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『死霊のはらわた』が私に教えてくれたこと

先日、『死霊のはらわた』という映画を見た。
世界で最も重要なカルト映画のひとつとされるスプラッタホラー映画で、スパイダーマンシリーズの監督なども務めたサム・ライミの作品だ。

リメイクなども出ているけれど、今回見たのは大本1981年の『死霊のはらわた』。低予算映画であり、照明や演技、ストーリーなど多少気になるところはあったものの、噂に違わぬグロテスク加減に興奮しっぱなしだった。やはり評価されているものは評価されているだけのことがある。あまりにもすばらしい。そう思って「むむむ」とうなってしまった。

実は、私がこの映画を見るのは二度目になる。さかのぼること約四半世紀。中学生のときに授業でこの映画を見たのだ。とはいえ内容はほとんどすべて忘れていた。覚えていたのは山小屋に行った男女がお化けに襲われる話だったような……というテンプレ中のテンプレ部分くらい。

ここ数年映画にハマっている私。そんな状態だから「噂の名作を見直さなければ」という思いはずっとあったものの、一度見たことがあるという思いに足を引っ張られてここまで放置してしまったというわけだ。
そして何十年ぶりに視聴した結果、そのあまりのインパクトに打ちのめされるのだから単純なものである。その前に見た同監督の『ダークマン』も大変面白かったし、これはスパイダーマンシリーズも見直すしかないと思っている。

そんな最高のスプラッタ映画『死霊のはらわた』を最後まで見たとき。その最後のカットが私の脳裏に強烈な印象を残していたことに気がつかされた。つまりその段階まできてやっと「あ、この映画見たことある!」と思いあたったのだ。
同時に当時感じたあの恐怖や、良いものを見たときにわき上がる興奮。そのときの記憶さえもまとめて黄泉の国から蘇ってきた。


すでに時効だとは思うけれど、そもそも中学校の授業で『死霊のはらわた』という選択はどうなのだろう。

保護者からクレームのひとつやふたつ入ってもおかしくないのではないか、という気もする。とはいえ先生が率先して『死霊のはらわた』選んだわけではなかった。授業の空きゴマのようなものがあったのだろう。なにもしないわけにもいかないからこの時間はクラスで映画を見ましょう、見たい映画は好きに決めてください。というやりとりがあったのはおぼろげに覚えている。

そういう機会がたしか2回あって、1回目は『ユージュアル・サスペクツ』というこちらも押しも押されぬ名作が選ばれていた。

今でこそわかるけれどどちらも本当に名作であり、この2本を選んでいたことにはエールを送りたい。大変あっぱれだ。

しかし当時は中学生。映画なんてテレビでやっている有名作品をかじったことがあれば御の字で、これらの映画を見たことがないのも当然だし、サム・ライミもブライアン・シンガーもケヴィン・スぺイシ―だって知るわけがない。絶対的に知識が足りていない。

結果、映画の選択にあたって教室に漂っていたのはなんでもいいから勝手に決めてくれ、という投げやりな空気だったように思う。映画を見る時間など、暗くなった教室で昼寝をするための時間にすぎないと構えている友達も沢山いた。

それでも『ユージュアル・サスペクツ』が選ばれたときはなんの障害もなかった。理由は簡単で「なんかいいらしいよ……」というふわっとした情報しかなかったからだ。ジャケットもなにやらちょっと知的な感じで非難するに値しない。「ふーん」という空気が流れ、熱意をもって文句を言おうとする人は誰もいなかった。

しかし『死霊のはらわた』は違った。

そりゃあそうだ。タイトルからして『死霊のはらわた』だ。B級映画に間違いないじゃないか。スプラッタ? どうせ出来の悪い人形が出てくるんだろう? 有名なのか? まったく聞いたことないぞ? 中学生にもなってホラーなんて。怖がるとでも思っているのか馬鹿馬鹿しい。口々に根も葉もない文句が飛び出る。今思っても可愛くない中学生たちだ。

もちろん私も同じように「そんな子供だましのものは見たくない」と思っていた。そして「つまらなければ寝ればいい」とも。大変失礼なことに私はネタ的な映画だとすら思っていた。例えばそれは『恐怖!キノコ男』のような。語ると長くなるので割愛するけれど私は『恐怖! キノコ男』のことは心から愛している。

とにかく議論は迷走し、紛糾した。

とはいえ文句を言っている人たちに特段の代案や信念があるわけではない。ただその場をにぎやかしているだけの烏合の衆にすぎない。最終的には学級委員長の「これはイイな映画だ!」という鶴の一声でそのまま押し切られる格好に落ちついた。

おそらく先生も『死霊のはらわた』を見たことがなかったのではないだろうか。見たことないからこの機会に見てみればいいや、くらいの軽い心意気だったのかもしれない。おおらかな時代である。


そんないきさつで我々のクラスは『ユージュアル・サスぺクツ』と『死霊のはらわた』という2本を見ることになった。

そして、すっかり中身は忘れていたとはいえ「見た」という事実が私に深く突き刺さっていたのは間違いない。今もわりとスプラッタとかゾンビとかが好きなのは、このタイミングで『死霊のはらわた』に出会っていたからという可能性も否定できない。つまりこの映画は私の人生に大きく影響を及ぼしている1本なのだ。

そんな稀代の名カルト映画と出会うことができたのは、あの委員長の「イイものはイイんだ!」という熱意があってのことだし、その他大勢の意見に負けることのなかった強い信念のおかげだ。感謝してもしきれない。

見てもいないものを勝手に評価しない。
自分の価値観を信じて、まわりの評価に依存しない。

当たり前のようで結構難しいことだけれど、これは今の私を縛る信念になっている。そして足首につき刺された鉛筆とか、床下からのぞく白塗りのお化けとかを見て、私はもう二十数年以上も前にそんな信念を教えこまれていたことを思い出したのだ。
そんな信念を持っていた学級委員長の彼が今どこでなにをやっているのかは知らないけれど、きっとまっすぐ元気でやっているのではないかと思う。

コンテンツの海はとにかく広大だ。なんの評価も指標もない状態でその大海原をひとり渡っていくのは不可能に近い。他の人の評価に影響されることももちろんある。でもそれが本当に自分の信念に違えていないかは常に意識していなければならない。
結果、人の少ないへんぴなジャンルのことを愛してしまってもそれは運命というものだろう。障害の多い道の方が燃えるものだ。仕方ないと割り切って愛すればいい。――いや、愛するしかない。

これからもわたしは『死霊のはらわた』に教わった信念を大事に守りながら、コンテンツ海を渡っていこうと心に決めている。



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たけのこ
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