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味覚と知性

うちは、かつお節を専門に扱っている問屋です。
その味は、間違いなく日本一のものであると自負しておりますし、それに見合うだけの仕事もしていると思っています。

そして価格も決して安価ではありません。
(いや、全体で見たら実は全然高い方じゃないんですけどね…)

一流の料理人の方々の、目を開眼させるだけのものであると思っていますし、事実、気づいてお使いいただいている方からの口コミで、現在は多くの一流の料理人の方々にご用命をいただくようになりました。

ところが、圧倒的に美味しいはずのこのかつお節ですが、店頭などで試飲販売に立つと言われることがあります。

『高いのに美味しくない』
『いつものと変わらない』

色々と考えました。
 試飲用の出汁の味付けが薄いからダメなのか。
 出汁自体を、もっと濃くとらなくてはいけないのか。
 試飲の器を変えたたほうがいいのか。
 飲みやすい温度に下げたほうがいいのか。
 水を含んでもらってから、試したほうがいいのか。

試行錯誤してやってみて、一つの結論に落ち着きました。
味覚は人それぞれで違うのだから、いくら私が美味しく感じても、逆においしく感じられない人がいてもおかしくない。
当たり前なんですけど、でも美味しいことはわかるはず!と意気込んでいたので、そこに落ち着いた時には、肩から力がどっと抜けました。

そこからは、試飲をしてわからない人には、説明することをやめました。
伝えるのは2つだけ。
 昆布とかつおの合わせ出汁です。
 味付けにほんの少しだけお塩を入れています。
これだけです。

あとは、お客様から聞かれたら説明をします。
(料理人さん相手の場合はこの限りではありません)

こうしていくと、段々とお客様の事をじっくり観察することができるようになり、気づいたことがありました。

味わっているときの顔つき、目線が、人によって大きく違うのです。

生麩ぜんざい

面白いものです。
以前、知人との話で言われた「味覚と知性はリンクしている」という言葉が、その瞬間、自分のなかに落とし込まれました。

人の味覚や嗅覚は、ダイレクトに脳に繋がっています。
しかし繋がっているからといって、ただ漫然と受け入れていたら、一切処理されることなく、どこかに詰め込まれて順次消えていくのでしょう。

自分の舌に乗った味が、苦味、酸味、塩味、甘み、辛味、旨味、えぐみ、何がどのくらいあって、どのようなものなのか…
口に入ったその舌触りは、感触は、広がりは、温度は、のど越しは、余韻は、果たしてどうであったか…

食べるという行為は、実はとてつもなく、脳の様々な部位を使う行為なのです。
それは、漫然と行われていたら、全て流れていくのですが、きちんと感じながら、いうなれば『考えながら』食べると、実はとても多くの情報を処理することになるのです。

そこに、季節の移ろいで生まれる、走り、旬、名残りといったものや、節句ごとにいただく行事食の背景などを学ぶことで、より深く感じられるようになるのです。(これが本来の食育)

目の前にある皿一つ、そこに何があり、何を想い、何を見るか。

そういったことを考えられるということは、正しく「味覚と知性がリンクしている」という事ではないでしょうか。
そこから、多くの事に思いを馳せられるようになり、さらに広がるのでしょう。

人の味覚は15歳でほぼ完成すると言われています。これは人の第2言語の習得臨界期に近いです。
(勿論、この後伸びないというわけではありません。)

この時期までに、誰と、何を、どのようにいただくか、それを少しでも意識しながら食卓を用意することは、子供たちによりよく生きてほしいと願う大人から送れる、無形の財産だと思います。

私が美味しいかつお節を届けたいというのは、美味しいという喜びと共に、感性を磨く一助になればという気持ちも増えました。
多くの良い経験をする子たちが、一人でも増えることを、心から祈ります。

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大塚 麻衣子 / かつお節コーディネーター
文章に残して、後の世代に繋いでいきたいと思っています。 サポートいただけると、とても励みになります。 よろしくお願いします。