忘れ去られた かつお節の話。
はじめまして。かつお節問屋 タイコウの大塚麻衣子と申します。
このnoteには、かつお節に関わる話を中心にお出汁やお料理、食についてなどの四方山話まで書いていこうと思います。
その前に、私の背景について、どうしてかつお節屋になったのか書いていきます。
男社会で世襲の相が色濃く残る世界に、血縁でもない女の私が飛び込んだのか。
そして、今わたしが何をやっているのか。
1. かつお節屋になろうと考えるまで
私は18歳の時に地元の九州から東京に進学して専門学校に通い、卒業後は動物病院で看護士とトリマーを兼務しておりました。
当時の私は看護士という仕事が自分の天職だと思っていましたし、周囲からもそう言われるほどその仕事にやりがいを感じ、充実した日々を送っていました。
しかし5年目に、とあることがきっかけで看護士という仕事に限界を感じ、病と食の関係性を『思い出し』、料理人の道に進みました。
料理人として最初に入ったのは割烹のお店でした。
小さなお店で、先輩一人親方一人。
ここで料理の基礎を教わったようなものですが…
実はこのお店、出汁は滅多に引いておらずほとんどのお料理に「ほん〇し」を使っていました。
この衝撃的な事実に、料理の学校に行ったわけでもない私は危機感を覚え、独学で勉強を始めました。
ところが、自力で学び何度出汁を引いても納得のいく味がでませんでした。
先輩や親方に聞いてもわからないと言われ、築地に行って聞いてみても納得のいく答えは返ってこない。
書籍に書いてあることも似たようなものばかり。
試しては失敗、たまに成功があっても、なぜそうなのかの理由がわからないから再現できない。
いくつもの疑問が常に頭について回るようになった頃、ふと目に入った出汁とり講座開催のお知らせに、吸い寄せられるように申し込み、その教室でタイコウの稲葉(現弊社社長)と出会いました。
これが、料理人になった最初の年の事です。
まさかこの教室で味わった出汁が、私の人生を変えるとは夢にも思いませんでした。
出汁取り教室に参加して稲葉から聞く話は、私の中で積みあがっていた疑問を解消していくものでした。
味の違い
酸味の理由
色味と味の関連性 などなど…
とても納得のいく話が、書籍にも料理人にもかつお節屋にも理解されていなかったのです。
何故なのか?
率直に聞くと返ってきた答えは意外なものでした。
「今は誰もこんなこと、やってもいないし、考えて売ってる奴なんかいないんだよ」
その時の会話で初めて、かつお節にも『目利き』という仕事があることを知ったのです。この場合の目利きを端的に言ってしまうと≪見て味と品質がほぼわかる≫こと。
そして現役の目利きが、(その当時でも)恐らく稲葉一人だけであろうということも聞きました。
それからいくつかの経緯を経て、私もお店を移り、改めてタイコウのかつお節のすごさに気づいた時に、稲葉の話やかつお節のことをもっと深く知りたいと、自ら願い出て出汁とり教室の手伝いをするようになりました。
2. かつお節屋になろうと決めたワケ
手伝いをしていく中で、稲葉のかつお節に対する真面目さと生産者を大切にする姿勢に強く共感していました。
『真面目に仕事して、その仕事が正しく評価されてみんなが笑顔になるなら、それはとても幸せだしそうやっていきたいね』と。
こんな考えをしている人が他にいて、更に実行している人(=稲葉)がいると知ったときの私は、飛び上がるほど嬉しかったのです。
それと同時に、これを継いでいく人がいないのか、という疑問も当然浮かびました。
この人がいなくなったら、誰が生産者の仕事を評価するのだろう。
この人がいなくなったら、この味を出せるかつお節が消えてしまう。
目利きという仕事が、途絶えてしまう。
付き合いを年単位で重ねても、何度も意識に問題が浮上してきても、まだ見つかるだろう、何とかなるだろうと、どこか他人事の自分がいました。
わかっていなかったんです。
こんな考えが、当時はとても特殊だという事を。
こんなことは理想論だと片付けられることが多く、そもそもかつお節でわざわざ出汁を引く人が減っている世の中で、かつお節屋をやりたがる人間なんて、家業でもない限りそうそういないという意見をいくつも聞き、ようやく新しい人が見つかる可能性はかなり低いことがわかりました。
そこに加えて稲葉の性格です。
江戸っ子と体育会系を組み合わせた上に職人気質なので、相当辛抱強くやれる人じゃないと難しいということもありました。
一時は、「本当に必要とされる仕事だったら一度途絶えてもいずれまた復活する」という意見もいただき、それも仕方なしと思った時期もあったのですが…
でも結局、私はこう考えてしまいました。
私たちの世代で、本当にこれを途絶えさせていいのか?
