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旗を立てた後に何度も旗をふるのだ
おはようございます。
最近、次女(小5)と日本語の勉強を始めた母です。
正直、使える語彙が増えるということと、読解力UPやアウトプット時のストレスフリーさの相関性を、肌感で日々感じています。
しかし同時に次女が定期的に荒ぶったり拒否反応を示すことに疲れてもいます。
その度に話をすると、中学は自由が欲しいし制服を着たくない。公立はいやだといいます。手ごたえも感じているし、ママと勉強するのは楽しい。
という話になります。
でも1つ1つのちょっとした気がかりが全部ストッパーになり、泳ぎの練習をしたいのに水着を着る着ない、プールに足をつけるつけないの段階で急にもめるのです。比喩にさらに比喩で申し訳ないですが、散歩中に急にそっちは行かない!とふんばる犬のようになってしまうのです。
彼女が止まるのは例えば
・暗算せずに筆算で解こう
・式と筆算を書く場所は分けよう
・絵図はきちんと関係性が分かるように書こう
などなどの前提部分。
あと新しい概念でちょっと分からない事があった場合です。
今朝も自分で書いた情報や書かずに頭で計算した事で、自分を混乱の海に投げ入れていたので、
「筆算はした方がいいで~」というと、お怒りになられました。
分かっているのです。今回は私が悪い。
混乱が始まった場所に、アドバイスなんて、火に油を注ぐ悪手!!
始まる前に伝える事でした。
朝は荒ぶった次女ですが、学校から帰宅するとご機嫌。
一転して「今日は、家の日本語と塾の算数の宿題するわ!」とご機嫌で、
文章題を解くときのアドバイスも事前にしっかり聞いてくれて、「難しい!」といいながらも楽しそうに笑いながら、途中からは超真剣に解いていました。
あの機嫌の波どうにかならないかなと思うけれど
あの荒ぶりは、「このタイミングでいらんこと言わないで!」の時と
「旗振りが足りてないでー!」のサインの事があります。
だから結構重要。
どうしても人は物事に取り組んでいると、目の前の事に集中しがち。
・どうして取り組んでいるのか
・取り組む事で得られるものは何か
・得られるものには自分にとって価値があるのか
・ゴールか何か
・どのペースですればいいのか
といった事がぽーーーーんと飛ぶのです。
だから物事って本末転倒になりがち。
手段と目的が入れ替わることも多いです。
でも次女は自分にとても素直なので、それが分かりやすい(助かる!)
目先の事しか見えなくなると、その時に感じる面倒さとかしんどさに目がいって荒ぶり、そうだった、私はこの目標に向かっているんだった!と思うとどんどん前のめりになる。
これをひたすら繰り返してらっしゃるように思います。
旗を立てるという事は、一度旗を立てれば勝手にそこを目標にしてくれるわけじゃない。振って気が付いてもらっても、それが伝わったら未来永劫キープできるわけじゃない。
年齢やタイプによっては旗そのものの定着のために、立てるだけじゃなくて何度も旗を振り続けてほしい人がいる。
次女は、確かに旗振りが必要な人だけれど、見通しが立つ間すごいパワーを発揮します。
これって大人も似たような人いるように思います。
今までの積み重ねを前提として考えてよ~~と泣きたくなるけど、目の前の事に集中してパワーを発揮できる人かもしれません。
目的とペース配分を明確にすることも、
分からなくなったら思い出せる方法を学んだりすることも、
次女が自分の力を発揮できる環境を知り育てる事だと思うから、頑張ろうと思える。
嫌な事は嫌!と言ってくれるから、母の意向に我慢して従っていつか爆発する心配をせずに本人と話し合える。
大変だけれど、ありがたい。
でも大変。