき話さないでしょ?それより話を聞きたいのに邪魔される方が嫌」とのこと。
あっぱれ。まるでプログラムのif文のようだ・・と思った私は夫にこの話をしました。
すると夫の返答も私の予想を超えるものでした。
「俺が小学校の頃は、自分が座ったところに人が集まると思ってたな」
どんな自信!
たった3人でも全員席の選び方が違うんだな。
家族って類友じゃないのね。
自分の当たり前は当たり前じゃないし、
人って一人ひとり違って当たり前。
だから前提について話してみると面白いんだなぁ。
昨日の授業はちょうど「福祉」の授業。
子どもたちは障害者福祉や高齢者福祉について実際にお話しを聞いたり接することも含めて学んでいたののですが、
長女は決して自分から手をあげはしないけれど、
総括として感想を求められ
「障害者もそうでない人も、できないことの程度や方向性が違うだけじゃないかと思う」と発言をしていました。
普段から人が一人ひとり違って考え方も感じ方も違うということを日々当たりまえに受け止めている長女。
普段の彼女を見ていたので、本心なのだろうなと思えました。
まだ種はまかれたばかり。
彼女の中でどういった経験や視点が積み重なって多様な環境への関わりが芽吹いていくのか楽しみです。
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