子供たちにこれを伝えられなくなってもいいのか?
そもそも、自分も食べられなくなったときに他のメーカーで納得できるのか?
だから稲葉に言いました。
私、やりたいです。
出会ってから5年目のことでした。
3. 私にできる事はみんなをはたらかせること
稲葉からもらった答えは一言でした。
「女にできる仕事じゃねぇ、甘くみるな。」
今思えば、どうしてそういったのかわかります。
来る日も来る日も炎天下でも、極寒でも、天気であれば節を干す。
週1回、産地から届いた荷(商品の入った箱)を何十ケースも運ぶ。
箱は一つ20㎏、それを頭よりも高く積み上げていく。
お客様に合わせて選別し、仕上げていく。
うちは削り節もやっているし、通常業務は他にもたくさんあります。
体力も、力も、精神力もいる仕事です。
だから、2年かけて口説き落としました。
やらせてくださいと。
そしてその2年間は、自分に覚悟を問う時間でもありました。
逃げられないよと。
今は、勤め始めて3年目になります。
稲葉の目利きの仕事を手伝いながら、日々節を見て触って、頭に叩き込んでいます。
似たものを見て、なんとなく違いが分かるようになって、でも余計にわからなくなってを繰り返して、ふとした時に「あ、わかってるんだ」と自分の成長を感じ始めています。
それと、入社してすぐに営業として表に立ちました。
言葉にして説明することはあまり得意ではない稲葉に代わって、お客様にお話をしてお客様の要望を聞き出して、それを稲葉に伝えています。
これが、多分大当たりでした。
私の料理人としてやっていた頃の知識と経験をフル活用して、更にかつお節屋として得た知識も組み合わせて、プロの料理人の方に提案をさせていただくことができるのです。
地域性による出汁の違いであったり
使う昆布に合わせるかつお節であったり
オペレーションに合わせた出汁の引き方であったり
水の違いによる出汁の出方の違いであったり
多分料理人さんが悩んでいるであろうこと、わからないであろうこと、そういったものが自分でも経験してきたものであることが多いため、そこをきちんと解決できるお話が、私にはできます。
お客様の困ったを解決し、美味しいに繋げていくために話を聞きます。
目利きの技を活かすため
稲葉が見えなかった道を切り開くため
生産者が作ったかつお節を最大限に活かすため
料理人さんが腕を楽しく揮えるように
それぞれが、最もはたらけるようにすることが、私の役割です。
最後に…
かつお節の話は、特別変わったことは多くありません。
言われてみると納得できることでも、言われてみないと気づかないという事が、実はいくつもあります。
それだけ私たちの生活になじんだ食べ物であり空気のように当たり前だからこそ、その姿を意識することがないためによくわからないものになっています。
よくわからないものになっていたかつお節を、もう一度手元に戻すために、noteを書こうと思いました。
昔のかつお節は、沸騰させても絞っても平気でした。
お鍋に入れっぱなしでも臭くなりません。
出汁を引くことは、料理人の方がやる手間をかけたものではなく、日常の食卓を任されているお母さんが片手間に、ポイっと放り込んでやっていた、実はとてもとても簡単で、美味しいものでした。
料理人の方も知らず、同業者ですらも忘れてしまった本当のかつお節の姿を中心に、お料理とお出汁と、色んなことをこれから伝えていきます。
文章に残して、後の世代に繋いでいきたいと思っています。 サポートいただけると、とても励みになります。 よろしくお願いします。